もうかなり前ですが、ロシアの大学から来た留学生に日本語を教えていて、いつまでも学生たちがうまく使えるようにならない表現に「~てくれる」の表現がありました。日本語の上級レベルの学生たちでしたが、工場見学に行った後でこう書きました。

 工場の人たちは私たちを温かく迎えました。
 工場の係の人は丁寧に説明しました。

 日本語教師としては、これで文法的な誤りは全くないけれど、このままでは日本語らしくないとして、

 工場のひとたちは私たちを温かく迎えました。⇒工場のひとたちは私たちを温かく迎えて〔くれ/ください〕ました。
 工場の係の人は丁寧に説明しました。⇒工場の係の人は丁寧に説明して〔くれ/ください〕ました。

のように添削していました。起こったことの事実としては「温かく迎えました/丁寧に説明しました」で十分伝わるのですが、工場見学の報告文としては事実だけを伝えるのでは不十分で、迎えたり説明したりする相手の行為に対して恩恵を受けたと感じて、それを言語化するのが日本語らしい文というわけです。

 ロシア語という、事実だけを述べればいい言語で育ってきた学生たちには、受けた恩恵をことばにする習慣がなくて、いつまでも、「~てくれる」をつけないままの日本語を書いていました。

 日本語では学校で教師が生徒に教える場合も、

 ○○先生がわかりやすく数学を教えてくれたので、よくわかった。
 先生は、生徒の気持ちをわかってくれない。

など、ほめたり不満を言ったりしていますし、家族の中でもいつも言っています。

 起してくれないから遅刻してしまった。
 こどもが親の言うことをきいてくれない。
 親切にしてもらって嬉しかった。
 助けてもらってありがたかった。

など「~てもらう」「~てくれる」を使って、自分が受けた行為に対する感謝や、恩恵を受けられなかったことへの不満を表現しています。こうした表現を文法的形式として持たないロシア語の学生は、日本語の文章を書くとき苦労していたわけです。とはいっても、ほかの表現で恩恵や感謝を表すことはありますから、それがない言語がおかしいとか、日本語は恩恵の押し売りをしているとか、すぐ結論を出せるようなことではありません。

 以下はそうした恩恵表現の持つ不都合な面についての例です。 毎日新聞9月29日の「女の気持ち」欄に「大学院修了」という題の投書が載っていました。投書の主は、Oさんという73歳の女性でした。73歳で大学院を修了するなんて、すごい前向きな元気な女性がいるもんだとよく見ると、職業欄に「会社役員」とあります。ますますすごい女性だと感服しながら読んでいきました。

 学位記授与式に参列した感激を述べた後、「大学院への入学を許可してくれた夫が、2年前、病に倒れた。介護と会社の引継ぎをしながら論文を書くのは限界に近かった」と書いています。くじけそうになり「自暴自棄になる一歩手前の時、励ましてくれたのが教授であり学友たちであった」とも書いています。

 ここに「~てくれる」が2か所出てきます。

 最初の例は、「入学を許可してくれた夫」のくだりです。73歳で、会社役員で、大学院に入学しようという極めて自律的・能動的な生き方をしているらしい女性が、「許可してくれた夫」と書いていることへの驚きです。

 うがった見方をすれば、実際は許可などなくても大学院に進学したのだけれど、妻に理解ある夫だと見せたくて、あえて「許可してくれた」と書いたということかもしれません。でも、なぜ理解があると見せる必要があるのかとなると、やはりこれはジェンダーギャップ問題の範疇に入ると言えましょう。73歳という、立派に年月を経て人生経験も豊かで分別力も十分ついている、しかも会社役員をしているような実力派の女性が、大学院に入るときには夫の許可を得なければ実現できないということが問題です。

 もうひとつの「~てくれる」の「励ましてくれた」は、教授や学友の励まし行為に対する感謝の気持ちの発露ですから、違和感はありません。

 さて、日常生活で「夫に家事を手伝ってもらう/子どもの面倒を見てもらう/「保護者会に出てもらう」と妻たちは言います。「夫が家事をする/子どもの面倒を見る/保護者会に出る」という夫の事実上の行為を言うだけでなく、自分に対する恩恵を求めた表現をします。その行為が実現すると「~てくれた」の表現を使って、「夫が家事を手伝ってくれた/子どもの面倒を見てくれた/保護者会に出てくれた」と恩恵を受けたことを言語化します。

 その延長として、73歳の会社役員女性の「夫が許可してくれた」大学院入学があります。現実の日本社会では、残念ながら夫の行為に恩恵を感じ、許可を求めなければ円滑に進まない、だから名を捨てて実を取るという方策として、「~てくれる」がよく使われるという面もありましょう。でもその方策では、男性の意識は変えられません。やはり正攻法でいきましょう。

 夫が家事をし、子供を育て、保護者会に出ることは恩恵ではなくて、夫として父としての当然の役割です。独立した成人女性が自分の意思で大学院に入学するとき、夫の許可は不要です。この原則に立って、「~てもらう」「~てくれる」の使い方を考え直してみませんか。ロシアの留学生式に、「夫が保護者会に出ました」でいい場合もたくさんありそうです。夫に「~てもらう」、夫が「~てくれる」と言い続ける間は、夫は「~てやる」と威張り続けるのではないでしょうか。