【フェミニズム入門塾 第4回「権力と労働」受講生レポート】

◆フェミニズム入門講座 第4回レポート  野口 2022年2月

2月18日開催、第4回目のテーマは「権力と労働」。講師に東大名誉教授で経済学博士の大沢真理先生をお迎えした。
「権力と労働」
講義では、権力と不可分離である労働が、「社会の動き」、「政治」、「立法」によってどのように取り扱われてきたかが様々な関連文献(一部要注意文献も)の紹介と共に示された。「権力」は、労働の場での女性の独自の経験を、フェミニズムが生み出した新しい「権力」概念=「家父長制」によって問題化する、と説く。権力と労働が切り離して考えられない理由として、1,労働市場で取引する当事者は「自由で平等な個人」ではない点、2,賃金がせめて費用を賄うように、労働組合・慈善・労働市場規制・公的扶助・社会保険(権力的介入)などが必要 であるとされた点、3, 主として女性が担う無償労働を無視しながら、労働は男性を中心とする雇用労働を前提として社会政策・福祉国家が設計された点を挙げた。
新編から今日への社会の動き
2009年発行の新編から今日までの社会の動きの中で、フェミニズムが明に暗に担ってきた役割が示された。一例として、2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を挙げ、SDGsでは、ジェンダー平等と女性のエンパワーメントが 環境問題をはじめとする全てのゴールに対する前提条件である点を強調した。そのためには女性が「層として」存在することが大切であり、最初に目指す女性率のゴールとして全体の「3割」を推奨した。(後で調べましたが、ロザベス・モス・カンターの説いた組織のなかでマイノリティの割合が3割となったときに、組織全体の文化が傾くという「黄金の3割」理論の事のようです)。併せて、新型コロナ感染症の蔓延後、既にパンデミックのジェンダー分析が国際フェ ニミスト経済学会、社会政策学会、日本フェミニスト経済学会などによって進められている点も紹介された。
アフタートーク
個人情報なので詳細は差し控えるが、アフターセッションにてある生徒から「相手に理解してもらうためには、相手に解ってもらえるようにしなければいけない、仕方ない」という趣旨の発言が、とある支援を必要としている子どもから同じ立場の子どもに話されていた、との共有があった。ショックだった。ほんの10分前に自分も同じ考え方で質問をしてしまっていたからだ。「ジェンダーギャップに理解のない自社の役員たちが、ダイバーシティプロジェクトの重要さを理解できるような論やデータを知りたい」と。フェミニズム運動とは、自分達の正当な権利について相手に解ってもらうために声を挙げてきた勇気ある女性たちの活動である、と考えているけれど、理解してもらうための努力をすることは「当然のもの」、と受け流すことは、何かを放棄しているだろうか、思考が麻痺してしまっているだろうか、と講義の後一人考えた。相手に解ってもらえるように、考えて、悩んで、準備して、努力して、努力して、努力して。立場も状況も全く異なるし、名前も顔も知らないけれど、前述の発言主の努力がどうか報われていますように、と祈らずにはいられなかった。
新しい試み
第4回講座は、初めて生徒の一人が司会を務めた。また、アフタートークから「働くとは何か」というテーマに対してホームルームを設けたり、slack上で生徒による自治を行ってはどうかというディスカッションが交わされるなど、新しい試みも生まれつつある。元々、フェミニズムについて学びたい、行動を起こしたいという強い意志を持って集まった、様々なバックグラウンドを持つ仲間(敢えてこう呼びたい!)だけれど、どんどん進化して何かを掴もうとしている、本気でこの問題に取り組みたいと滾らせている。そう感じているのは自分だけではないはずだ。


◆フェミニズム入門塾第4回レポート チューヤン

   私は1995年に短大を卒業していわゆる社会人となり、この春で27年になる。
 最初の職場を約3ヶ月で退職した私は、30歳過ぎまでアルバイトや正社員として(無職のときもあった)いくつかの職場で仕事をしてきた。30代で福祉の職場に入り、非正規から正規職員となり働いた。仕事は安定はしていたものの常に不安感がつきまとい、なぜこんなにもしんどいのだろう‥この苦しさはなんなんだろう‥どうやったら楽になるのだろう‥年を重ねるにつれてその気持ちは強くなった。

