第1回フェミニズム入門塾が10月15日に開催されました。キラキラしたまなざしの受講生たちの熱気ムンムンの活発な議論が展開されました。
第1回「リブとフェミニズム」に参加した受講生のレポートを掲載します。
フェミニズム入門講座第1回レポート 2021年11月4日 藤井
第1 本稿の内容について
本稿では,講座第1回の内容から,リブとフェミニズム(第2),第2波フェミニズム(第3),第4波フェミニズムの有無と発生源(第4),アンソロジーを作るということ(第5)の4点について述べる。
第2 リブとフェミニズムの思想・背景について
第1波フェミニズムは,19世紀半ばから20世紀初頭にかけて展開された,政党の女たちによる婦人参政権獲得運動であった。
その後,日本における女の運動という観点からみれば,リブ誕生までの約70年間に,主婦連や消費者団体,母親大会等の婦人運動があった。
しかし,これらの活動は,主婦や母親という,女の性役割に基づく団体によって行なわれていた点で,「女」性を根本的に問い直すフェミニズムとは異質なものであった。
日本のリブは,世界がベトナム戦争のさなかにあり,日本社会が学生運動の解体期を迎えていた1970年10月21日,国際反戦デーにおける女だけのデモをきっかけに広がった女性解放運動である。
リブは,このように学生運動や反戦運動から出発しながらも,「便所からの解放」というマニフェストが宣言するとおり,それまで用途別に分断され,引き裂かれてきた状況からの女の解放を追求した。
リブは,その「性」も含めて,女が女であることを徹底的に問い直し,外圧のみならず,女自身の内なる呪縛からも自己を解放しようとした点で,他者救済・権利要求を軸にしていた第1波フェミニズムとも,性役割に基づいて行われていた婦人運動とも違っており,まさにそれは「リブ」以外の言葉で表現しようのない運動であっただろう。
また,その主な担い手も,政党の女たちや主婦ではなく,働く,若い独身女性たちであった。
リブは,1972年の優生保護法改正阻止運動でひとつの山場を迎え,その後徐々に収束していく。このとき,女に選択を強制する社会状況を非難し,「産める権利」を主張した母性主義は,日本のフェミニズムの固有性でもある。
その頃,1975年の国連「国際婦人年」に向けて,女性国会議員を中心に,既存の組織の婦人部や婦人団体が連帯する動きが起きた。
そこに,それまでリブに共感してきた「主婦リブ」「中年リブ」も加わり,同年の「メキシコ宣言」後,男女平等の法整備に向けた女の運動が広がっていき,1985年に男女雇用機会均等法が成立する。
他方,学問の領域においては,1970年代後半から「女性学」が成立し,それまで自明とされてきた主婦の問題をはじめとする女の問題が女自身によって研究され,女の経験が言語化・理論化されていった。
第3 第2波フェミニズム
1 日本におけるリブ以降の女の運動について,1975年「国際婦人年」を境に,それ以前をリブ,以降をフェミニズムと呼ぶことがあり,両者を断絶したものととらえるか,連続的なものとして第2波フェミニズムととらえるかは,一つの論点である。
たしかに,両者は主体の年齢層や属性,運動の方法,行政との距離感等を異にしており,その戦いの領野を私的領域における女の解放にしたか,公的領域における男女平等にしたかという点で違いがある。
この点については,運動の担い手であった当事者間でも見解が分かれる問題であるから,以下は私見であるが,私は,両者を連続的なつながりをもつものとして,日本における第2波フェミニズムととらえるべきだと考える。
なぜなら,国際婦人年をきっかけに,それまで「女性政治家」「働く女」「主婦」「母親」と役割ごとに活動していた女たち,が,「女」という根っこの部分で連帯し,それを行動に移していった背景には,吉武輝子の回想にもあるように,リブよりも上の世代の彼女たちが,分断されていた女の全体性を回復するというリブの思想に共感し,リブの言葉の中に自分たちの言葉を見つけ,それを行動に移す機会を待っていたというリブとのつながりを見出すことができるからである。
このようにして,日本の第2波フェミニズムを,「中年リブ」や「主婦リブ」が支えていたことは,日本のフェミニズムの固有性でもある。
2 もっとも,このようにして若いシングル女性から中年の主婦にバトンが受け渡されたことによって,一方で,フェミニズムが前進したという良い点もあったが,他方で,リブのメッセージがそこに根付かなかったという負の点もあったと思う。
主婦が受け取ったリブの「女の解放」のメッセージは,主婦が発信する際に,既存の構造を前提とした「男女平等」に置き換えられ,その結果,後者のメッセージの方が後の世代に引き継がれたのではないだろうか。
なぜなら,主婦は,被害者と加害者の両面性に苦しむ存在でもあったが,それと同時に,その指定席に座っていれば人生が保障され,既に税制や年金,相続といったあらゆる面で優遇されていた特権階級でもあり,理想で主婦にノーと言うことはできても,現実にその指定席から降りることができなかったからである。
結果,後続の世代では,女も男と同じように働ける時代だということは学校や家庭で繰り返し教えられたが,リブの言葉は根付かなかった。だから今,私のような世代は,田中美津や深見史らのリブの言葉を読んで,こんなことを50年も昔に言っていた人がいたのかという驚きを感じてしまう。最近,私たちがまるで発見でもしたと思っていた女の問題は,新しくもなんともなかったということに気付いた,講座第1回であった。
第4 第4波フェミニズムの有無と発生源
講座第1回では,「今,第4波フェミニズムは起きているか,そうだとすればそれを作り出したものは何か」という,『新編日本のフェミニズム』以後の新たな問題が提起された。
