フェミニストたちへの宿題の書
「フェミニストカウンセリング(略称として、以下、親しみをこめて「フェミカン」と呼ばせてください)」というのは和製英語、いや本書の著者である河野貴代美さんの発案した造語なのだそうだ。本場のアメリカでは feminist therapyという。河野さんは、「セラピィ」という言葉では「治療」という医療的なニュアンスが強くなるので、あえてカウンセリングという言葉に置き換え、アメリカを参照しつつも、日本の事情に合わせてフェミカンという実践を築き上げてきた。本書は、このフェミカンの生みの親である河野さんご自身の1968年末から70年代にかけてのアメリカ滞在、帰国、そして1980年代からの日本社会へのフェミカン導入、その後の展開、そして今後の課題が率直に綴られている。
これを書いている私は1963年生まれ。フェミニズムについては複雑な思いで20代、30代、40代を過ごした世代だ。私の上の世代が第二波フェミニズムの影響を受けているのに対し、私の世代は、フェミニストたちが主張してきた権利はすでに獲得され解決済みだという意識を植え付けられてきた。だからフェミニストとは「権利主張をするうるさい人たち」だというイメージを喧伝され、苦々しく思いながらも、自分は「フェミニスト」と思われたくないと思ってフェミニズムを敬遠し、主張することをためらい、従順な女を演じてきた。そんなわけで、私は恥ずかしながら、フェミカンについても全く知らないで過ごしてきた。だから「フェミニストカウンセリング」という言葉を聞いても、正直、まったくピンとこなかった。フェミニストとカウンセリングってどうつながっているんだろう。どちらかというとアウトゴーイングなイメージのあるフェミニストに、カウンセリングという閉じた空間がなぜ必要なんだろうと。
なので、話題が盛りだくさんの本だが、ここでは、こんなフェミカン知らずの私の目線から、フェミカンとは何かという話に絞って河野さんの話を少し辿ってみたい。
まずは河野さんの仕事を支えてきた思想。河野さんの立ち位置は、女性というカテゴリーから照射される社会や政治の大きな問題を「小さな物語」「個人」から始めること(238)。河野さんは、女性たちが納得する生き方を選択し、幸せに暮らしてゆけるためには、一人ひとりのエンパワーメントが必要だという思いでフェミカンを日本に導入した。そして、カウンセリングに来る女たち一人ひとりに問いかけてきた。「あなたはどこから語るのか」と。
河野さんの「語ること」へのこだわりは本書の全編に表れているが、その語りとは「私を主語として語ること」。フェミカンとは、女性たちに自分を主語とする語りに馴染んでもらうことであり、「「私」が「社会的・政治的な構造のなかで、初めて「私」を見直し、しっかりと「私」と対峙し、「私」を語る」ことを徹底的に促すのがフェミニストカウンセリングだ(178)と定義しているのである。
いや、人はいつも自分を主語に語っているじゃないか―長く、私もぼんやりそう思っていた。しかし、河野さんは続ける。「クライエントが話をしている内容は、ほとんど自分以外の他者の物語である」と。その他者とは夫、子ども、友人やら同僚やら親族で、その他者が〇〇と言ったとか〇〇をしたと言うとき「「私」という語りの主語がその他者に貼りついている」(175)ので、河野さんはカウンセリングをしながら、まずはこの他人に貼りついた主語を引きはがす作業をするという。困った事態について他者に変えてもらおう、変わってもらおうと思っている状態から、「変わってもらうためには、その他者とのこれまでの関係性を考え直してもらうこと、結果変わらなければならないのは、クライエント本人かもしれない、というようなことをクライエントに理解してもらうこと」-これがフェミカンの第一歩だというのだ。ここから、女たちの意識覚醒(コンシャスネス・レイジング=CR)を促し、アサーティブ・トレーニング(AT)を施し、カウンセリングがエンパワーメントの物語へと転化する可能性が拓けていくのだ。当たり前に聞こえるが、フェミカンはあくまでも個人の「語り」から出発し、語りによって変革を目指す。
しかし、それにしても、フェミニストカウンセリングとは、フェミニズムのカウンセリングなのか、フェミニストによるカウンセリングなのか・・・ このあたりの答えは、やっぱり結局わからないままだったところがある。
