
「太宰治『メリイクリスマス』のモデル、凛とした少女は、生涯かけて人びとに、居心地のよいサロン、帰る場所をひらいた」――これは『聖子』の帯のキャッチコピーだ。
本書は、新宿のバー「風紋」のママとして、60年間店を開け続けた林聖子さんの一生を聞き書きしたもの。バーというと、華やかなイメージだが、「風紋」は多くの人にとって、ほっと一息できる場所、一種のアジールだった。その特別な場所を支えたのが聖子さんであり、そのさっぱりとしたお人柄を帯の文章で伝えたかった。
聖子さんは、1928年画家・林倭衛の長女として生まれた。戦前に父を、戦後すぐに母を亡くし、恋人とも死別し、出版や演劇にも携わっていたが、生きるためにバーを続けた。
そこには、檀一雄、木山捷平、長谷川四郎、色川武大、田村隆一、中上健次など文学関係者、古田晁、粕谷一希、高田宏などの編集者、浦山桐郎、大島渚、勅使河原宏などの映画関係者、竹内好、丸山真男、藤田省三など思想家、洲之内徹、鴨居羊子、鴨居玲などの美術関係者、綺羅星の如く多くの人が集った。聖子さんは有名人だろうが無名の人だろうが分け隔てがなかったという。
前半は父である、アナキストに近しい画家・林倭衛の生涯を追う。パリで林が世話をした大杉栄、飲んで最後は必ず喧嘩になった宮嶋資夫、貧乏を極めた辻潤と辻まこと親子、母の友人である太宰治……こちらも登場人物には事欠かない。
聖子さんは父・倭衛をこんなふうに評す。「付き合うには実に面白い男だと思いますが、亭主だとしたら呆れる」。父はフランスにも聖子さんとほぼ同じ歳の息子がいたらしい。
檀一雄は店で勝手につまみを作り始め、竹内好は酔って店の階段を転げ落ちる。
若くして亡くなった恋人は哲学者・出隆の息子で、今も出家とは交流が続く。勅使河原宏は恋人だったことがあり、「風紋」の20周年パーティーは草月会館で行われる。森さんは書く「恋愛が友情になり、長く続くことはあらまほしき姿である」。どんな小さな縁も切れることなく、店を通してつながっている。
林聖子さんは、2022年2月23日16時頃静かに息をひきとった。94歳の大往生だった。寝込みがちだった聖子さんだが、この本を確かにお渡しすることができた。
◆書誌データ
書名 :聖子ーー新宿の文壇BAR「風紋」の女主人
著者 :森まゆみ
頁数 :304頁
刊行日:2021/10/23
出版社:亜紀書房
定価 :1980円(税込)
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