ゴードン美枝 プロフィール

 ボストンにある自閉症児の療育学校でファンドレーザーとして勤務。大学生のころ、米国留学。シモンズ大学大学院でソーシャルワーク専攻。卒業後、デユーク大学病院小児精神科の入院病棟で家族治療に携わる。その後、80年代の終わり日本企業がアメリカで勢力を増した時、わたしも時代の波に乗って、ビジネスの世界にキャリア転向。
 まずは、ビジネススクールで勉強のやり直しをしてMBA(ビジネス修士号)を取得。すでに30才後半でしたが、女というジェンダーギャップはあまり問題なく、日米間で就職にも恵まれました。1990年初めからボストンと東京の往復の生活を送り、外資系のハイテック産業で大分働きました。しかし激務に耐え兼ねて、仕事とファミリーのバランスが大切だと決心。福祉と教育の分野に戻りました。

ボストン東スクールのキャンパス


 ボストンにも春が来ました。酷かった冬も終わりです。今回は、 日本で生まれた自閉症の教育がアメリカのボストンでも浸透していることをお伝えしたいと思います。

 日本で生まれた自閉症の教育がアメリカに紹介され広く浸透している現象は日本で余り知られていないのではなかろうか? 自閉症児教育のパイオニアであった故北原キヨ先生が創立した2つの学校についてご紹介します。
 1960年代“自閉症”という定義さえなかった頃、先生が経営していた幼稚園に他の学校で拒否された幼児たちが集まってきた。その子たちを教育していくうちに次第に自閉症児であることが判別され、独自の教育方法 “生活療法”を編み出していった。この時代、女性が働くことさえ珍しいなか、北原先生は東京で幼稚園を開き、大きなビジョンを描きながら、その後、小学校、さらに中学校を建設。そして1980年代に高等専修学校を設立。現在は武蔵野東学園(武蔵野市)といい、自閉症児と定型発達児が共に学ぶ混合教育(インクルーシブ教育)を行っている。
www.musashino-higashi .org

◆北原キヨ先生は海外に進出、ボストン東スクールを設立
  この頃すでに“生活療法”はアメリカでも注目されていて、北原先生は1980年オハイオ州立ボーリンググリーン大学から名誉博士号を授けられ、また、その後は客員教授としてアメリカ・カナダなど各地を講演して回った。これにより海外の反響は年毎に高まり、学園の教育を求めて海外から入学希望者が多数来校していた。

 1987年に北原先生はボストンにアメリカ人などの自閉症児のためのボストン東スクールを設立。
www.bostonhigashi.org  その折には、30数名の教師を日本から連れて行き、彼らが中心となって学校作りに奔走した。当時はアメリカの地域の住民から不審に見られたり、教育方法が軍隊っぽいなど反感も買ったようだが、時を経て北原先生の教育の原点“生活療法”は、自閉症児の療養に大変効果を発揮し、アメリカでも高い評価を受けている。日本の輸出産業でトヨタやソニーなどの成功例は誰もが知っているが、教育分野でしかも障害児教育で35年前からアメリカの社会に貢献してきた学校は唯一ボストン東スクールしかないであろう。

◆米国では革新的な障害児・者の人権と教育を保障する法制度が1972年から導入された
 ボストン東スクールがアメリカで広く受け入れられ、成功した理由のもう一つは障害児・者の人権が法律で守られるようになってきたことに関連している。当校があるマサチューセッツ州では、1972年にChapter 766という教育に関する条例が承認されて、公立学校においては3才から22才まで特殊教育を必要とする子どもは、各自に見合った教育を受ける権利があり、これを保証する義務があることを法制化。

 さらに、年を追うごとに障害者に関連する法整備は進み、2004年になると特殊教育を子どもが必要とする場合、適切な学校で教育を受ける権利があり、それは無償となることを連邦政府が法制化した。それを受けて、州政府並びに子どもが住む市長村がそれぞれ教育予算から負担することが義務付けられた。ボストン東スクールは特別支援教育専門校(非営利教育機関)として承認を受けている。このような進歩的な法律がバックボーンにあり、ボストン東スクールの社会的地位は築かれていった。

◆ボストン東スクールの教育方法論“生活療法”とは何か?
 東スクールは自閉症の中でも極めて重度の自閉症スペクトラム障害を持つ生徒たちの集団だが、不思議なくらい明るい学校である。自然に囲まれた広い土地に建つ校舎。ロビーに入ると生徒たちの作品が壁に一杯飾られていて全く普通の学校だと勘違いするほどだ。幼稚園から小学校・中学・高校、さらに高校を卒業してから22歳になるまで在籍できるプログラムがある。

