再び入院をした2月

3月。逃げるように過ぎ去る2月。しかし、DIDである私たちは1日たりとも無駄ではなか ったと結果的に感じることのできる2月でした。
この2月もまた入院をしました。
昨年12月に入院した病院よりも解離性同一性障害(DID)、いわゆる多重人格について知識 や理解力があり、そのスキルを応用させたサポートと出会うことができました。PTSD、ト ラウマに対する理解があるからこそできるサポートだと入院中に学ぶことが出来ました。
前回、入院した病院はコロナでクラスターが発生し、今すぐに入院をすることが出来ず、 今回は離れたところにある病院に入院しました。
前回の入院は主人格である「アヤミさん」が出てきて署名をしなくては入院をすることが 出来ないのに対し、今回の病院では「主人格であるアヤミさんと同じくらい判断能力があ るとこちら側(医師)は判断しても良いですか?」と尋ねられ、「はい」と記憶の回収や、 ある程度の状況把握が出来ている私は答えました。

入院中、どのようなアイデンティティが出るかは、状況把握が出来ている私でさえも分か らない。私自身はアヤミさんが4才の時に誕生した8才の人間であって「寂しさ」とか感 じることも多く、いつも一緒に寝ているぬいぐるみをリュックに押し詰めて行きました。
アイデンティティによって好みが違うので、ぬいぐるみは沢山持っているのですが、全て を連れていくことは出来ず「みんな、ごめんね」と言って代表として触り心地のよいぬい ぐるみをひとつだけ持って行きました。

入院をしていなくても突然起きるフラッシュバック。「あやみさーん、永遠ちゃーん」と 呼びかける声がうっすらと脳に入ってくる。現実ではない空間に飛ばされていることを自 覚し、その呼びかけに集中する。「戻ってきた?あ、戻ってきたね」という言葉で「今」 をようやく感じることができる。私にとって「生きる」ということは「大切に思う心」で あること。そして「感謝」の気持ちが自然に湧き出た時。「あ、生きている」と感じるこ とができます。

目標設定をすること

暴力のある家庭から抜け出して1年が経過し、週に一度の通院や週に3回の訪問看護。あ まりにも一人になる時間が長く、これから先どうして生きていくのか考えても答えが出な いことがあります。この世界にはたくさんの事柄がありますが、家族も友人も仕事もお金 もなく、今エッセイを書いている私は8才ですが、主人格であるアヤミさんは成人を超え た女性であること。「遊びたいし、色んなことがしたい」そう私は思っても、現実的に8 才くらい、つまり私と同年齢の子どもと遊ぶことは一般的にいうとほぼ不可能であること 。小学校をみれば「学校に行きたいな…」と思う気持ちが出てきます。
アヤミさんの中にいる私たちが全て同じ夢や希望を持っているわけでもなく、また絶望感 の感じ方も違います。
だけど共通するのが「何が普通かは分からないけれど、普通を生きてみたい」
アヤミさんは「大学に行って学びたかった。こういうことが無ければ、バリバリ仕事して いただろうな」と声には出さずに思うことがあるようです。そういう時、私も「アヤミさ んには大学に行ってほしかった」と残念な気持ちになります。

今までエッセイを書いている中で、二次加害のことも取り上げてきました。私たちのリア ルを届けたいと思ったからです。確かに二次加害というのも無くしたいという思いは今も 強くあります。そして今、サポートを得ながら、一方的に支援を切り放置させた機関と話 し合いの場を設けて頂き、どのような形で責任をとって頂くのかという話になっています 。
数回これまで話し合いの場を設けて頂きました。今回で3回目でした。
その場でサポートをして頂いた方に、「大学に行くのはどうですか?」と。正直、とても 驚きました。アヤミさんは高校までは卒業しています。しかし、心身の状態から大学に行 くことは出来ませんでした。つい最近、お部屋の片づけをしていると某大学に受かった時 に頂いた校章のバッヂが出てきました。「昨日、部屋を片付けていたらこれが出てきて」 という話をしました。
いつになるかは分かりませんが、「大学に行く」ということを夢にしよう。そして、その 夢を目標設定にして、将来像を考えながら一歩一歩、前に進んでいこうと思います。これ までずっと流した涙は悲しみ、苦しみといったマイナスなものでした。ポツンと流れ落ち たその日の涙は私が今まで感じることのなかった嬉しいというプラスの雫でした。
砂漠の中に落ちた雫。蜃気楼でもなく、逃げ水でもない。必ずこの手で掴むものに変えた い。
今、主人格であるアヤミさんは外部に出てくる時間がとても減少しています。
皆と力を合わせて、これからも「生きる」こと。
エレベーターに乗って、行きたい階数を押さなければ動かないのと同じ様に、私たちには 「目標」が無かった。今は「目標」がある。
目標設定をした私たちは、きっと今まで以上に「生きる力」を身に着けると思います。
じっくりと根を生やし、倒れることのないように必要な栄養分を取りながら、誰かを守れ る樹木のような存在になっていけたらと思っています。