 40歳を目前にして、いくつかの要因が重なり退職。仕事から離れて心底ホッとした、が不安な気持ちはなくならなかった。なくなるどころか時間ができたことでそれはどんどん大きくなっていった。不安そして自分と、とことん向き合わざるをえなくなった。しかし何をしたらよいのか、自分が何を欲しているのか、それらが分からず堂々巡りの状態だった。そんな中、本を通して出会ったのがフェミニズムだった。私にとって「目からうろこが落ちた」瞬間で、これまでに私が経験したことを紐解いていく始まりになった。
 40歳になるまで私にとって、「仕事」「労働」とは、他者に自分の存在を証明する(特に母親に認められたい)事が大きな目的になっていたように思う。私は何かを成し得なければならないし、上手くいっているように見えなければならなかった。しかし、前述のフェミニズムとの出会いから自己変革を経て現在は、他の人には当たり前と思われるかもしれないが、仕事は自分の為に必要で、自分の為に働いている、と思っている。

 日々を過ごすのに精一杯で、日常のモヤモヤは放置したままだった。放置していたらそれは溜まり過ぎて、何がなんだか分からなくなってしまっていた。けれど、一つ一つ思い出すと、「あんな事されて私は怒ってよかったのに」「あの発言はパワハラだ」「男性に対してはあの発言はしないはず」など、そのままにしていた(特に職場での)出来事に名前や意味を付けて自分の中に落とし込むことが出来るようになった。
 そうやって過ごすうちに、彼ら(女性も含む)のその言動の背景には家父長制的な仕組みや、知らず知らずに刷り込まれたものが関係しているのだ、と思うようになった。そう思うに至ったのは今回の「権力と労働」のようなテキストと出会って、私を取り巻く社会の事や歴史的背景を知ることが出来たからだと感じている。そしてそれと並行して私は衝撃の事実に気づいた。後輩や女性達に対して、これまで私も彼らと同じ様な発言をしたり接したりしていた、という事である。勤続年数の多い少ない、正規と非正規、所得が多い少ない、既婚と未婚、子有りと子無し‥etc‥どちらが上か下か、どちらがイイか、そんな価値観を持っていた。この事実に直面しこれまでを振り返り、それらの人たちへの申し訳なさでいっぱいになった。また、その価値観の中で私が過ごしてきたこれまでの時間を考えて、とてもショックだった。

 今回の講義を受けながら、私の頭に浮かんできたのはこのような私の経験と、母と叔祖母(母は祖母の妹の養女になっていて私には祖母といってよかった)の事だった。母は職場で父と出会い1960年代後半に結婚、(私の計算では)約8年働いた職場を退職し家庭に入った。それから3人の娘を産み育てつつ、外に仕事を求めようとしていたとき、会社から帰った父が「社長に話したら(妻が)外で働くのはダメだ、と言われた」と話したという。母はそのときに「この人達は何をバカな事を言ってるんだろう」ととても腹が立った、とここ何年かの間で話してくれた。母の心はそれで折れることはなくバリバリ働いて、当時小学生だった私に「今月はお父さんより給料が多かった、内緒だからね」とうれしそうに話した事もあった。叔祖母は私が13歳の時に他界したが、どちらの手であったか、指が2本がなかった。後々、叔祖母は関東の方の工場へ働きに行って、指を切断する事故にあったらしいと母に聞かされた。叔祖母は女工だったのだ、と数年前にようやく思い至った。婚約者がいた事もあったらしいが、戦死した兄に代わって家の跡取りとなり生涯独身であった。 第4回目の文献や講座の中で触れた当時の社会の中で、母、叔祖母、それぞれが生きてきた。そこに想いを馳せた。

 フェミニズムについて自分なりにもっと理解を深めたい、それがこのフェミニズム入門塾に申し込んだ理由だった。しかし、回を追う毎に、私は私の事について理解を深めているのではないかと思うようになった。「『自分自身が自分の専門家』を標榜する当事者研究が誕生したとき、既視感があった。これって私たちが女性学でやってきたことじゃなかったの?」という塾長の言葉が、私の中によりストンと落ちた気がする。私が感じているこの感覚は先輩達のそれと重なるところがあるのかもしれない、そう思うととても心強く感じる。