今年もまた、あわただしい師走と年始がやってきた。
それぞれの部屋の大掃除と、おせち料理の材料の買い物に3往復。97歳の母と93歳の叔母と娘と10歳の孫娘の5人分の手づくりのおせち料理を、娘と手分けして2日間かけてつくる。
数の子、車海老、タイの子、蛤、三嶋亭の牛肉と糸コンニャクの甘辛煮、黒豆、紅白蒲鉾、伊達巻、昆布巻、筑前煮、紅白柿なます、たたきごぼう、人参の飾り煮、ごまめの田づくり、栗きんとん、干柿、甘栗、ロースハム、焼豚。そして京風白味噌仕立てのお雑煮用に小大根、かしら芋の下ごしらえをする。
大晦日、一の重、二の重、三の重、与の重と、おせち料理を詰めて、センリョウの赤い実の小枝を乗せる。お正月、娘と孫といっしょに昼間出かけるので、母と叔母のためにお重を別に取り分けておく。あとは床の間に鏡餅とお花を飾って、ようやく迎春の準備の出来あがり。
喜寿を迎え、去年に比べて、さすがにくたびれた。コロナ禍の運動不足で筋力が落ちたのかしら。これではいけないと、しっかり食べて、しっかり歩こうと、元旦と2日は2万歩近く、よく歩いた。
元旦は、お屠蘇とお重の祝い膳、白味噌のお雑煮をいただき、さてコロナ禍で初詣にどうやっていこうかと思案する。いいお天気なので、人出を避けて八坂神社まで静かな裏道を歩いていこう。人が多い四条や花見小路を避けて祇園のお茶屋さんの家並みをくぐり抜け、急な坂道を登って円山公園の横・長楽館まで。ここで新年を祝うフランス菓子「ガレット・デ・ロア」と絶品の「モンブラン」をいただくのが、元旦の恒例行事。今年も、いつもと変わらず、おいしい。明治42年(1909年)、煙草王・村井吉兵衛が建てたという、110年余を超える古い洋館、風格のある建物だ。
二日は平安神宮へ。地下鉄東山三条から裏道へ曲がり、鴨が遊ぶ水路に沿って歩いていく。平安神宮の山門も境内も、今年は珍しく人出がまばらだった。岡崎公園の手づくり市も、ささやかに開いていた。再び鴨川を渡って西へ、ひたすら歩いて三条通りの喫茶店「イノダ」でいっぷく。
夕方は、同じマンションの男友だちの囲炉裏のある部屋へ全員集合。炭火に手をかざして「あったかくて、よかなあ」と、母も叔母も孫も、自家製の我が家の味のおせち料理を、よく食べてくれた。
男友だちは1月下旬、2カ月の予定で鹿児島の霧島山系の自炊の温泉宿へ出発する。毎年、北海道旭川大雪山系の「トムラウシ」で冬眠するのが常だったが、今年は南国といっても山の中での冬ごもり。テレビも新聞も見ず、読書三昧の日を送るという。あ~あ、いいなあ。
3日は、滋賀県長浜の黒壁ガラス館へ新快速電車で向かう。車窓から雪景色を眺めながら、電車は混雑も延着もなく無事に着いた。湖北の北国街道沿いの商店街を散策して、孫はガラス細工の手づくり体験に夢中。帰りの京都駅も、それほど混んでいなかった。
ほんとは4日、5日と亀岡の湯の花温泉へ全員でいく予定だったが、「GoToキャンペーン」自粛のため、宿から「しばらく休館します」との知らせが入り、温泉行きはキャンセル。代わりに孫はシルバニア・ファミリーの小道具を買いに街へ出かけ、私は仕事を2つ、早々に仕上げることができた。
6日から小学校は3学期が始まる。7日の七草粥でおなかを休めて、お正月も、これでおしまい。
お正月明けに、映画を2本見にゆく。映画館も観客は数人だった。一作目は、「また、あなたとブッククラブで」(監督・脚本・製作:ビル・ホルダーマン、2018年、アメリカ)。ダイアン・キートン、ジェーン・フォンダ、キャンディス・バーゲン、メアリー・スティーンバージェンの平均年齢70代の名女優たちが出演している。みんなほんとに若いなあ。
もう一作は、「ハッピー・バースデー 家族のいる時間」(監督・脚本:セドリック・カーン、2019年、フランス)。カトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・ベルコ、ヴァンサン・マケーニュと、セドリック・カーンが監督兼長男役で出ている。
70歳になるアンドレア(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、夫ジャンと孫娘とともに暮らしている。母の誕生日を祝うため、長男ヴァンサン一家、次男ロマンが恋人をつれてやってくる。そして3年前、娘を置いて姿を消した長女クレールが突然、帰ってくる。
「やっかいだけど、断ち切れない家族」。昔も今も、どこの家にもある出来事。複雑な親子関係や相続問題も絡んで互いに激しく感情をぶつけあう、いかにもフランス流の家族ドラマ。とりわけトラブルメーカーの長女クレール(エマニュエル・ベルコ)が圧巻。女優で監督としても活躍しているそうだが、情緒不安定な役柄を完全に自分のものにして演じていたのは、さすがだ。
「妄想のない人生なんて」と、アンドレアの夫ジャンがボソッとつぶやく。そう、誰もがみんな妄想を抱えて生きているんだ。
まだまだコロナ禍がおさまりそうにない。生命から生命へと移りすみ、変異を繰り返す新型コロナウイルス。農耕牧畜が始まった頃からウイルスは人に棲みついてきた。時代とともにグローバル化が進み、世界の奥地や辺境を消滅させ、「経済優先」を選んできた人間にとって、それは当然の結果なのかもしれない。しかしウイルスは決して人間の敵ではない、私たちは否応なく、ウイルスと「共存」して生きていくべきなのかもしれない。
ドイツ語と日本語で作家活動を続けている多和田葉子さんのインタビュー記事「オピニオン」(毎日新聞、2021年1月6日付、聞き手・小国綾子)を読み、「ウン」と納得。
「ぶつかりあって生きる。対立を恐れず、はっきりと物を言い合い、その上で折り合えるところを模索する、そういうコミュニケーションに日本社会はもっと慣れた方がいい。なぜなら、日本の外側ではコミュニケーションはもっと激しく波うっているから」。
多和田さんは今、国籍、人種・民族、言語、性別を超えて旅する若者たちを主人公にした長編3部作を執筆中とか。章ごとに語り手を変えているという。それは「人間の多面性を描きたかったから。私は視点が回転する「回転舞台」のような小説を書きたい。地球を回してしまいたいから。他者と、あるいは異文化とぶつかるように激しく出会うことで、視点が回転し、それまでの自分と少し違う自分に変容していく。小説には、そんな力があると思うのです」と語る。この長編3部作、ぜひ読みたいな。
「メタファーとしての新型コロナウイルスは生命から生命へと常に移りすみ、しかも変異を繰り返すことで生き延びていく。ならば人間も、もっと国境を超え、異なる文化や考えをもつ相手と出会い、ぶつかり合い、響き合い、それぞれに変わっていくような能力をもたなければ。そうでないと、このパンデミックを乗り越えられないのではないかと思います」と結ぶ。
そうなんだ、そんな知恵と力を、みんなでもち合い、人もまたウイルスのように、たくましく生き延びていかなければと、年のはじめに私も、そう確信した。