タレントの松尾貴史さんが『毎日新聞』の日曜版に「ちょっと違和感」というコラムを書いています。ピリッと風刺をきかせて、岸田首相を初め権力のある人々を容赦なくやっつけています。最新の2月26日には、配偶者の呼び方をテーマにして、ざっとこんなことを書いています。
・最近配偶者や恋人のことを「相方」と表現する人が多くなった、
・夫・妻、旦那・カミさん、主人・家内、婿・嫁などは、少しずつ時代にそぐわない表現になってきているかもしれない、
・配偶者は「パートナー」が便利かもしれない、
・以前、三上満氏は奥さんのことを「つれあい」と言っていた。奥さんからも同じく「つれあい」と言われていた。温かい響きだが、性差を感じないのがいい。
1980年代初めから、わたしは自分の配偶者を「主人」と呼ぶのをやめようと言い続けてきました。その都度、それでは相手の配偶者はどうなりますか、「ご主人」以外にいい呼び方がありますか、と問われ続けてきました。わたしもその都度、「つれあい・おつれあいさま」があります、と答え続けてきました。タレントの男性が大きいスペースを使って配偶者の呼称を論じているのには隔世の感を覚えます。さらに、松尾さんが「主人・家内」をさっさと乗り超えて「つれあい」「パートナー」をよしとしているのは、とても爽やかです。
ところが、「主人」「ご主人」はそう簡単ではありませんでした。
同じ2月末、一方で、先の見えない不条理な戦争が2年目を迎えています。ニュースは、ウクライナの戦争記事があふれています。暖房もままならない寒空の下、日々生命の安全を脅かされながら暮らしているウクライナの人々の、悲しいニュースは読むのも辛いです。そこにも「ご主人」が登場するのです。
「夫は戦死」知らせだけ届いた 待ち続ける新婚の妻
「残念です。ご主人は殺されました」昨年11月27日夜、オクサナ・スタロスビットさん(21)のSNSにそんなメッセージが届いた。(朝日新聞2月24日第1面)
と、21歳の妻のところに届いた、夫の死を知らせる何ともむごいメッセージを報道しています。オクサナさんの気持ちを想像するだけで、こちらも胸が苦しくなります。誰が殺されても許せないことですが、21歳、新婚などと書かれていると、さらにその非道さ・理不尽さが許せなくなります。
さて、このメッセージの中で使われている「ご主人」です。「え? だれのこと?」一瞬、記事を読む目が止まりました。オクサナさんの「ご主人」?? 見出しでは「夫」と書かれていたのですぐわかりましたが、どうしても違和感はぬぐえません。ウクライナ人の21歳のオクサナさんの夫のことを「ご主人」? とても奇異な感じがしませんか。
日本語の問題としても、自分の夫のことを「主人」と呼ぶ人は少なくなりました。2021年の「日経xwoman』の調査があります。「第三者に話をしているときに、パートナーのことを何と呼びますか」の問いに対して、最も多かった呼び方は「夫」で50%、次いで「旦那・旦那さん」25.6%、そして「主人」は9.1%でした。
戦後の長い時期、日本の妻たちの多くは夫を「主人」と呼んできました。ですが、近年、終身雇用制度が崩れ、夫たちは一家の大黒柱ではなくなり、妻も働いて家計を分担し、夫は名実ともに「主人」ではなくなってきました。若い世代では、「主人」と呼ぶ人が減り、「だんな」とか「名前やニックネームで呼ぶ」人などが増えてきています。
自分の夫は「主人」と呼ばなくなったものの、次は他人の配偶者はどう呼ぶか、です。その答えのひとつが、先の松尾さんのエッセイでもあったのです。他人の配偶者の呼び方には、「つれあい・おつれあいさま」「ご夫君」「かれ」「パートナー」「夫さん」などなど、いろいろあります。それぞれの呼称に対して、古臭い、堅すぎる、友だちみたい、長すぎる、軽すぎるなどなど難癖をつける人は、いつでもどこにでもいます。「夫」の時もそうでした。「夫」は、堅すぎる。語呂が悪い、オットドッコイなんてなど、いろいろケチをつけられた呼称ですが、いまそれを「主人」や「ダンナ」を追い越して、50%の女性が使っているのです。だから、こうした難癖は、いちゃもんとして無視しておいてかまいません。
さて、オクサナさんに戻ります。
オクサナさんの夫のことを日本の読者に伝えるとき、「ご主人」の語に訳すことの不自然さです。他人が、ある女性・ハナコの配偶者を「ご主人」と呼ぶのは、ハナコが配偶者を「主人」と呼んでいる、あるいは、ハナコにとって夫は「主人」であるという前提があります。そういうハナコの夫に、敬意をこめて「ご主人」と呼ぶのです。ウクライナ人のオクサナさんが夫のことを「主人(のウクライナ語で)」と呼んでいるとは思えませんし、その関係も「主人」と従者の関係とも思われません。
そういう関係や状況から「ご主人」の語はふさわしくないと思われる時に、日本語では相手の配偶者を「ご主人」と呼ぶのが一般的だから(本当に一般的かどうか、検討の余地ありですが)と言って、そのまま訳して使ってもいいものでしょうか。
日本語の中でも、今では、他人の配偶者の呼称=「ご主人」という時代ではないのです。自分の夫を「主人」と言わなくなった妻たちは、他人の夫も「ご主人」とは呼びたくないのです。だから「パートナー」とか「おつれあい」とか「相方」とか、いろいろふさわしい呼び方を考えて使い始めているのです。そういうときですから、なおさら、ウクライナの若い妻の配偶者を「ご主人」と呼ぶのはやめてほしいのです。
2023.03.01 Wed
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば