このところ、コロナのせいかどうか知りませんが、家の周りの工事がとても多くなりました。水道管の取り換え、道路の補修、宅地造成と重なって、工事の車の出入りが激しくなっています。道路わきにぴったり工事の車がとめてあります。家の前の通りには、作業着でヘルメット姿の人がいつもどこかにいるようになりました。測量の人が三脚を立てて測量もしていましたし、水道管工事で道路を掘った個所では、ヘルメットの男性が通行人の誘導もしています。

 この通りはわたしの朝の散歩道なのですが、そのまま500mぐらい行ったところの家の角に、先月から小さなボックスが立つようになりました。中には警官が、杖のような棒を手にして道路を向いて立っています。やっとひとり立てるだけの狭いボックスです。ちょっと座りたくなって座ろうにも、椅子も置けそうもありません――警備勤務中の警官が座るなどありえないのかしれませんが。

 さて、工事の人たちの仕事はさまざまですが、大きなトラックに機材を積んで運んでくる人、コンクリートを壊す人、道路を掘る人、掘った土を運ぶ人、土地をならすために小型のブルドーザーのようなものを操縦する人、邪魔になる木を切る人、全部男性です。

 そして、周辺には小学校が2校、中学校が1校あって、この通りは通学路になっています。コロナのひどい時でも、朝はけっこう密になっていた人通りの多い通学路です。いろいろな工事の人が働くのを見ながら子供たちは通学します。外で働く父親や母親の姿を知らない子どもたちも多いと思いますが、いろいろな職業の大人たちがせっせと働いている通りは、現実の社会を知るもうひとつの学校です。

 ある朝、散歩の途中で例のボックスのそばを通りました。その時は珍しく女性の警官が立っていました。寒い朝でしたので、つい声をかけました。「寒いのにお世話様、どなたか偉い方がお住まいですか」と。警官は黙ったままうなずきました。それで角を曲がって表札を見ました。家に帰ってネットで調べてみたところ、今度の組閣で入閣した大臣のひとりでした。大臣の家には24時間警官が立つのです。

 寒そうな女性の警官でしたが、この通りで制服で働いている初めての女性でした。そして、これぞジェンダーギャップ劣等生の日本の社会の実像と思いました。水道管も道路補修も宅地造成も、工事の現場には女性はひとりもいません。大きな車や機械を動かして働いているのはみな男性です。

 通学の途中、働く大人たちを見て子どもたちは育っていきます。自分の将来も描くでしょう。男の子は、あのおじさんかっこいい、ぼくもあんな機械を自由に動かしてみたいと思うかもしれません。もっといい機械を作ってやると思う子もいるかもしれません。女の子には、そのモデルがないのです。たまに警備に立つ警官だけしかいないのです。工事現場を見ても女の子のモデルがいるわけがない、と言われるかもしれません。力のいる仕事は体力的に劣る女性には向かない、とも言われそうです。

 ところが今の現場は違うのです。わたしの見る限り、今は土を掘るのも、掘った土を運ぶのも、それを埋めるのも、宅地を造るために邪魔な木を切るのも、みんな機械がやっています。人が汗をかきながら土を掘り、それをもっこで運ぶ、のこぎりでごしごし木を切る、などというのはもう古典の世界です。人の力で掘ったり切ったりは何もしていません。いろいろな機械を選んで使い分けながら、みんなモーターの力でやっています。特に体力を使わなくても、機械や道具を操作できれば大丈夫です。建築や土木や造園の仕事など、女性がいくらでも働けます。

 今の小学生を見ていると、女の子はとても元気で活発です。男の子と同じ夢を見ている子も多いでしょう。大きな機械を思う存分動かしてみたい子もいるでしょう。小学生時代はとても積極的でたくましく、何でもできると夢を見ていたのに、社会の圧力でどんどんつぶされ縮められていったのが、多くの日本の女性のたどった道です。

 今、屈託もなくひたすら元気で明るいこの女の子たちに、再びその道をたどらせたくないです。男の子にやりたいことは何でもさせたいと思うと全く同じように、女の子にも何でもやりたいことはやらせたい、それには女の子のモデルが少なすぎます。

 もっともっといろんなモデルが必要です!!