これについては,「第4波は現在進行形で起きている」というのが,今回の発言者の間で一致した意見であった。
そのきっかけについては,#MeToo運動,エマ・ワトソンら海外のインフルエンサーの発信によるポップカルチャー化・ファッション化,SNSによる個人の経験の言語化と共感の可視化など,年代や属性によってとらえ方が様々であった。
私は,上記の出来事よりもやや遡るが,「保育園落ちたの私だ」運動も,今に続くきっかけとなったと考えることも可能であると思う。
なぜなら,それは,「私も(MeToo)」という同調や共感ではなく,「私だ」という言葉で,まさに「個人的なことは政治的なこと」というフェミニズムのスローガンを体現していたからだ。
「保育園落ちたの私だ」は,リブの言葉を知った今振り返ると,「子を産んでも活躍できる女」と「できない女」に分断された女たちの,私たちをそこまで追い詰めた社会に対する叫びだった。
第4波については,今後の講座でも議論の機会があると思われるので,検討を続けたい。
第5 アンソロジーを作るということ
講座第1回の講師上野千鶴子先生が再三強調されていたことは,アンソロジーをつくることもまた政治であり,何を取捨選択するかに編集者の思想が表れるということである。
私は,本講座に飛び込んだとき,どこかに存在するはずのフェミニズムの通説,あるいは正しい考え方のようなものを,ここで知ることができるはずだと思っていた。しかし,講座第1回目にして,早くもそのような権威的なものはないのだということが分かった。
上野先生は,私たちに「もし自分が編集者だったらどんなアンソロジーを作れるかを考えながら,本講座を受講してほしい」と仰った。
どんなアンソロジーを作れるか,そこに各自のフェミニズムがあるはずであり,私も,本講座を通じて,自分の言葉,自分のフェミニズムを見つけたいと思っている。
以上
「リブとフェミニズム」レポート 受講生びん
日本の「女性解放運動」には、これまで「うさんくささ」を感じ続けてきた。この理由は、博士号を取得した直後から数年間、論文が書けない時期があったことに起因する。わたしは、第ニ次世界大戦後の占領期日本で、占領軍兵士相手に関わった女性たちの研究をしている。社会では「パンパン」(占領兵相手の売春婦)と呼ばれた女性たちである。
博士号を取得したとき、某ジェンダー関係の大御所研究者から、「あなたの研究は、女性運動を担ってきたひとたちをないがしろにする研究だ」と言われた。
ジェンダー関係で発言力のあるその方の一言で、一気に奈落の底に突き落とされた思いがした。突然、研究をすることが恐ろしくなった。「女性のためにがんばっているひとたちを、傷つけてしまうのではないか」、という恐怖が常に起こり、研究どころではなくなった。
数年たって研究を再開した。言語化できないモヤモヤ感がずっとあったからだ。先行文献を読みこんでいくと、これまで「女性運動家」として名前を連ねた人物に徹底した「娼婦差別」があったことを見出した。「女性運動」や「女性解放」は、「ふつうの女性」のための「運動」であり「解放」であると知った。「パンパン」と呼ばれたひとたちは、そうした運動の「対象外」だった。
彼女たちは、同じ女性ではないのか?
この疑問が、モヤモヤ感の正体だった。
第1回目の講座「リブとフェミニズム」の配付資料をじっくり読んだのは、じつは2回目である。1回目は2016年頃の立命館大学先端総合学術研究科の大学院の授業だった。このときわたしは立命館大大学院上野千鶴子ゼミのもぐりの学生で、上野先生の大学院の授業にも参加していた。
今回資料を読んであらためて気づかされたのは、リブが主張してきた女性の解放は、いわゆる「ふつうの女性」限定の解放ではなかったことだ。わたしが研究でずっと主張してきたことだった。この事実を、2016年のときは完全に見落としていた。田中美津さんがすでに1970年に、「便所からの解放」とスリリングな言葉で女性の解放を訴えていたことを、当時、上野先生は授業で何度も強調されていたにもかかわらず。わたしも「ふつうの女性」限定の運動家たちと同じ視線だったのだ。
占領期時代の『婦人公論』では、「パンパン」と呼ばれた女性たちのことを「救済/侮蔑」の対象という視点からしかみようとしない知識人女性たちの特集が何度も組まれている。また、発言力の大きかった教育評論家の神崎清氏は、彼女たちのことを占領兵たちから、「イエロー・スツール(黄色い便所)」と呼ばれている、とくりかえしメディアで発言した。こうした考えに対する異議申し立てこそ、田中美津さんの「便所からの解放」なのだ。
配付資料のように、「世界的な第二波フェミニズムの流れのなかに日本のリブを位置づけようという意図」(p24)があって、「リブ」が「フェミニズム」に置きかわったのだとすれば、第二波フェミニズムはリブの思想が組み込まれていることになる。
だが「パンパン」という語がタブー視されている現状をみるかぎり(カミングアウトできないまま当事者が亡くなっている限り)、リブの思想はみえてこない。女性たちは分断したままのようにみえる。
ところが、「パンパン」といわれたおねえさんたちのことを公に語ってくださる女性が現れ(2015年)、その数は、ゆっくりとではあるが着実に増えている(2020年新たに1名の女性)。「墓場まで持っていこうとした記憶(証言者の言葉)」を語ってくださった。50年(半世紀!)の歳月を経て、ようやくリブの成果がみえてきた!
リブの思想が組み込まれているフェミニズムこそ、あらゆる女性が手を取り合う可能性に満ちている。
だからこそ、今後のフェミニズムに大いに期待している。
2021.11.12 Fri
カテゴリー:新編「日本のフェミニズム」
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