今月はデンマークの作曲家、エンマ・ハルトマン(Emma Hartmann)をお送りします。結婚前の名前 はエンマ・ツィン(E.Zinn)です。1807年にコペンハーゲンで生まれ、1851年に同地で亡くなりました。

ツィン家は代々貿易商を営み、とりわけ1800年代初期、エンマの父親の代は隆盛を極めていました。商談のためのお客のみならず文化人が集うサロンも主宰し、父親の姉妹も協力的にサロンを盛り上げ、大勢の人が出入りしていました。とりわけ音楽会が盛んに行われていました。

      コペンハーゲンのツィン家


 エンマは才気煥発で、おしゃべりな女の子でした。文化に溢れた家庭環境に加え、早くから音楽に親しみ、ピアノや声楽を、ドイツ出身の教師や地元の教師に学びました。子どもの心を掴んで離さない魅力的な女性の先生にも出会い、いっそう音楽に魅入られました。

 両親のサロンへ立ち寄る文化人や音楽家には、作曲家のC.E.F.ヴァイセ、F.クーラウ、A.P.ベアウグレンがいました。F.クーラウとは、ピアノ学習者はご存知と思いますが、日本でも出版されている「ソナチネアルバム1&2」に彼の作品がたくさん入っています。ドイツ人ですが、徴兵を免れるためデンマークに移住し、生涯をデンマークで終えました。エンマは作曲も、若い時から心の赴くままにしていたことが記録に残っています。

 デンマークは、いわゆる「ゴールデンエイジ」と言われた時代が1800年から始まり、約100年続きました。華やかな文化が隆盛した時代でした。

 エンマの生年1807年には、コペンハーゲンでは大火が起こり、経済も悪化をたどりましたが、それでもお隣ドイツのロマン主義の大きな影響を受け、音楽、美術、彫刻、建築に隆盛がありました。アンデルセン童話で有名なクリスチャン・アンデルセンも、この時代にデンマークから出た人です。


 15歳の時、エンマは教会を舞台に行われた室内楽のコンサートで、ハルトマン(J.P.E. Hartmann, 1805-1900)に出会います。法律を学ぶ青年でした。高名な作曲家の父親の席を受け継ぎ、教会でオルガンを弾いていました。エンマは出会った日から、この青年との結婚を夢見ていました。彼の就職が決まったところで、1829年、2人は晴れて結婚します。一階に青果店の入る建物の最上階で新生活をスタートさせました。

 夫ハルトマン氏は本職を忙しくこなす傍ら、音楽活動も続けました。夫婦の生活は順風を極め、この後の20年で10人の子どもを産み、エンマは良き妻、良き母として忙しく働きました。賛美歌を作曲し、一緒に歌い、時には即興演奏で子どもたちを楽しませました。10人の子どものうち、2人は幼くして亡くしています。アートにも興味がありましたので、足繁く美術館や芝居見物にも出かけ、友人たちと語り合いました。彼女のウイットに富んだ会話は、楽しく刺激的だったと友人たちが語っていま す。

          夫のハルトマン氏


 夫のハルトマン氏は、最終的に公的機関での仕事を辞し、作曲家として一本立ちします。デンマーク音楽界の中心人物として音楽協会を設立し、亡くなるまで会長を務め、加えて王立コペンハーゲン音楽院の設立に貢献し、第二代の学院長も務めました。結婚後の1836年より数回、視察旅行としてドイツやフランスに渡り、ショパンやロッシーニといった当時の活躍する音楽家たちの知己も得まし た。

 お子さんの中には、作曲家になったエミール、彫刻家として名を馳せたカール、他2人の娘は、ハルトマン氏の音楽仲間だった作曲家ニール・ゲーセとA.ヴィンディングと、それぞれ結婚しました。長男のエミールは、CD録音で多くの作品が聞けます。

        ペンネームで書かれた楽譜


 エンマは34歳の時に書いた「2つのダンス」が、学生の舞踏会用作品として配布されました。本格的に作品を書くようになったのは40歳頃からで、作品にはペンネームのFrederik H. Palmer を使いました。これはデンマークの女性作家 Thomasine Gyllembourg が、小説「The extremes 」の登場人物として使った名前でした。

 エンマは楽譜を書くのが苦手で遅筆だったため、周りの友人たちが快く手伝いました。楽譜を読みピアノを弾く作業と、五線紙に音符を記す作業は別な訓練が必要なため、現代では“音感教育、いわゆるソルフェージュ教育”の一環として、例えばピアノのレッスン内で少しずつ音符の書き方を指導する教師も、世界中で少なくないことと思います。

 1848年から1851年に、「5つの作品集:22のロマンス」を書きました。最後の曲集は、彼女が亡くなってから出版されました。当初、出版はあくまでも私的なものでしたが、周囲が彼女の並々ならぬ才能に気づき認識を新たにし、末の息子のフレデリックが尽力したことから、とうとう出版の日の目を見たのです。まさに彼女が生まれて100年後の出来事でした。

 このピアノ曲集を編纂した「小品集:Klaverstykker」 は、新しい編集で2013年に出版されました。曲集にはワルツ、タランテラ、ウィーンのワルツ、ギャロップ等11曲と付録1曲が入っています。彼女の自宅で催されるパーティや集まりで、お客は盛んにダンスをしたことから、既存の音楽のみならず、彼女自身の曲で踊りたい、弾いてちょうだいとせがまれて、ピアノを弾くこともありました。

 加えて、手書きで残されている作品は、現在コペンハーゲン王立図書館のアーネスト・ヴァイスコレクションに所蔵されています。1840年代に書かれた歌曲も、現在では王立図書館のオンラインリストで閲覧が可能で、混声合唱曲のアレンジ作品も、現在では出版の日の目を見ています。近年はデンマーク国内でエンマの作品が見直され、CD集「エンマ・ハルトマン作品全集」がデンマークの歌手とピアニストによって出版されています(ClassicoレーベルClassCd713) 。

 筆者には、活躍する作曲家の夫を持ったエンマの人生が、同じ名前のハンガリーのエンマ・コダーイを彷彿させました(エッセイI--3回参照)。エンマ・コダーイは20歳年下の夫をサポートするだけで幸せを感じる欲のない女性でしたが、デンマークのエンマは、時代が違えばもっと活発に活動をした方ではないか? 同業の夫が音楽界の中心人物という多大な生活面の恩恵はあるにせよ、同時に決して自らは羽ばたけない窮屈さはなかったのか? 10人ものお子さんを生み育てるだけで、44年の生涯はあっという間だったことだろうと、遠い時代に思いを馳せました。

 この度の演奏は、「Klaverstykker ピアノ小品集」より抜粋でお聞きいただきます。


出典/References
wikipedia in Danish
https://da.wikipedia.org/wiki/Emma_Hartmann
Lisbeth AhlgrenJensen
https://www.kvinfo.dk/side/597/?submit=true&skribenter=48 Emma Hartmann
王立図書館所蔵のエンマの楽譜解説付き
http://www5.kb.dk/en/nb/dcm/udgivelser/emma_hartmann/index.html
王立コペンハーゲン音楽院
https://english.dkdm.dk
夫ハルトマン氏のwiki in English
https://en.wikipedia.org/wiki/Johan_Peter_Emilius_Hartmann


お知らせ

 女性作曲家たちの作品を石本さんが演奏されたCD「Pioneers」について、批評が相次いで出ています。どれも英文ですが、以下のサイトでお読みになれます。
http://www.musicweb-international.com/classrev/2021/Jan/Pioneers-female-GP844.htm

https://www.naxos.com/reviews/reviewslist.asp?catalogueid=GP844&languageid=EN