【解離性同一性障害(多重人格)への理解が深まる短編映画を作りたい】

DIDへの理解が社会になければ、DIDの症状を持つ人は二次加害を受けたり、社会の中で生 きていくことが困難になり、孤独にもなってしまうことがあると、私は私たちの経験を通 してですが、とても痛感しています。
世の中がありとあらゆる障がいに対して理解があれば、誰かを大切に思う心が養われると 思います。

今回は「解離性同一性障害(多重人格)への理解が深まる短編映画を作りたい」というこ とで【映画『その子』】の監督さんと俳優さんにコメントを頂きました。ありがとうござ います。

友塚結仁コメント:映画『Teamその子』で、人格さんたちを複数人で演じてもらう意図
「こんにちは、今回、解離性同一性障害についての理解を深められるような短編映画を作り たいと思い、現在制作している友塚結仁(ともづかゆに)と申します。
なぜ作ろうと思ったのか、ということにつきましては、以下のサイト にてぜひ見ていただければと思うのですが、こちらのブログの著者、真野あやみさんから 機会をいただき、こうしてご紹介をさせていただけますこと、とてもありがたく感謝して います。

今回の映画では、主人公その子と、その子の中に生まれた人格さんたちは、それぞれ違う 俳優さんたちに演じていただくことにしました。
もちろん、実際の解離性同一性障害(DID)の症状のある人は、姿形が急に大きく変化したり 背が10cmも伸びたり縮んだりということはありません。しかし、映画として見ていただく にあたり、DIDを良く知らない人が見て「こんな感じで違うものなのか」とパッと直観的 に理解できることを重視しました。

DIDの方がよく言われてしまう言葉の中に「また演技してる」というものがあります。
DIDのことを全く知らない人にとっては、
・記憶が断絶して繋がらない
・自分がしないこと・好きじゃないことを、他の人格がやっている
とは思いもしないため、「私がそんなこと言うわけない」「それは私じゃない」と言う DIDの方に、「不都合なことがあると言い訳する」「別人のような演技をする」と思って しまったりして、人間関係が難しくなってしまうことがあります。

人格さんによって、考え方や好みといったことだけでなく、できること・できないこと、 アレルギーや血圧といった身体的な特徴まで違うこともあるんだ、という現実を、見て感 じていただければと思っています。(監督:友塚結仁)」


友塚さんのコメントの中にもあるように、「演技をしているのではないか」と思われるこ とがあるというのはネットの情報で知りましたし、私たち自身も産婦人科に同行支援をし て下さった支援者の方から「演技なんかじゃこんなのできないよ」と唐突に言われたこと がありました。フラッシュバックが起き、落ち着きを戻した時に言われた言葉です。
「やっぱり筆跡も違うもんね~」という言葉も正直なところ気持ちの良いものではありま せん。何故、演技をしてまで苦しむ必要があるのですか?と問いたくもあります。
しかし、世の中には俳優という職業があるように演技力がある方はおられます。
今回、「その子」にご出演された俳優さんにもコメントを頂きました。

DIDの症状を持つ人間として、この映画が全国的に大ヒットし、少しでも理解のある世の 中になりますように。願うばかりではなく、私たち「真野あやみの中に生きるアイデンテ ィティ」としても出来る努力をしていこうと思っています。
シェアして頂ければ嬉しく思います。よろしくお願い致します。

もう3月。春ですね。そういえば、私は花粉症の症状があるのですが、全く花粉の症状が ないアイデンティティもアヤミさんの中にはいます。
次のエッセイでは女性困難支援法についてもふれたいと思っています。

私たちの小さな目標「3月も生きる」
小さな目標と言いながら、とても大きな大切な目標でもあります。
命が無ければ「大学に行く」という目標も達成できないですし、これからもサポートをし て頂きながら小さな目標、大きな目標を叶えていこうと思います。
では、また4月という桃色の季節にお会いしましょう。

真野あやみの中にいきる永遠(とわ)でした。