興味深いことに、河野さんご自身もこの書で、フェミニズムとカウンセリングという二つの言葉のつながり、そしてそのソリの合わなさについて、正直に綴っている。以下、その数点を書き留めておく。
第一に、人の話を聞くカウンセリングは、元来「中立的」であるはずだというカウンセリング業界の神話。そしてそれに基づくヒエラルキーが、事あるごとにフェミカンの行く手を阻んできた。この点は、ジャーナリズム研究をしている私としては、ひどく頷いて読んだ。19世紀から20世紀初頭の近代化と進歩主義の中で発達してきた職業として、ジャーナリズムもカウンセリングも似ているところがあるのかと思う。この職業で「中立」を守らないものは、徹底的にアンプロフェッショナルと断じられ、一段も二段も低くみられ、業界から黙殺されてきた(少なくともジャーナリズムは)。
では、カウンセリング業界で認められなくとも、フェミニストたちの間では受け入れられていたかというと、それも難しかったのだという。その難しさは、とくに学会認定の資格制度の問題として現れた。有資格者と非資格者の分断は権威主義であり、フェミニズムの目指すところではないという主張だ。おおもめのあと、資格化が実現したものの、その人数は増えず、現在の有資格者は60人程度(293)。ようやく制度化しても、こんどは類似の資格である、臨床心理士や公認心理士といった資格との競合。フェミニストカウンセラーは、不安定雇用の非正規職という典型的な女の仕事になってしまう。巻末に上野千鶴子さんとの白熱の対談!で、上野さんが河野さんに「フェミニストカウンセリングを食える仕事にする気がないのか」と迫っている。とはいえ、上記にあるように、カウンセリング業界で一段低くみられているところ、業界内で、ハードルを低くして得られる資格制度など作れなかったのではないかなと、ここは河野さんの肩をもちたくなった。とはいえ、時代は変わり、現代の女性が抱える多様な悩みを思うならば、たとえば企業のリーダーシップ研修や大学などでのカウンセリング・ルームの開設などをはじめ、この分野のポテンシャルは高い。「マーケティング」次第では新たな可能性があるように思う。
さいごに、同じ対談で、上野さんは河野さんに、障害学が医療モデルから社会モデルにパラダイムシフトしたのと同様、フェミカンも精神医療業界に大きなチャレンジができるのではと提言している。「ジェンダーの病は明らかに社会モデルに依拠しています。医療モデルから社会モデルへ脱病理化してほしい」と述べられるあたり、まったくそのとおりだとここは上野さんに共感。業界全体に、もっとフェミカンのインパクトがあっていい。
しかし、それはフェミカンに限定された課題ではなく、ひょっとして日本のフェミニズム全体の宿題なのかもとも思った。日本のフェミニズムは、いまこそ、フェミカンをはじめ、日常の小さな現場で頑張っている人たちを「盛り上げる」工夫をする時期に来ているのではないかなと思う。特に、本書では河野さんが、日本のフェミニズムは社会学が中心で、特に理論的な潮流が強く、徹底した現場主義のフェミカンはフェミニズムの叢書や全集にも入れられず、フェミニズム側から受け入れられてこなかったと指摘しているくだりがある。このことをこのWANでも少し考えてみるべきかなと思う。
もともとは、第二波フェミニズムから出発し、「郊外の裕福な主婦たちの自分探しのための優雅なカウンセリング」というイメージもあるフェミカン。いま、とくに若い女性たちにはほとんどリーチしていないという。若者だけではない。男女を問わず、社会に生きるさまざまな「現場の人」たち—カウンセラーだけでなく、ジャーナリスト、サイエンティスト、アーティスト、ミュージシャン、学校の先生、小説家、パートタイムの従業員などなどが、フェミニズムの思想と出逢った際、その思想や理論のどこに係累点を見つけ、生活の現場に取り込んでゆけるのか。コロナ禍で女性の生きづらさや貧困が深刻化する中、フェミニズムがふつうの日常の、個人の小さな語りにいかに食い込んでいけるか。これはフェミカンだけでなく、日本のフェミニズム全体が背負っていくべき宿題でもある。
◆書誌データ
書名 :1980年、女たちは「自分」を語りはじめた~フェミニストカウンセリングが拓いた道
著者 :河野貴代美
頁数 :328頁
刊行日:2023/3/8
出版社:幻冬舎
定価 :2200円(税込)