エッセイ

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「男スイッチ」が入るとき(ドラマの中の働く女たち・6) 中谷文美

2014.02.25 Tue

『働きマン』
放映:2007年10月~12月、日本テレビ系列
原作:安野モヨコ(2004年~2008年、講談社『モーニング』掲載、休載中)
脚本:吉田智子、主演:菅野美穂

公式ウェブサイト:http://www.ntv.co.jp/hatarakiman/index.html
日テレオンデマンド配信中:http://vod.ntv.co.jp/program/hatarakiman/

 主人公の松方弘子(菅野美穂)は、入社7年目の雑誌編集者で、『週刊JIDAI』編集部にいる28歳。30歳までに編集長になることを目標に掲げ、「いつも全力疾走で」走っていたいタイプである。その熱意あふれる仕事ぶりは、編集長(伊武雅刀)、デスク(沢村一樹)など、男性上司にも一目置かれている。そんな彼女を評して同僚たちは、「松方は男らしいからね」「まさに、働きマンですからね」という。これぞという仕事上のチャンスが到来すると、松方は「働きマン」に変身するのである。それは「血中の男性ホルモンが増加して、通常の3倍の速さで」働き、「その間、寝食、恋愛、衣飾衛生の観念は消失する」状態を指すとされる。

hatarakimann 対して、松方が教育係を命じられた新人、田中邦男(速水もこみち)は、「自分の時間を大切に」したいため、同僚との飲み会は極力避けるなど、あくまでもマイペースを貫いている。松方の苛烈な働き方を目の当たりにして、「仕事はオレも楽しいですよ。けど、人生ってそれだけじゃないじゃないですか。オレはゴメンですね、仕事しかない人生だった、まあそんなふうに思って死ぬの」と感想をもらす。

 松方にしても、気持ちの上では仕事一辺倒ではなく、「恋にオシャレに、健康(も大事)。何事もバランス」と考えているが、現実に仕事と恋愛の両立には苦慮している。ゼネコン勤務の恋人、山城新二(吉沢悠)との約束は、ことごとく急な仕事でキャンセル。「つきあい記念日」に、デートの待ち合わせ場所に向かうタクシーの中でも、政治家秘書(夏木マリ)から内部告発の電話を受けると、一瞬の躊躇ののちに、Uターンしてしまう。他方、新二は、空き巣に部屋を荒らされた松方から連絡を受けると、営業マンとしての自分の仕事を放り出してでも駆けつけるが、当の彼女が校了寸前の原稿の心配で頭をいっぱいにするのを見て、複雑な思いを抱く。

 やがて松方は、販売部数が多く、扱うテーマもより社会的な総合誌『SPEAK』から、新たに創刊する女性向け雑誌のデスクにならないかという誘いを受け、心が動く。同時に、いったん別れた新二の地方転勤についていく、という選択肢も思い浮かべ、悩むが、ほかの編集スタッフとの協力のもとに、自誌の記事を通じて小学校の教師の冤罪をはらすことに成功し、今の編集部にとどまることを決意する…。

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 人気を集めた安野モヨコのコミックが原作の『働きマン』は、『anego~』『ハケンの品格』『ホタルノヒカリ』などのヒットにより、働く女性向けの「お仕事ドラマ」というイメージが定着しつつあった日本テレビ系の「水10」枠で放映された。第1回の冒頭には、「Q:あなたにとって、働くとは?」というテロップが入る。

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 人物設定やストーリー展開が多少異なっているものの、セリフ回しは原作を踏襲している部分も多い。主人公が「働きマン」に変身し、仕事に邁進する状態に入るときに出てくる「仕事モード、オン。男スイッチ、入ります」という決めゼリフは原作のままである。女性の松方に、なぜ「男スイッチ」が入るのか、それがなぜ「仕事モード」を示すのか、という点について、疑問を呈する人が私の周りには多かった。女のままでは満足のいく仕事ができないから、一時的にでも男のようにならなければならない、という発想の表れととらえるなら、単純な女性差別と受け取ることもできるが、私は必ずしもそうではないと思っている。

