「産まれたし、産んだ。」

こう書き出された出産記「はい、こんにちは」が送られてきたのは、産後わずか10日のことでした。

著者であるアートコレクティブ・Chim↑Pomのエリイ氏によれば、書き出しの理由は「『産まれた』だけでも『産んだ』だけでも違うから」。
このシンプルな理由から、著者の基本姿勢を、読み取ることができるかもしれません。

本書は文芸誌「新潮」で2019年から連載されていたエッセイ(というよりも、魂のドキュメント)を纏めたものです。 連載開始時には予期しなかった、著者の妊娠・出産、そしてパンデミックを経て、他に類を見ない一冊となりました。

冒頭からわかる通り、たった今、自分から生れ出た赤ん坊すら、著者にとっては完全なる他者です。
親子問題の多くが過干渉、共依存から生まれている人間世界において、刮目すべき態度です。

思えば原稿を月に一回、受け取りながら、折に触れて思い出す言葉がありました。
連載を開始した2019年9月号に同時掲載された上野千鶴子氏「戦後批評の正嫡 江藤淳」より。

「妻は自分の一部だから、妻を殴ることは自虐行為なのです。」

つまり、他者を傷つけることは、自分と他者を同一化することに出発している、と解釈しました。
過干渉、共依存、DV。すべて自己と他者の境界を見失うことから生まれる悲劇と言えるでしょう。

裏を返せば他者を尊重することが、自己を愛すること。あるあるのフレーズですが、具体的に実践するのは至難の技です。

ここで冒頭の一文、「産まれたし、産んだ。」に立ち戻ってみると、言葉で正確に思考することこそが、はじめの一歩ではないかと思えます。
著者は書くことで、「産んだ」でも「産まれた」でも言い表せない事実の存在に、誠心誠意向き合ったのです。

堅い話が続いたので、最後に、著者のユーモアに触れられるフレーズを3つ紹介して、締めくくりたいと思います。

「妊娠中のマンコ見てみなよ」
「他人も苦労している。苦労して、退屈しているだろう。」
「強敵は高齢者で、男女の存在は当たり前ではないかもしれないという発想は、毛髪1本分も無い。その顔面迫り来る強さに、心は消耗した。」

「はい、こんにちは」は、著者が赤ん坊に、初めて伝えた言葉です。
潔い生命力に満ちた一冊を、ぜひお楽しみください。

◆書誌データ
書名 :はい、こんにちはーーChim↑Pomエリイの生活と意見
著者 :エリイ
頁数 :176頁
刊行日:2022/1/31
出版社:新潮社
定価 :1980円(税込)

はい、こんにちは

著者:エリイ

新潮社( 2022/01/31 )