2012.09.02 Sun
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 1933年2月1日、ドイツ映画『制服の処女』は日本で封切られる。東和商事合資会社(後の東宝東和)の社長夫人川喜多かしこが、1932年、新婚旅行を兼ねたヨーロッパへの買い付け旅行で観たこの映画が気に入り、配給権を買ったエピソードはよく知られている。出演者も女ばかりなら(しかも有名な俳優はほとんどいない)、脚本家も監督も女の映画は、この年のキネマ旬報外国映画ベストテンの第一位となった。
『制服の処女』の舞台は、プロイセン流の厳格な規則で管理された、貧しい軍人の娘たちのための女子寄宿学校である。映画は太い縦縞模様のワンピースと黒い帽子を身につけた少女たちが、教師を先頭に無言で列をなして歩くシーンで始まる(歩きながらのおしゃべりは禁止されている)。そこへ母を亡くしたばかりのマヌエラが叔母に連れらてくる。規律と秩序を重んじる院長のもと、寄宿学校では自由を奪われた生徒のみならず、教師も強権的な院長に反対の声をあげることができずにいた。
やがてマヌエラは他の生徒と同じように優しく美しい女性教師ベルンブルクに思慕を抱くようになる。院長の誕生会にシラーの『ドン・カルロス』の主役を演じたマヌエラは、上演後の生徒だけの祝いの席で、用意されたアルコール入りのパンチに酔っぱらい、食堂に集まった全生徒の前でみずからのベルンブルクへの思いのたけを打ち明ける。騒ぎを聞きつけた院長は、マヌエラに厳格な処分を下し、彼女に他の生徒及びベルンブルクとの一切の接触を禁ずる。ベルンブルクとの別離に絶望したマヌエラは自殺を決心するが、間一髪で彼女を発見した生徒たちに救いだされる。そしてついに生徒たちは高圧的な院長に立ち向かう。
このようにあらすじを書くと、抑圧された少女たちと強権的なおとなとの闘いといった印象を与えるかもしれない。当時の映画評では、思春期の少女たちの繊細な感受性を表現したことが高く評価されている。けれど、この映画の魅力はもっと広い意味での少女的な世界を描き出したことにあるのではないかと思う。わたしは深刻なシーンよりも実は女の子たちがふざけるところのほうが好きだ。たとえばマヌエラと同室のイルゼが、大好きな映画スターのブロマイドをひそかに貼ったロッカーの扉の裏側を新入りのマヌエラに見せる場面や、女の子たちが洗面所で下着姿で騒ぎまわったり、また劇の上演後に食堂ではしゃぎ流行歌にあわせてダンスをする場面など。これらのシーンから醸し出される雰囲気は、映画公開から約80年経った現在でも、生き生きと感じ取れる。彼女たちは制約だらけの生を、彼女たちなりに精一杯に謳歌している。Ⅱにつづく・・・(lita)
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