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ケアの座標軸 矢野久美子
2011.04.22 Fri
nichicaさんのエッセイに導かれて「日常(コウフク)」や「居場所」についていろいろな連想をいだき、『海月姫』にはまってしまった私だが、バトンとして渡されたその二つの言葉は、大変重いものだった。一か月前、一瞬にしてそれらのすべてが奪われ、今でも奪われ続けている事態から目をそむけることができないからだ。しかも、原発に関していえば、「第一級の政治問題」(アーレント)でもある地球と世界と命にかかわる事柄を、公的な議論から巧妙に抹消してきた社会、そうした社会にのほほんと乗っかってきた自分が悔しい。というわけで、今回のエッセイでは自分の無知をさらけだすことを覚悟で、この間読んだものをいくつか挙げてみたい。
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『世界』5月号『生きよう!東日本大震災・原発災害特別編集』(岩波書店)の多くの論稿は、私のようなもどかしい思いをしている人たちに、考え始めるための価値ある言葉を与えてくれる。ここでは、その一つである中野佳裕氏の「生まれてくる命を支える社会を創る」から一節を紹介しておきたい。「…こうして「豊かな社会」の様々な理想を描くときに、わたしたちは、自分たちが生きることと同じほどに、生まれてくる生命の可能性について語ることがあったであろうか。…数年後、数十年後に生まれてくるかもしれない生命に対して、どれだけの配慮(ケア)を投げかけて社会を創ってきただろうか」。
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「生まれてくる命を支える」ということに反対する人はあまりいないだろう。けれど、ケアの言葉と科学技術の言葉はなかなかリンクせず、人々に普遍的にかかわる公的な問題が、私的な経済戦略のもとにすすめられてきた。現代社会のなかで、命と科学技術の問題は密接にかかわっているはずなのに。なぜこんなことになっているのか、とすがるように手にとったのは高木仁三郎著『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)。今、原発問題については、テレビや新聞やインターネットで多くの情報を得ることができるが、それよりもこの本一冊を読んで考えた方がいいと思った。技術者として、「やはり会社で原子炉を運転させているからには、原子炉の炉水がどれくらい汚れているのか、周辺に人が住んでいるわけですし、そういう地域で原子力に携わっている会社は自分のところの放射能汚染くらいはきちんと把握していなくてはいけないのではないかという気持ちがありました」という所から始まる彼の思想と原子力産業との格闘は、高木氏の語り口(本書は末期がんにあった高木氏の録音テープを起こしたもの、原稿にはご本人は一度手を入れられたという)とともに、読む者にさらなる思考をうながす。そして、技術と公益性について語る章からは、今までの原子力産業や政治がいかに公的ではなかったかが明らかにされ、さらには、それが技術者だけではなく、私たち皆に関わる政治的問題なのだということが示唆される。
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眠れない夜に何回か読んだのは、クリスタ・ヴォルフ著『チェルノブイリ原発事故』(恒文社)。旧東ドイツの女性作家ヴォルフが、一九八六年四月のチェルノブイリ原発事故の数ヵ月後に書いた物語だ。フィクションなのだがリアリティをもち、分かりにくいのだが読めてしまうという不思議な作品。物語のなかで、東ドイツのバルト海近くの地方に住む主人公が、脳の手術中の弟に語るラジオの話は、今の私たちにはあまりにも身近なものだ。「たぶん若手の専門家とアナウンサーのやりとりに耳を奪われてしまいました。もしもお子さんがおありでしたら、きょうのような日にはどうなさいますか?彼には子供がいました。そしてアナウンサーの問いに答えて、ぼくは女房に、きょうは子供たちに牛乳を飲ますな、ホウレン草も生野菜もサラダもだめだ、それに、子供たちを連れて公園や砂場に言ってもいけない、そう言いましたよ、注意するにこしたことはありませんからね、と答えていました」。
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配慮、ケアの座標軸。私たちはもしかしたら最悪の事態を想定しなければならないのかもしれない、しかしその想像力があるからこそ、現在の行為に潜在力があるのだ。そして、生きる力は、ありのまま思い切り泣くことを可能にしてくれる友の存在から始まる。最後にお薦めしておきたいのは、パオロ・ヴィルツィ監督『見わたすかぎり人生』。原発とは直接関係はないが、社会のあり方やケアの絆を考えるという意味ではつながるし、そんな理屈は抜きにして優しい映画だ。悪徳企業のコールセンターでの非正規雇用状態や思い人の裏切りや母の死などにもめげない、女性哲学者である主人公が、居場所を見いだす最後のシーンがすごくいい。あ、結局「居場所」に戻ってしまいました~。
次回「過去と未来に思いをはせ今を生きること」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから
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