 重要なのは、生身の性別としてはオンナである松方が働きマンとなる一方で、オトコの田中のほうが、そこまで必死に働きたくないタイプという設定になっていることだ。だとすれば、「男スイッチ」の「男」とは、あくまでも記号にすぎず、プライベートを犠牲にしてでも必死に働く人を「男」と呼んでおこう、というような意味になる。

 私が思い浮かべたのは、1969年に出た黒井千次の短編集、『時間』(河出書房新社)に登場する男性サラリーマンたちである。この短編集に収められた小説は、いずれも会社もしくはその周辺を舞台とし、多くが、突如「仕事」に熱中し始めた男性を主人公にしている。彼らの言動は、従来の馴れ合いとルーティンから成り立った日常の業務の進行ペースを乱し、周囲に困惑をもたらす。時として主人公は孤立し、時として理解者や伴走者を得るが、いずれの場合も、自らの労働の成果にのめりこみ、必要以上に熱中することが肯定的には受けとめられていない状況が描かれる。つまり、男性であることがただちに「働きマン」に結びつくわけではなく、さらにいえば、「働きマン」の存在が肯定されるかどうかも、個別の職場や、ひいては時代の空気によって異なるのである。

 日本生産性本部と日本経済青年協議会が毎年春に新入社員を対象に実施している意識調査によると、「デートの約束があった時、残業を命じられたらあなたはどうしますか」という質問に対し、2006年には、8割が「デートをやめて仕事をする」と回答した。これを男女別に見ると、デートよりも仕事優先の回答割合は、男性(77.2%)よりも女性(85.0%)のほうが高い(平成18年度新入社員「働くことの意識」調査報告書、2006年)。2013年度調査では、男女とも仕事優先の回答者がさらに増えている。このほか、「職場の上司・同僚が残業していても、自分の仕事が終わったら帰りますか」という質問には、男性の6割弱、女性の7割強がそうしないと思うと答えている(2006年)。男性に比べてより多くの女性が、仕事に対する責任あるいは職場の協調性を重んじる回答を示していることになる。

 2006年の同じ調査で、もう一つ興味深い質問項目があった。「あなたはどのポストまで昇進したいと思いますか」と聞かれると、男性の回答は「社長」(24.8%)、「専門職(スペシャリスト)」(20・9%)、「重役」(20.7%)の順になるのに対し、女性は上から「専門職」(35.2%)、「どうでもよい」(17.3%)、「主任・班長」(12.8%)であった。「社長」と答えた女性は、6.2%しかいない。ノリや冗談でもそんな発想は浮かばないということだろうか。いいかえれば、ずっと先の昇進まで視野に入れたキャリアパスを思い描くよりも、「目の前にある」仕事を真摯にこなすことを大事にしようとしているのかもしれない。

 松方弘子は、「働きマン」になるときを「仕事してて、最高に気持ちいい瞬間」と表現する。手ごたえある仕事の責任を十全に果たすことで、「何か私、生きてんな」という実感を獲得できるからだ。同時に松方はこうも言う。「働きマンになることは、もしかしたら悲しいことなのかもしれない。でも、先のことや何かを失うことを恐れて、今、目の前にあるものを失うことはできない。今を精一杯生きる。それがきっと未来につながるから。」

 問題は、「未来につながる」という確信を持てるかどうかだろう。いかに今の充実感があろうとも、キャリア展開が想定できなかったり、こんな働き方を続けていたら結婚も子育ても到底ムリ、と考える「オンナの働きマン」は、必然的に期間限定の存在となってしまうのだろうか。

  「ドラマの中の働く女たち」は、毎月25日に掲載予定です。これまでの記事は、こちらからどうぞ。








カテゴリー:ドラマの中の働く女たち

タグ:ドラマ / 働く女性 / ワークライフ・バランス / 中谷文美