2月4日
さてボストンは目下寒中のさなかです。キーンと晴れて雲一つない快晴の時こそ日中の気温が摂氏0度以下。吹雪や危険な気候が理由で、1月下旬には2度ばかり休校のメールが出回りました。ボストンも停電になったりと、大変だったようです。
コロナが少しずつ下火になってはいるものの、一部は、まだまだオンライン授業中です。全員に毎週のPCR検査を義務付けながら。単なる一私立大でこれができるのは、アメリカの凄さでしょう。ワクチン接種はCVSと言われる薬局で、一般人のコロナ検査も、指定のところ(大学の診療所等)で予約が取れればできます。日本のように官僚的でなく、裁量がより自由であるせいだと思われます。
閑話休題。


写真は私の部屋から見た雪景色です。外に出るのはイヤだったので、無精して部屋の中から。シンシンと降り続けました。
もう一つの写真は、初日の出と言いたいところですが、ある日の素晴らしい朝焼けです。これをあえて撮ったのは、この日の出を、どこから見ても同じものを見ているのだという感動でした。
時間や場所や見え方が違うだけで。ある時の満月も同じような気持ちをいだきました。地球は広いと言いながら、どこからでも同じ月を見ているということは、広いより狭いと感じさせてくれた、というか宇宙が広いと言えばいいか。

久しぶりにボストン美術館を訪れました。友人が、布が好きで、キルト展を見に行ったのです。
中に一つ珍しい展示がありました。それは第二次世界大戦中、ほうぼうの収容所に入れられた日系米人の、子どもたちの作品です。
もう一つの説明に、アリゾナでの収容所生活の中で、4年生のマサコ・ヒラノさんを中心にして作ったとあります。80年近くよく保存されていたと思います。
◆ボストン美術館: https://www.mfa.org/about(7月に「ボストン美術館展 芸術×力」が東京都美術館で開催されます)

さて、アメリカで日本より男女平等がなぜ進んだかについての私見を書いて、終わりにしましょう。
アメリカの特徴は、まず何を置いても多民族、多文化、多言語の国であるということです。一概にアメリカと私たちは言いますが、一枚岩でないのは言う必要もないと思われます。
そのような国で、それぞれが自分たちの立場や取り扱われ方についての批判を繰り広げます。理由は、やや単純化すると、白人中産階級が(現在でも多数)何かと権力の中心にいて自分たちの権力を使用したいからです。
黒人差別はどなたもご存知でしょう。そこにメキシコ等の中南米人、有色人種(color of people)、アジア系、ネイティブ・アメリカンという人種・民族性に加えて、セクシュアリティとジェンダー・アイデンティティの主張が加わります。
便りno.2でプロナウン(代名詞)のことを書きました。つまりはアイデンティティ・ポリティックスです。マイノリティ・ポリティックスと言ってもいい。自分たちは無視され、片隅に追いやられてきた、もうそれはイヤだ、という主張。
例えば、別の例をあげれば、コロナ禍、マスク着用やワクチン接種の強制は、裁判闘争にまでなります。同じ次元で、いくら無辜の人が殺されようと銃規制が出来ない。良し悪しではなく、これがこの国なのです。
ジェンダーの授業で、障碍者フェミニズム、肥満フェミニズム、人格障害フェミニズムを学びました。無視されてきたと主張する彼/女からインターセクショナリティ・フェミニズムの概念が発達してきたのですが、私としてはこのような各論でなく、統合的なジェンダー論やポストフェミニズムを知りたかったのですが。
ともあれ、この「異」なるものの存在とその主張が緊張やズレを引き起こします。決して一枚岩でない、このスキマに新しい「もの」が入り込む余地が生まれると私は思っています。「異」なるものの存在や衝突があってこその結果ではないでしょうか。多少の雑駁をお許しください。もう少し丁寧に考えてみたいと思っています。
私はもうボストンにはおりません。これで私の便りは終わりますが、ボストンで楽しい活動的で魅力的な日本女性と出会いました。以降は、彼女たちが「ボストン便り」を投稿します。どうか引き続きお楽しみに。
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