秋も深まり文化の日が近づくころ、いつも文化勲章受章者と文化功労者の発表があります。今年の文化勲章の受章者は5人のうち、女性が2人で、やっと日本も女性が4割を占めるようになったと、ほっとしました。ところが、続いて発表された文化功労者のリストを見て、唖然としました。20人選ばれたのですが、女性は1人もいなかったのです。男性20に対して女性ゼロです。そんなに日本の女性は文化の発達に貢献していないと言うのですか。
最近5年間の文化勲章と文化功労者の受章者数のリストを作ってみました。男性と女性とに截然と分けられない人のケースも出てくるかもしれませんが、ここは一般的な男女の区別に従うことにします。
文化勲章受章者 文化功労者
男性 女性 男性 女性
2016年 3 3 13 2
2017年 5 0 12 3
2018年 5 0 19 1
2019年 6 0 15 5
2020年 3 2 20 0
文化勲章は学問・芸術など文化の発達に卓絶した功績のあったものに授与される勲章。文化功労者は文化功労者年金法に定める、文化の向上発達に顕著な貢献のあった者。終身年金が支給される。と、『広辞苑7版』には記されています。
それにしても、「文化の発達に功績・貢献のあった」女性は男性に比べて何と少ないとされているのでしょう。
その意味で、2016年の文化勲章は特筆すべき年だったといえます。この3人の女性は絵画・遺伝学・小説部門の方で、男性は細胞生物学・近世文学・作曲部門の方でした。いろいろな部門で優れた仕事をした方がバランスよく3人ずつ選ばれています。こうみてくると、ほかの年が男性に偏っているのが不思議になります。
文化の発達に対する貢献に点数はつけられない筈ですが、選ぶ人は何らかの物差しをつくって、それに沿って貢献度が高い低いとするのでしょう。その物差しがお金とか地位とか論文数とかになると、今の日本では男性の方が点数が高くなることが多い、その結果の偏りでしょう。物差しをかえれば、女性の方が貢献度が高くなる可能性が高い。つまりお金や地位の物差しを、人間の幸せ、平和、おだやかな老後などの物差しにすれば、点数の高い女性はたくさん出てきます。すぐにはその物差しが作れないとしたら、当分は文化勲章の受章者は男女半々ににすればいいのです。そのうち女性の方が多くなって偏ってくることを危ぶむなら、クオーター制のように、どちらかが40%を超えないとすればいいのです。それが今年の例になるというわけです。
それにしても文化功労者はひどいです。受章者の数は2017年までは15人だったのが、18年から20人になりました。350万円の終身年金がつき、この功労者に選ばれた人の中から文化勲章の受章者は選ばれることになっています。ですから、この功労者のプールの中の女性が少ないと、文化勲章受章者に選ばれる確率も低くなります。
文化勲章受章者が男女同数の時もあったのですから、その母体となる文化功労者も女性が半数いてもおかしくないことになります。ところが、最近の5年間で一番比率が高い19年度の割合が25%です。16年が13%、17年が20%、18年は5%、そしてことしは0という惨憺たる数字です。何度も言いますが、「文化の発達に貢献する」しかたやその質や価値などは相対的なものです。主観的なものです。文化や学問に点数がつけられないように、絶対的な価値や評価があるはずがないのです。
菅さんの新政府が20人の文化功労者をが選びました。そこに女性は1人も選ばれていませんでした。男性中心の大変偏った選び方に対して、心底から怒りを感じています。性が全く無視されているではありませんか。世の中が様々な価値観を尊重し多様な生き方を模索している時に、一方の性だけに偏った人選をするとは時代錯誤ではありませんか。
学術会議から推薦された候補者の6人を、菅さんは任命しなかった。その理由を問われて菅さんは、学術会議には多様性が大事だ、出身や大学にも偏りがみられる、と答えました。
文化功労者を選ぶのに女性ゼロという大変な偏りを冒している、そして自らの内閣の20人の閣僚の中2人しか女性を起用していないという、ものすごく偏った人事をしている菅さん、あなたの口から学術会議の会員の出身が偏っているだの、多様性が必要だなどと聞くとは思いませんでした。
ここではまず、変な理屈をつけないで、真正面から6人を任命しなかった理由を言ってください。
2020.11.01 Sun
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば
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