テレビの中に、新聞の中に、あるいはスマートフォンやパソコンの中に、その人達はいる。相手を罵ったり、女性蔑視的な発言をしたり、その「規格外」の言動の数々は、おそらく枚挙に遑がない。「規格外」は私たちの目を引く。私たちは、全く言語道断だと呆れるか、時には憤慨してみせる。確かにその批判は重要だ。しかしその時、紙面や画面の向こうの人々と本質的にはさほどかけ離れていない「家父長制的な」考えが私たちのもっと身近に、あるいは私たち自身の中にさえあることは、忘れられてしまう。忘れられるというのは省みられないということで、それはつまり、触れずにそのまま生きながらえさせるということだ。
 派手なもの、大きなもの、おそらくそれゆえ分かりやすいものに過度に目を奪われてしまわないこと。むしろ、身近なもの、些末なもの、それでいて一筋縄ではいかないものに注意を向けること。本書『〈家父長制〉は無敵じゃない』は、エンロー自身の経験と言葉を通じて、それを実践してみせた書となっている。
 例えば、公式のシリア和平協議のほど近くで行われたオルタナティヴな和平交渉。そこで見聞きした女性活動家たちの話。幼少期に訪れたタイコンデロガ砦の思い出。スカートを引き寄せるという軍人の妻たちの仕草。そのどれもが、注意していなければ見逃してしまうような些細な事柄だ。本書ではそれらを出発点にしつつ、次第に、紛争や軍事ツーリズム、婚姻など、より広範で一般的な議論が展開されていく。エンローの巧みな叙述の助けもあるが、ごく身近(に感じる)ものと縁遠い(と思い込んでいる)ものとが実は地続きであったと思い知らされることになるだろう。
 さらに、そうしたエピソードは、エンローの鋭く正直な眼差しを通して吟味され、問い直される—「共犯」はどのようなかたちをとりうるのか? 無邪気な興奮や悲哀とともに戦跡を訪れた幼少期や青年期、フェミニズムについてほとんど知らなかった学生時代、それのみならず、広島を訪れたほんの十数年前の出来事までも題材にして、エンローは言う。私たち自身の無関心と惰性とが家父長制を存続させるのだと。
 フェミニストになるまで曲がりくねった道を歩いてきた。エンローのその叙述は、私たちを励ますはずだ。しかし同時に気づかされる。稀代の研究者たるエンローに特別な冠を被せることによって、私たち自身が探求や自省を逃れることはできない。それがどれほど気まずく、居心地の悪いものであったとしても。

目次
序章 トランプだけが問題なのではない
第一章 ピンクのプッシーハットvs.家父長制
第二章 和平協議に抗するシリアの女性たち
第三章 カルメン・ミランダが戻るとき
第四章 ツーリズムと共犯—タイコンデロガ、ゲティスバーグ、広島
第五章 家父長制的忘却—ガリポリ、ソンム、ハーグ
第六章 スカートをさっとひきよせて
第七章 フェミニストへのまがりくねった道
第八章 ランチ・レディとワンダーウーマン、その他の抵抗
終章 〈家父長制〉は無敵じゃない

◆書誌データ
書名 :〈家父長制〉は無敵じゃない—日常からさぐるフェミニストの国際政治
著者名:シンシア・エンロー
監訳 :佐藤文香
翻訳 :田中恵
出版社:岩波書店
刊行日:2020/10/16
定価 :3190円(税込)