
本書の著者であるジェニファー・M・ソールは長年、言語哲学者として性差別・人種差別の言語行為を分析し、2011年には英国女性哲学者協会賞を受賞するなど、今もっとも影響力ある哲学者の一人です。
近年、トランプ政権が誕生し、世界的にポピュリズムが台頭してくると、フェイクニュースや扇動的な言動が堂々とメディアで拡散されるようになったのをきっかけに、彼女の研究はますます注目されました。「犬笛政治」について解説したBBCの動画も話題を呼びました(https://www.bbc.com/japanese/video-47025445)。
本書が問題にするのは、日常会話や政治発言にひそむ言葉による欺瞞「噓、ミスリード、犬笛」です。
一般的に「噓」は「悪」と認識されているのに対し、人をミスリードして騙す方が倫理的にましだと私たちは直観的に捉えていないでしょうか。ソールは日常のありふれた会話から、政治家の言い訳まで幅広い(ときに笑いをさそう)事例を分析し、噓もミスリードも欺瞞である点において大きな違いはないと実証していきます。その間に重要な違いがあるとすれば、どんな考えに基づいて何を選択するかが、私たちの倫理観を明らかにする点にあると言います。
たびたび本書に登場する、もうすぐ臨終を迎える女性の例を見てみましょう。前日に息子が事故死したことを知らない彼女は、あなたに息子が元気か尋ねます。彼女に穏やかな最後を迎えてもらうために、「彼は元気ですよ」と噓をつくか、「彼は(前回会った時は)元気でしたよ」と答えるか。
次の例はどうでしょう。アメリカ大統領時代、クリントンがセックス・スキャンダルで追い詰められた際、「不適切な関係は“ありません”」と述べました。現在時制で否定し、あたかも関係が一度もなかったかのようにミスリードする発言をしたことで、実際に偽証罪を免れました。これに対し、クリントンは公的・法的にできるだけ誠実であろうとしたと捉えるか、卑怯な仕方で世の中を欺いたと捉えるか、それによって聞き手の倫理的価値観をも明らかにすると言います。
本書が取り上げるもう一つの欺瞞「犬笛」は、特定の集団にむけて隠れたメッセージを送り操作する戦略を指し、それによって表向きには「噓つき」やレイシスト、差別主義者になることなく世論を危険な方向に動かすことができます。この有害な言語行為のメカニズムを過去の実例をもとに明らかにし、それにどう対処すべきかヒントを与えてくれるアクチュアルな一冊を是非読んでみてください。
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