もう50年になるのだなあ、と今更ながら思う。軽井沢の「あさま山荘」に立て籠った連 合赤軍(世界同時革命を目指した共産主義者同盟赤軍派と、反米愛国で毛沢東主義者の日 本共産党革命左派神奈川県委員会=京浜安保共闘という全く思想の違う二つのグループが 、武装蜂起の完徹という点で統合した組織)のメンバーが投降・逮捕されたのは1972年2 月28日。ちょうどその頃、京都大学では大学正門前の東一条通がバリケード封鎖された 。本書にも登場する京大レーニン研究会=教養部(C)戦線をはじめとする京都大学のブ ント系ノンセクトを軸にした全学闘争委員会連合の赤ヘル・黒ヘルの約100名と、突然「 一緒にやろう」と言ってきた反帝学評の青ヘル40名ほどが、火炎瓶と投石による機動隊と の衝突を展開していた。学費値上げ粉砕(この年、それまで年間12000円だった学費が3 倍の36000円になろうとしていたのだ)とともに、「あさま山荘での銃撃戦断固支持」が 、この行動の位置付けだったと記憶している。
 周知のように、その後、連合赤軍がアジトとしていた山荘近くから、男女12名の遺体が 発見され、日本の新左翼運動は、一気に力を失っていった。

ある赤軍派女性兵士の生涯

 本書は、榛名山中のアジトで「総括」死させられた赤軍派のメンバー遠山美枝子さんを 軸に「あの時代」を描いたノンフィクションだ。遠山さんは、明治大学二部でブントに加 わりアラブに渡航し日本赤軍乗リーダーとなった重信房子さん(二人はアパートでルーム シェアもしていたという)とともに、その後、赤軍派に加わることになる。タイトルの『 私だったかもしれない』は、当時学生運動での経験を歌った『無援の叙情』での道浦母都 子さんの一首「私だったかもしれない永田洋子」から取ったという(同様の発言は多くの 当時の活動家の声でもあった)。
 生前の遠山さんの周囲にいた人々の声を聞きつつ「あの時代」を読み直すという本書の 眼差しは、連合赤軍の一翼であった共産主義者同盟赤軍派とその源流でもあった関西ブン ト(ブント=ドイツ語の「同盟」は、共産主義者同盟の略称)の人々とへと向けられるこ とになる(細部にいくつか事実誤認や誤記があるのはちょっと気になった)。
「次の世代」ではあるが、70年台を関西ブント系のノンセクトの活動家だったぼくにと って、直接面識のある人だけでも10人前後の元・現の活動家たちが本書では次々と登場し 、いろいろなことを思い出した。さまざまな人とのインタビューの中で、江刺さんの前作 『樺美智子 聖少女伝説』(文藝春秋)で示唆された樺さん(東大のブントのメンバー) の「思い人」だったとされる男性の名前も明らかにされる。神戸高校の同級生でブントの 幹部でもあった(第二次ブントでは議長)佐野茂樹さんだ。インタビューに至る経過や佐 野さんの没後のエピソードも印象的だ(お別れの会での佐野さんの遺影に向かって発せら れた娘さんの「バカヤロー」の叫び声も、読後、記憶に残った)。

連合赤軍をジェンダー視点で振り返る

 江刺さんのこの本の持つ意義の一つは、「あの事件」をジェンダー、特に男性性の問題 も介在させながら描いた点だと思う(もっともっと突っ込んでいただいても良かったので は、というのが感想の一つだが)。関西ブントという大雑把でマッチョな政治組織(山岳 アジトに入った赤軍派の女性は遠山さんが唯一人だった)と、女性メンバーが多く(山岳 ベースに入った19人のメンバー中9人が女性)倫理的で女性解放問題にも強い関心を持っ ていた京浜安保共闘という異質の組織の統合は、森さんと永田さんという男女二人のリー ダーの組織観や二人のモデル=ライバルとでもいっていい関係の複雑さも含め、やがて同 志たちへのリンチ殺人へと向かっていく。
 本書ではあまり触れられてはいないが、この同志殺しに至るプロセスは、ジェンダー( 中でも男性性)という視点から、今後もさらに深く考察する必要があると、改めて考えさ せられた(本書の「資料」にも含まれている遠山さんと事実上の夫であった赤軍派幹部の 高原さんとのやりとりもまた、「あの時代」をジェンダー視座から「総括」するためにも 、じっくり考察するべき課題を含んでいると思う)。
 それにしても、本書で描かれる「あの時代」の「(新旧)左翼」の男性たちの「ジェン ダー問題」への視座には(渦中にいて知っていたはずなのに、いまさらながら)ちょっと 驚かされた。「ジェンダー(性差別)問題などは天下国家の問題とは関わりのないことだ 」とでも言える態度が見え隠れするからだ。もしかしたら、保守派男性の露骨な性差別的 態度よりも、「社会正義」を口では叫んでいただけに、より多くの問題を含んでいるので はないか。   
 さらにいえば、こうした「ジェンダーブラインド」な対応(「ジェンダー問題は個人や 日常の問題であり、大きな社会問題ではない」とでもいう視座)は、日本(というか、お そらくは世界中)の「左翼」とか「リベラル」を自称する男性たちの中にも、未だ心の奥 底に底流として継承されているようにも思っている。

何が今問われているのか

 最後に、(書評という役割を逸脱してしまうかもしれないが)連合赤軍の同志殺しをめ ぐって、今、個人的にも考えなければいけないと考えている課題をいくつか書き残してお きたいと思う。
 一つは、「死刑」という修復不可能な「対応」をめぐる問題だ(死刑廃止の重要性に ついては連合赤軍に触れて何度かこれまでも書いてきた)。
 もう一つは、(死刑問題ともかかわるが)現在、フェミニズムの議論の中で大きな注 目を集めているケアの問題だ。というのも、近代(もしかしたらより古い時代から)社会 における男性文化の中には「自・他の生命や身体、さらに思いなどに対する十分な配慮と それに基づいた行動」としてのケアの観点が全く欠落しているのではないか(このことは 最近あちこちで書いたりしゃべったりしてきた)と考えてきたからだ。現在進行中の「ウ クライナに対するロシアの戦争」も、もしプーチン大統領がきちんとケアの精神を身につ けていれば、起こり得なかったことだろうとさえ思う。
 連合赤軍もまた(京浜安保京都を軸にした多数の女性戦士を含みつつも)近代の男性文 化の中で広がった「軍事文化・戦争文化(ケアの精神の徹底した抑圧に基づき、この軍事 文化は形成されている)」の流れ(それも過剰な)の上にあったと思う。
 ジェンダーとケア(男性におけるケアの精神の欠如)という視座は、(失敗した「あの 時代」の総括の上で)次の社会変革を目指す動きの中で不可欠の課題になるはずだ、とい うのが、本書を読んで、改めて考えさせられたことでもある。

■書誌データ
書名 :『私だったかもしれない ある赤軍派女性兵士の25年』
著者 :江刺昭子
頁数 : 313頁
刊行日:2022/5/31
出版社:インパクト出版会
定価 :2200円(税抜)

私だったかもしれない ある赤軍派女性兵士の25年

著者:江刺昭子

インパクト出版会( 2022/05/31 )