授業風景


 自閉症児を一人でも抱えている家庭は大変苦労される。それなのに東スクールには、そういったお子さんが150人以上在籍しているのに、校内は整然としていて秩序正しい。ここでは、一体どんな教育をしているのだろうか? それまでこどもは公立学校にいたが、行動問題を起こしたりで教師にあきらめられた末、やっと東スクールにたどり着いた、という家族の話が山とある。私自身、仕事を始めた時には不安感があった。それまで自閉症児と接触したことがなかったからだ。

 しかし、この学校のユニークさがまもなく分かって来て、何が教育を可能にしているのか理解でき始めた。生徒の6割以上が言語障害のため言葉を持たない。コミュニケーションの問題や不安神経症などの症状を持ちながらも、東スクールの集団生活の中に入ると次第に子どもたちに変化がみられる。毎朝のジョギングで体力作りから始まり、決まった日課、少人数教育 (6人の生徒に対して2人の先生)が子供たちの心身の安定を可能にする。教師との絆は信頼関係の核になり、安定した生活環境の中で子どもの情緒が落ち着き、集中力を増し、学びや遊びに興味を示す。体力作り・心の安定・知的開発を3本柱にカリキュラムを組み、各学年別に教師が実践をしている。北原先生はどんな自閉症にも”学べる可能性がある“と唱え、教師の役割はこれを引き出し、伸ばすことだと指導した。

 こうした生活療法は、実はアメリカで実践されている自閉症の教育(行動療法)と大変異なる。ボストン東スクールでは、子どもの全体像を見ながら療育するが、行動療法は障害に着目して、欠陥能力を治療するという方針である。

 自閉症児は自分の殻に閉じこもりがちと世間では考えられているが、ボストン東スクールは集団力学を用いながら、こどもは集団生活の基本となるルールを身に着け始める。言葉はしゃべれなくても音楽の授業で歌を学ぶ。歌うことにより、言葉の発声が可能になる。楽器を学び発表会で学年全員が楽器を演奏する。コンピュータで親にメールを出せるなど例は書き切れない。小さな前進を大切に、積み重ねた成功体験が自信につながる。入学してから1年後に見る子どもの成長は目を見張るほどだ。どんな障害児でもチャンスが与えられれば潜在能力があることを、わたしは10年以上見ている。

ボストン日本総領事の引原氏が学校訪問。学校の首脳陣と筆者(左端)

米国三菱商事社長杉浦氏が学校訪問。左端は筆者


◆ファンドレーザーとしての仕事
 ボストン東スクールは公的資金で成り立っている学校であり、学校が施設を充実するにあたり必要な資金などは外部に求めなければならない。わたしは主に米国で活躍されている日本企業を中心に、賛助のお願いを続けている。約15年間この仕事をやってきたが、今までの成果としては、三菱図書館の完成、温水プール建設完成、生徒が生活技術を学び、自立生活を促進できるように構内の教室を改造してとてもしゃれたキッチンを作った。そこでは生徒がグループで料理をして食べるという活動ができるようになった。資金集めというとかなり大変な仕事ですが、大手の日系企業や銀行さんなどはCorporate Social Responsibilityプログラム(CSR)を推進しているので、彼らの社会貢献活動の一環として支援をお願いしている。

 ファンドレーザーとしてチャリティーコンサートや学内でコンサートを開くことも大切な交流の場として行ってきた。例えば、日本の文化紹介の一部としてピアニストの辻井伸行さんにご来校いただき、生徒たちのために演奏会を開いていただいた。自らの障害を克服しながら世界中で認められるようになった伸行さんが、東スクールのこどもたちと接触して、感動したと言われた。

辻井伸行さんのボストン東スクール演奏会

辻井さんと筆者(右)

 
 大きな音に弱くて耳をふさいでしまう自閉症児もいる中で、彼の演奏中は会場がシーンとして聞き入ってたこと。辻井さんからわたしたちは勇気をもらいました。障害の壁は厚くても“学べる可能性”を信じることが成功につながるのだと。別のコンサートを開いた時、五嶋龍さんの生のバイオリン演奏会でしたが、100人以上の生徒たちはむずかしいクラシックの演奏にもかかわらず、感動の心を体と音声で表明し、会場は賑やかになったことを、思い出します。このように子どもたちの心に触れあう音楽は欠かせない機会です。