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八月の鯨は戻ってきた! 河野貴代美

2013.01.27 Sun

 八月に沖合いを通って、しばしば見られた鯨たちは、姿をみせなくなり、もう戻ってこないのか、と沿岸に暮らす姉妹を心配させるが、映画史上の伝説的名作、 「八月の鯨」は、戻ってきた!公開当時の字幕で、またニュー・プリントのフィルムで。

 ストリーはごく単純で長々と書く必要もなくまたそれが大事でもない。
二人の高齢姉妹が 、夏になるとやってくるアメリカ東海岸のメイン州の別荘で暮らしている。年老いた妹(セーラ)が視覚障害をかかえた姉(リビー)の面倒をみている。毎日のタンタンとした暮らしのなかで、リビーはかたくなに自分を閉ざし、庭で絵を描いたり、友人を食事に招いたりしつつ暮らしを楽しむセーラを時折困らせる。

子どものころから二人に旧友を加えて、沖合いを通る鯨をみるのを楽しみにしていたが、その鯨がここのところ姿を表わさない。家の修理をする近所の老大工ジョシュア、ロシアの亡命貴族マラノフ氏、やはり未亡人になっている旧友などが、出入りして多少の波風がたつが、概して静かな暮らしである。リビーのわがままに手を焼いたセーラは、もう一緒に暮らせない、と思ったりするが、 リビーは娘と の関係がよくない。それを二人ともよくわかっている。結局リビーの反省によって、また仲良くやり直すことになる。そしてラスト、二人は手に手をとって、岬に鯨が来ているかどうか見に出かけるのだが、、、、。

 主出演者も監督も、みなすでに鬼籍に入っている。それにしても撮られた当時すでに彼らは充分に高齢であった。ギッシュ91歳、デイヴィス79歳、プライス76歳というふうに。それなのに、91歳であったギッシュの、あの抑制された動きに垣間見える優しさ、暖かさ、確かさをどのように賞賛できるだろうか。セーラという役割をこえて、これまでの長い人生での経験を織物のように編みこんだ人としての豊穣さが匂いたつ。またデイヴィスの、かたくなだが、基本的に人に迎合しない毅然とした老いのたたずまい。「あんなふうに老いていけるなら、、」と思うなら、ここには見事なモデルがある。

 ところで、評者は冒頭にストリーは大事でないと書いた。
では、大事なものとは何か。それは時間の流れというか暮らしの意味=無意味である。「八月の鯨」には、やがて訪れるであろう死の蔭はない。だがこれからに希望があるかといえばそれも当然ながら示唆されていない。何かが起きても起きなくても、暮らしはタンタンと進むということ、これをいやおうなく認識させてくれる。この世のなかで今一番忙しい人、あるいは一番有意義に暮らしている人が誰かは知らないが、その人たちとて、リビー姉妹(のなかに評者も入れてもらえば)と同じく、人生に流れる時間は変わらないということである。換言すれば何をするか、しないかはこの残酷とまでいえる時間の流れには抗しえないし、その事実がこれほど身にしみる映画を評者は知らないのである。、「八月の鯨」は、人間であること、そしてはやがて消えていくという宿命を余儀なくされる私たちへのオマージュだと思える。

 「お役にたちたい」という言説があふれかえっている昨今、「お役にたつこと」は何もしないという反時代的な生き方を選んだ評者は、ここ数年の間6人もの大切な友人を失った。こういう世代に入ったのだという慨嘆と同時に、本映画のオマージュがつくづく、つくづく身にしみるのである。

 この映画評を読んでいただける方の中には岩波ホールのファンである人が、少なくないにちがいない。
本映画は岩波ホール創立45周年記念上映である。岩波によれば、アメリカで公開されたときは、ほとんど評判にならななかったとか。1988年11月、岩波で公開されたとき、なんと合計31週間連続で、連日満員をかさねて、社会的にも大きな反響があった。このニュースは、当時、監督やギッシュの耳にも入り、劇場には両者から感謝の言葉がよせられたという。

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タイトル:八月の鯨
監督:リンゼイ・アンダーソン
主演女優:リリアン・ギッシュ(セーラ)、ベティ・デイヴィス(リビー)
主演男優:ヴィンセント・プライス(マラノフ)、ハリー・ケリーJr.(ジョシュア) 

製作:1987年、アメリカ、上映時間91分

スティール写真クレジット:
(C)1988 Alive Films,Inc.and Orion Pictures Corporation.All Right Reserved.

東京、神田神保町、岩波ホールで2013年2月16日より3月下旬まで、その後全国順次公開。

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:くらし・生活 / 高齢社会 / 家族 / 河野貴代美 / アメリカ映画