少し古くなりますが、2022年3月8日の『朝日新聞』と、6月26日の『毎日新聞』には、日常生活の中でジェンダー平等を率先している京都府のコーヒー店店主の話が出ています。その『朝日』の見出しの、

 妻→夫の順で名前掲載を/コーヒー店 妻夫の願い

の「妻夫」が気になっていたので今回読み直してみました。

 京都府大山崎町でコーヒー店を経営する中村さんカップルの話です。雑誌などにたびたび登場する人気のコーヒー豆焙煎所だとか。中村あゆみさん・佳大さんカップルは、取材を依頼に来るメディアに次のような依頼文を作って送ったそうです。

▽共同経営をしています。「店主」は2人を指し、どちらか一方が代表しているわけではありません。
▽名前を掲載いただく時は「中村あゆみ・佳大」の順で掲載をお願いします。
▽取材中は「ご主人・旦那さん」「奥様・奥さん」と言った呼び方は控え、名前でお願いいたします。[略]

 この依頼状の背景には、まゆみさんのモヤモヤがありました。というのは、ふたりが共同で事業を営んでいるにもかかわらず、「夫である佳大さんがメインの経営者」とみなされる、取材者が名刺を渡したり、銀行などの営業担当者が話しかけたりするのは、まゆみさんではなく佳大さんの方、ふたりで店を始めることを決めたにもかかわらず、「夫がやりたいと言い、妻が許した」と言う前提で取材される、など、まゆみさんは女性だからということで不当な扱いを受けていると感じてきたからです。そこで、ふたりで話し合い、取材や営業などに関する際は、まずまゆみさんが話すことに決めたのです。そんな中でふたりは「男性がメインだという構造を助長したくない。できることからやっていこう」ということで、メディアに 上記のような依頼状をだすことにしたのだそうです。

 6月26日の毎日新聞は、「主従」にひそむ言葉にあらがうの見出しで、ほぼ半ページに及ぶ大きな記事を載せています。まず、

店を営む夫婦から差し出された名刺にまず目を引かれた。
中村まゆみ
中村佳太
店名の下に、妻、夫の順で名前がある。

と妻の名が先に書かれた名刺を取り上げています。

 ここまで書いてくれば、最初の『朝日』の見出し「コーヒー店 妻夫の願い」の意味がわかってきますね?この記事の最初のリード文には

雑誌などに掲載する際には「妻→夫」の順番で名前の掲載を―。メディアにこんなお願いをしている、コーヒー店夫妻、いや妻夫がいる。従来の「夫が主で妻が従」と言うステレオタイプにあらがい、身の回りからジェンダーギャップを減らそうとしている。

と、記者が「コーヒー店夫妻、いや妻夫がいる」と書いていることで、見出しも「夫妻」のミスではなくあえて「妻夫」の語を使ったことがわかります。身近なジェンダー不平等をなくしたいと、名刺に先に名前を書いたあゆみさんもすばらしいし、「妻夫」の語を見出しに使った記者も立派です。

 ところで、「妻夫」です。この語はこの記者の造語なのでしょうか。たしかに『広辞苑』には出ていません。でも大きな漢和辞典にはちゃんと出ています。

【妻夫】サイフ 妻とおっと。 夫妻。〔漢書、朱買臣伝 入リテ呉界ニ、見レバ其ノ故妻ヲ、妻夫治ム道ヲ。(後略)〕(『広漢和辞典上巻』諸橋轍次編1981 大修館書店)

 「妻夫」も「夫妻」と同じ意味で昔から使われていたのです。

 このコーヒー店店主は、妻の名前を先に書いてほしいと注文するカップルなのですから「妻夫」でなければならないのです。しかもちゃんと昔から漢籍にも出てくる語彙なのですから、大手を振って使っていいわけです。与謝野晶子と鉄幹のカップルの場合を考えてみましょう。鉄幹が中心の場合は与謝野鉄幹・晶子夫妻といい、晶子が中心になっている場合は、与謝野晶子・鉄幹妻夫ということにすればいいのです。いつもいつも「夫」を先にする必要はないし、「夫妻」では実情に添わなくなる場合があるということです。新聞の最近の造語ではなく、中国で昔から使われていた熟語の復活だったわけです。
 
   そういえば、夫と妻のカップルを指す語は、昔の日本語では妻が先になっていました。「いもせ=妹背」も「めおと=女夫・妻夫」もそうです。「妹背」の「妹=いも」は昔は「妻・姉・妹」を指し、「背=せ」は「夫・兄・弟」を指しました。それをひとつにしたことばは「せ・いも」でなく「いも・せ」でした。「めおと」は、「夫=おと・女=め」でなく「め・おと」だったのです。やまとことばには女性が先のことばがあったのです。

 今の人には化石語かもしれませんが、昭和の初期に神前で結婚式を挙げた人たちは、神主さんの「妹背(いもせ)の契(ちぎ)りを結びて…」という祝詞(のりと)を神妙に聞いていたはずです。日本の神様の前では「夫婦(ふうふ)の契り」ではなく、「妹背(いもせ)・女夫(めおと)の契り」を結んだのです。

 ところが、漢語がどんどん日本語に入ってくるにつれ、男中心のことばにとってかわられるようになります。「夫婦」という漢語が渡来すると、意味が同じだからと言うことで(意味は同じでも語の順が違うのに)「めおと」は「夫婦」に取って変わられてしまいました。めおと=夫婦(ふうふ)→夫婦(ふうふ/めおと)というわけです。そして、夫が先、妻が後の順番になってしまったのです。 私たちは「夫妻」「夫婦」で学習させられた結果として、夫が先、男が先、と思い込まされてしまっています。でも、もともとの日本語には妻が先、女が先のことばもあったということを思い返してみましょう。

 観光地のお土産屋さんに「夫婦茶碗」というコーナーがあって、茶碗の大きさに差がつけられているのはけしからんとわたしが憤った時、「私の方が大きい茶碗を使ってるからこれでいい」と言った友人がいました。「夫婦茶碗」でなく、なおさら「女夫茶碗」がふさわしいわけです。

 ことばのメンズファーストを疑ってかかることも、ジェンダー平等推進の一歩です。