
1929年、ヴァージニア・ウルフが『自分ひとりの部屋』を書いて百年近く、女たちは今、ほんとに自由になったのだろうか?
先月、第二波フェミニズムを率いたベティ・フリーダン著・荻野美穗訳『女らしさの神話』上・下全2冊(岩波書店、2023年9月)を読了し、「じゃあ、第一波フェミニズムの流れを受け継ぐ作家はだれ?」と思って、ヴァージニア・ウルフ著、片山亜紀訳『自分ひとりの部屋』(平凡社、2015年)を再読した。
30年ほど前、京都の女の本屋ウィメンズ・ブックストア松香堂で手にしたヴァージニア・ウルフ著、村松加代子訳『私ひとりの部屋』(松香堂書店、1984年)を読み、なんか胸の奥で気になる思いがして、かつてヴァージニア・ウルフが住んでいたロンドン・ブルームズベリーの家を訪れたのが、1998年8月、26年前のこと。イングリッシュ・ヘリテッジ(English Heritage)が選定するブルー・プラーク(Blue Plaque)には「Virginia Woolf 1882-1941 Novelist and Critic lived here 1907-1911」とあった。ウルフは1912年、作家のレナード・ウルフと結婚。「意識の流れ」を描く作風で多くの作品を世に送り出したのち、1941年、夫に感謝の手紙を残して自らウーズ川に身を投じた。59歳だった。
ウルフは「女性が小説を書こうと思うなら、年収五百ポンドと自分ひとりの部屋を持たねばならない」と、本書の元になった1928年10月、ウルフ46歳の時のケンブリッジ大学女子カレッジ・ニューナム校とガートン校での講演で語っている。
ヴァージニア・ウルフの家の前で
「女性と小説」をテーマに聡明な女子学生たちを前に、メアリー・ビートン、メアリー・シートン、メアリー・カーマイケルなど架空の話者を交代させ、絵のような、映画のシーンのような、流れる時間のような語り口で、「女性の文学の歴史と未来への期待を紡ぎ出すフェミニズム批評の古典」となる本書を著した。
講演当日、女子カレッジなのに女性が大学の図書館に入ろうとすると、教員(フェロー)の付き添いがあるか、紹介状がなければ入れないという、おかしな慣習に怒りを覚える。また大英博物館へ赴き、「なぜ男性は裕福なのに、女性は貧乏なのか?」という疑問の答えを探ろうとするが、男性によって書かれた女性論の中に答えは見つからないどころか、男性たちの偏見に満ちた女性論に呆れ返り、16世紀の歴史書の中には一般女性の姿も見つからず、「もしもシェイクスピアにジュディスという名前の妹がいたなら、彼女はどんな生活を送ることになったのだろう」と夢想する。
19世紀の女性作家たちが作品を公表する時、匿名にせざるをえなかったのはなぜか? カラー・ベル(シャーロット・ブロンテのペンネーム)、ジョージ・エリオット、ジョルジュ・サンドもペンネームだったいう。「女性作家の作品には偏見がつきものだ」という風評を恐れたから、という理由らしいが、ほんとにもう、その当時は、どうしようもない男社会だったのだ。
19世紀後半、イギリスで「第一波フェミニズム」運動が盛り上がってゆく。「訳注」によれば、女子教育の充実、既婚女性の権利、女性の雇用拡大や「女性参政権」を求める活動が始まる。1869年にガートン校、1871年にニューナム校と、女性のカレッジが2校、開校する。「既婚女性財産法」が1870年に成立、1882年、改正される。それまでは妻の収入や財産は夫の管理下にあったのだ。
という私も、恥ずかしい思い出がある。1986年、今は廃刊になった『朝日ジャーナル』に「京都報告 日の丸・君が代の乱――かくて「国旗」がひるがえり、「国歌」が流れた」を寄稿し、掲載されて、後日、記者の方から「原稿料5千円お支払いしますので、銀行口座を教えてください」と電話がかかってきた。当時、43歳の専業主婦だった私は悪びれもせず、「私名義の口座はありませんので、夫の口座にお願いできますでしょうか」と答えて、電話の向こうで絶句されたことがあった。20世紀後半でもまだ、こんな情けない私がいたとは、ね。
「女性参政権」運動の盛り上がりは、第一次世界大戦への参戦で一時、中断するが、戦時、徴兵でいなくなった男たちの職場で女たちがその仕事を代替したという「戦時貢献」が女性に認められて、1918年、「戸主の妻」である30歳以上の女性に参政権が与えられ、その10年後の1928年、男女平等の参政権が実現した。だが、女性たちに一票が与えられたからといって女たちの経済的自立が可能になったわけではなく、戦後、男たちが戦場から戻ると女たちは職場を解雇され、家庭に帰るように促されたという。日本でも同じく、第二次世界大戦中、男に代わって女が就いていた仕事も、戦後、戦争から帰ってきた男たちによって、さっさと職場を追い出されてしまったと聞く。
そういう時代背景の中で、「この著書は「執拗なくらい性別を意識させられる時代」にあって、女性がどう生きるべきかを問う書物であった」と翻訳者の片山亜紀さんは、「訳者解説」で指摘する。
