2011.10.07 Fri
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1968年生まれの私は70年代後半~80年代前半は映画を観まくっていた。父が劇場に連れて行ったからだ。一人っ子には劇場の暗闇が母胎そのものだった。
田舎町のことゆえ、邦画・洋画を問わず2本立てが当たりまえだった。『エマニュエル夫人』も『スナッフ』も《18禁》の制限など関係なく観た記憶がある。
どうして観ることができたのだろうか、不思議だ(記憶の捏造か?)。できれば『ソドムの市』(ポルノだと誤解していた)も観たかったが、ポスターから危険な匂いを嗅ぎ分けヤバイ映画に思えて観なかった。その後は批評本も読んだ。蓮實、四方田、淺沼、バルト、メッツ等。大学に入って自主製作映画にも関わった。振り返れば少年期・青年期は映画にまみれていた。
編集者となって、映画研究者・川口さんに出会うことになる。
一冊目に手がけたのは、豪速球の研究書『ジェンダーの比較映画史』だ。マルグリット・デュラスの映画『インディア・ソング』がとりあげられていた。ダレッシオの音楽が頭のなかで鳴り響いた。失われた時が甦った。
一年たって、再び、本書の企画の話。静岡新聞、週刊金曜日、ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)の映画欄など、様々な媒体に書いた映画評、エッセイ、監督インタビューを一冊にまとめたいという。こちらに断る理由などはない。「映画」が繋いでくれたのだ。
メイン・タイトルの「映画みたいに暮らしたい!」は、著者が初めて書いた新聞連載タイトルから引用した。東京から地方都市に移り住み、30代で二人の子どもを持ちながら映画の中の女性像に憧れ、なんとか映画の仕事を続けて生きようとする、夢と希望あふれるエッセイだ。70年代フェミニズムに影響されていた著者の気概が伝わってくる。この本には、それから20年間の、著者の生のあゆみと、映画が、時代とともに流れている。
サブ・タイトルは、私が以前、編集を担当した四方田犬彦氏の著書のタイトルにエッセ・シネマトグラフィックとあったのを思い出し、「フェミナン」を加えた。震災後まもない最初の打ち合わせで、このタイトルを提案したとき、憔悴していたように見えた彼女が、少しだけ微笑んだ。
装丁は、中山銀士さん。前書と同じく、カヴァーをとると、はらりと、美しい別の世界が広がる、楽しい仕掛けになっている。ぜひ、お手にとっていただきたい。
「女性として生きることと、映画と、書くことの間には深いかかわりがあると私は思っているので、エッセ・シネマトグラフィック・フェミナンという副題はとてもうれしい」と、あとがきには、記されていた。
いまでは私はあの暗闇から遠ざかってしまった。
「映画」と「人生」に引き裂かれて、といいつつ、映画を道連れに、暗闇の一歩手前でふみとどまって生きている感のある著者の川口さんを畏敬する。
嗚呼、去年の雪、いま何処。 (彩流社 編集者 河野和憲)
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また、本書に関連したイベント「映画と、本と、生き方と」が、10月16日に開催されます。詳しくは、こちらをどうぞ→http://www.anika.jp/event/
9月9日『静岡新聞](夕刊)に、著者である川口恵子さんが本書に関連するエッセイを書かれています。
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