
平井美帆『ソ連兵へ差し出された娘たち』(332頁 集英社 2022年1月30日)
*平井美帆(以下敬称略)はノンフィクション作家。本書は、2021年第19回「開高健ノンフィクション賞」受賞。
提供された女性の「性」
岐阜県黒川村の黒川分村開拓団(以下黒川開拓団)第1陣が「満州国」陶頼昭(現中国吉林省)に向けて出発したのは1942年3月。最終的に129世帯、600人余が、もともと現地の人々1000人が暮らしていた家、土地を奪って入植する。平井は、この黒川開拓団関係者の丁寧な聞き取り、関連刊行物の読み込みで、敗戦後、何が起きたのか、また帰国後、関係者が歩んだ道の細部を本書で明らかにし、性暴力被害者の声に耳を傾けることを忘れてしまっていた「私たちの社会」を問う。
敗戦を前にした関東軍の撤退、「満州国」の崩壊、ソ連軍の進駐、黒川開拓団を襲った現地中国の人々、ソ連兵の略奪・強姦、隣の開拓団の「集団自決」。現地にとどまった黒川開拓団は、生き延びるためにと、駐留してきたソ連軍に、警護を依頼し、その見返りに数え年18歳以上の未婚の女性(根こそぎ動員で男性は次々現地召集されていたため若い既婚者は兵士の妻、兵士の妻の貞操は守らねばならない!)15人を「提供」し、この女性たちの行為を「接待」と呼んだ。性病、チフスなどで15名の女性のうち4名が帰国前に亡くなる。逃避行の中では、15名以外の女性も多数が性暴力の被害を受けた。
被害者が語ることを阻んできたものは?
帰国後は、地域社会で「汚れた女」と言われ、「接待」を決め実行した開拓団の元責任者に「ソ連兵のケツを散々追いかけてたじゃないか」とまで言われ、それでも多くの「接待」の被害者は地域社会で生き延び、被害を語り始めた。でも社会に広く伝えることを彼女たちは「阻まれてきた」(山本めゆ「阻まれた声を通して性暴力を再現する―黒川遺族会の実践から」『性暴力被害を聴く』岩波書店2020年)、それはなぜか。本書は「遺族会の男たち」「抑圧される声」という項を立てこの問に迫る。1983年林郁が3名の被害体験を雑誌(『宝石』)に寄稿(槙かほるの筆名「満州開拓団・処女(おとめ)たちの凄春」)したが、黒川では、雑誌の店頭買い占めが行われ、取材に応じた安江善子は「あんな風に書かれたこと」を申し訳ないと、わびる手紙を遺族会長に送っていた(平井は「心からの悔いは見られない」と記すが 254頁)。遺族会を核とする引揚者共同体は、外部へ「被害体験」が広がることを許さなかったのである。その複雑な構図を本書は明らかにする。
消費される被害者―懸念される状況
2016年、平井は本書の骨格となる文章を『女性自身』(2016年10月)に寄稿した。これをきっかけに後追い取材が始まり、NHKをはじめとするメディアが黒川に押し寄せた。2017年8月にはNHKで「告白―満蒙開拓の女たち」が放映され、社会に広く知られるきっかけとなった。現在、ウエブ検索すれば黒川開拓団の「接待」をテーマにした動画が複数ヒットする。平井は、この間NHKの取材姿勢を、そのブログ(平井美帆 MIHO HIRAI BLOG (livedoor.jp)で厳しく批判してきた。本書でも遺族会やその関係者に忖度した皮相的な取材で誤った情報を史実のように報道していると、批判する。何より被害者が度重なる取材で消費され、再び傷つく状況が生まれていると警鐘を鳴らす。性暴力被害報道の在り方にも関わる問題である。
また周知のように、日本人性暴力被害者の「沈黙」を称賛し「わしはこのような日本の女を誇りに思う」(山本前掲211頁)などの言説をふりまく小林よしのりのような輩や、ソ連兵、中国人の女性に対する加害行為を殊更言い立て、日本軍「慰安婦」の問題を歪曲する保守系論壇や歴史修正主義者による、黒川の被害者の尊厳を踏みにじる悪用が懸念される。その中だからこそ、平井が、被害者と信頼関係を築き、尊厳回復を願い、「事実」「想い」を明らかにした本書刊行の意義は大きい。
被害者の声を聴く―受け止め、次世代につなぐ
性暴力被害者の語りを聴き取り、その痛みを受け止め、記録し、尊厳の回復をはかり、継承していくという取組みが進んでいる。前掲の林郁の仕事は書籍化されている(『新編 大河流れゆく―中国北辺の旅』ちくま文庫)。また現在、山本の前掲書だけでなく、『戦争と性暴力の比較史に向けて』(岩波書店2018年)にも黒川開拓団の女性をめぐる論考が収められ、戦時性暴力という視点からの研究も進んできている。そういった状況にディテールにこだわり、全体像を明らかにしようとした本書も一石を投ずるはずだ。
また開拓団の「接待」を直接体験していない戦後世代による、次世代につなぐ活動が始まっている。4代目遺族会会長が中心となって進める満蒙開拓平和記念資料館(長野県阿智村)との連携(2013年の安江善子の証言は、その成果)、また現地白川村黒川の佐久良太神社境内の4000字に及ぶ説明パネル版設置は、記憶の記録・継承の意欲的な実践と言えよう。パネル板の説明文には、加害の歴史、被害者の「想い」も記されている。除幕式では遺族会会長から被害者への「謝罪」も行われた。パネル板設置が一部関係者の了解を得ていなかった、碑文に人権問題としての言及が弱いなどの本書の指摘は今後の課題だ。
おわりに
最後に気になったこと。「満人」という言葉が、関係者の語りだけでなく、地の文に頻出すること。「満人」は、満州国という虚構が生み出した差別的な言葉であることが自覚されているにも関わらず。開拓団の歴史は、加害の歴史でもある。
「接待」は誰が決定したのか、本当に集団自決か女性提供の二者択一しかなかったのか。最終章では「接待」を「男と男のあいだの交渉と取引によって生じた暴力」と書き切る。そして黒川の性被害を聴いて来なかった歴史は、岐阜の小さな山里で封印されてきただけでなく、現代にも通ずる、今も根強く存続する女性の「性」を物として消費する文化的土壌、それに無自覚な男たちたちの問題でもあると書く。本書を丁寧に読めば、それに無意識に加担する女性、社会のありようも浮かび上がる。本書が投げかける問題意識の共有は「#Mee Too」「#With You」運動、フラワーデモなどでやっと始まったばかりなのかもしれない。(やまだ・たかこ)
*書評執筆者により一部削除の上再掲 2022年6月7日
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