訳者・片山亜紀さんの「訳注」と「訳者解説」が、ほんとにすばらしい。ウルフの文章を読みながら、本文と並行して「訳注」を読み合わせるのが、とっても楽しい。作家の名や英文学の本のタイトルを少しは知っていたけど、「ああ、こんなに深い意味や背景があったんだ」と心底、納得して読み進めていく。若い時、きちんと学ばなかったことが悔やまれる。今からでも決して遅くはないけれど。
1980年代、私も、ささやかな本を書いた時、脚注を書くために図書館へ通い、日がな一日、図書館に籠もって古新聞や古書類を調べてノートに書き写したことがある。あの頃はWebもなければコピーもなく、読んで調べて手書きで書き写すしかなかったのだ。一冊目は活版印刷の本だったが、2年後の2冊目は原稿用紙に書いた500枚の手書き原稿を、パソコンの師匠に「これを全部、ワープロで入力し直しなさい」といわれて、泣く泣く、2週間かけて、ようやく入力したことを思い出す。
アナログからデジタルへ、時の流れは速い。今ならAIが、すぐに答えてくれるけど、でも図書館で探し探して見つけた資料を手書きで書き写したことは、懐かしく楽しい作業でもあった。思えば1984年、『私ひとりの部屋』を訳された松村加代子さんも、翻訳はもちろん、資料を調べて「訳注」を書かれるのは大変だったろうなと思う。
それと、この本を読み、「女の文章はいいなあ。話し言葉や語りの言葉が魅力的だな」と思った。男の文章と女の文章は、どこか違う。夜、NHK「朗読の世界」で聴く、吉本ばななの『キッチン』の文章も、実に優しく、耳に快く響いてくる「語りの言葉」なのだ。
そういえば、ウルフは紫式部『源氏物語』の翻訳も読んでいたと知って、びっくり。これも「訳注」によれば、アーサー・ウェイリー訳『源氏物語』全六巻が、1925~1933年に刊行され、1925年、ウルフは第一巻を書評しているという。わあ、すごい。紫式部とウルフが、つながっていたなんて。
ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『オーランドー』『波』などもベストセラーになるが、「第二波フェミニズム」を経て、1960~1980年代、また再び、よく読まれるようになる。『ダロウェイ夫人』をモチーフにした映画「めぐりあう時間たち」(2003年)も、もちろん見たよ。大好きなニコール・キッドマンとメリル・ストリープが、それぞれの時代を生きるヒロインを演じていたから。
「あと百年経てば、女たちは自由になる」とウルフは言った。でもね、「あんまり変わってないなあ」と思わざるをえないような、この頃。
先頃、和歌山県立近代美術館でのイベント「なつやすみの美術館」で、子育てをしながら、その苦悩や驚きを作品にするアーティスト・河野愛さんの「異者(こともの)」の作品展示と、英文学者の小川公代さんとの対談を取材した毎日新聞・清水有香記者の記事を読んだ。見出しには「家庭の天使にとらわれぬ世に」とあった(毎日新聞「文化のほとりで」(清水有香・2024年10月24日付)。
小川さんは、ウルフが、1931年の講演をもとにエッセイに書いた「家庭の天使を殺すことは、女性作家の仕事の一部だった」という言葉を、対談の始めに紹介する。
「家庭の天使とは、19世紀のイギリス社会で理想とされた女性像。無私無欲で家族に献身的に尽くす良妻賢母像だ」、「女性は本質的にケアする存在だとする「ジェンダー規範」を、女たちは無言のうちに強いられてきた」。それは今も同じじゃないか。だから「男女の公平さを装いながら、ケアを女性に担わせてきた社会が、根本的に変わらない限り、家庭の天使は何度でも蘇ってくる」と小川さんは語る。記者の清水有香さんも、5歳児の母として同じ思いを重ねて対談を聴いたと書く。
しかし「時の流れ」は速い。先日、大学生が主催する「トランスジェンダー」をめぐる講演会を聴いて、「ああ、やっと「女らしさの神話」から解き放たれる時代がやってくるぞ」と思った。私たちの世代は「女らしさの呪縛」に、ずっと縛られてきた。だけど、もう古いのでは? これからの若い人たちは「女らしさ」「男らしさ」にとらわれることなく、未来を大きく変えていってくれるに違いない、と信じて。
女も男も、性別も、すべて関係なく、どちらかが、どちらかを支配・抑圧、服従・忍従するのではなく、互いに自由に、共に解き放たれて、のびのびと生きる時が必ずやってくる。学生たちの周辺にも、「トランスジェンダーを生きる」友人たちがいて、それもあたりまえになっているという。自分と周りとの関係を、よりよくスムーズにしていくには、まだ解決すべき課題は残っているかもしれないけれど。
「百年経てば、女たちは(男たちも)自由になる」と言ったヴァージニア・ウルフの予言に、「百年経たずとも、その時はきっと来るよ」と応えて、私も「自分の書きたいことを書くわ」と思いながら、私の「自分ひとりの部屋」で、ヴァージニア・ウルフの物語を、そっと読み終えた。
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