4月初め、新聞を見ていて、写真の大きな文字に目が留まりました。「男なら歌え」と、墨黒々と大きく書かれた文字です。え?なに、これ?と写真のキャプションを読むと、「サークルの看板が立ち並ぶ早稲田大学」と書かれています。新入生のサークル勧誘の立て看板のひとつだったのです。その写真をよく見ると、その看板の大きな文字の横には「早稲田大学グリークラブ」と書かれています。合唱団が新入生を呼びこんでいたのです。

 まず不思議に思いました。「男なら歌え」というなら、男はみんな歌わなくてはいけないのでしょうか、どうして男は歌わなくてはいけないのですか、女は歌ってはいけないのでしょうか。そしてまた、こういう宣伝文句を見て、「はい、はい、僕は男だから歌います」と合唱団に入る新入生男子がいるのでしょうか。歌は歌いたいけれど、「男なら歌え」と言われたら、その押しつけがましい強引さに辟易して、入るのを躊躇する学生もいるのではないでしょうか。小さい時、「あんた男でしょ、男の子は泣いちゃダメ」などと言われて泣けなかった男の子だったら、きっと入りたくないと思うでしょう。

 また、これを見た女子学生はどう思うでしょうか。「なんで『男なら』なの?、女は歌ってはいけないの?」と憤慨することはないのでしょうか。

 「男なら歌え」に似た言い方には、「男なら泣くな」とか「男なら泣きごとを言うな」があります。「男なら泣くな」は「男は泣かない」という前提に立つ言い方です。逆から見ると、「泣くのは男ではない」となるので、男は泣けなくなるわけです。男でも女でも泣きたいときには泣けばいい、そういつも肩肘張っていなくてもいいのにと思います。

 「男なら歌え」はまた「男だから歌え」にも通じます。どうして歌いたくもないのに歌わなくてはいけないのかと、いかにも男を笠に着た威張った言い方で、まさにマッチョな言い方です。大昔から、歌いたければ、女でも男でも誰でも歌ってきました。男なら歌えるが、女は歌えないなんて誰が決めたのですか。

 早稲田大学グリークラブのインスタグラムには、

男なら歌え!!!歴史を紡いで114年。『都の西北』を歌い継ぐ男声合唱団
早稲田大学グリークラブです!(後略)

と記されています。「男なら歌え」は、この合唱団の古くからのキャッチフレーズだったようです。明治時代の、男子学生しかいなかったころに作られたものなのでしょう。それから1世紀以上を経て、学校制度も人々の価値観もすっかり変わっています。早稲田大学で女子学生はたくさん学んでいます。男だから女だからと、性で区別するのは止めようという時代です。さらに、性の多様なあり方がクローズアップされてきて、人を男と女の二つの性に分けるのも現実的ではないと言われる昨今です。

 「男なら歌え」と叫んで陶酔している明治の壮士のような男性が、今でも早稲田にいるのでしょうか。もう少し、勧誘するキャッチフレーズを今の感覚に合わせて変えたら、きっと合唱団の新入部員の獲得も楽になるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 もうひとつ最近の新聞で気になったのは、内閣府男女共同参画局の「人生百年時代の結婚と家族に関する研究会」の会合の中から「壁ドン」なることばが出てきたという記事です。その会で某大学教授は、恋愛弱者を支援するために、「壁ドン」やプロポーズの仕方を教育した方がいいというプレゼンをしたのだそうです。まさか、そんなことが政府の会合で話し合われたとは、呆れてものも言えません。まずプロポーズの仕方を教育するなどと、国の会議で大真面目に話されたということが信じられません。恋愛弱者という名づけも失礼ですが、恋愛の仕方を教育して恋愛に強くするって、それ本気ですか? 恋愛って教えられてするものですか? 教えられればマスターできるものなんですか?

 ほんとに、私達の必死で納めている税金を使って、こんなことが話し合われているなんて、ジョークとしか思えません。しかもその中で出て来た「壁ドン」ということば、呆れるを通り越してもう絶句としか言いようがありません。「壁ドン」というのは、壁の前に女性を立たせて、いわゆる「男らしい」男がその壁をドンと叩いて、僕と結婚してくれと言い、そういう男性に女性は惹かれて「はい」と答える場面のことらしいです。

 とんでもない話です。女性を逃げられないような空間に囲い込んで、その壁をドンと叩いて返事を迫るなんて、脅迫です。ことばの暴力です。「壁ドン」を教えるとは、力で女性を支配するマッチョ男性を育てようという発想です。マッチョ賛美、マッチョ奨励以外の何ものでもありません。

 男女共同参画室とは、男と女が共同で事に当たることを推進する役所ではないのですか。こんなことばが男女共同参画室から出てきたなんて、ブラックユーモアとしか思われません。政府の会議でこんなプレゼンをする大学教授、そういう考えの持ち主を委員に選ぶ内閣府、どちらも失格です。いまいちど、ゼロから出直してください。

 怒ってばかりいるようですが、この4月、ちょっと嬉しい発見もありました。新学期が始まって、新しいランドセルの小学生が目につきます。最近のランドセルは昔に比べると実にカラフルです。いろんな色のがあって、見ていて楽しいです。昔は男の子は黒、女の子は赤と、ほとんど決まっていましたが、今はそうではありません。ピンクも水色もあります。茶色も紫もあります。子どもが自分でこの色がいいと言って選んだのか、親の趣味でそうなったのかはわかりませんが、親の趣味だとしても、それを子どもが毎日身に着けているのですから、子どもの選択の結果と言えるでしょう。その中でよく見ていると、色のバリエーションが多いのは女の子の場合です。女の子のランドセルは水色も赤も黒もありますが、男の子は黒が圧倒的に多くて、黒以外の男の子はごくわずかです。男の子が、従来の男=黒に縛られている子が多いのに対して、女の子の方がより自由に柔軟に選んでいると言えます。こうした女の子たちが育って行けば、自分の人生を選ぶ時も従来の発想に縛られず、より自由に、より幅広く選べるようになるのではないでしょうか。甘すぎるかもしれませんが、日常を少しずつ変えていくことで自分も社会も変えていく、その一歩であることは確かです。

 ぴかぴかの1年生にエールを送ります。