これは、弦子さん(https://wan.or.jp/article/show/10628)がこの経験にかかわるご自身の気持ちをWANのために特別に書いてくださったオリジナル記事です。

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2018年、CCTVの司会者である朱軍からセクハラを受けたことを名乗り出たとき、自分が4年間のセクハラ訴訟の原告になり、そして自分が参加した#MeToo運動が、今後数年間で中国の若い女性のジェンダー意識を深く根本的に変えることになるとは思ってもみませんでした。

私にとって、セクハラを受けた経験を話す最大の理由は、当時中国のソーシャルネットワークで起きていた#MeToo運動によって、数え切れないほどの性犯罪の被害者が自分の経験を話すようになり、私の女友達が知人にレイプされた過去を記事に書いて、いわゆる貞操を失ったことで女性が恥さらしと言われかねない性的保守社会において、彼女の勇気が私を震撼させたからでした。無意識下で私は、自分の身に起こったことを話して、それは彼女に励まされたからだと伝えたかったのです。勇気は響くものだということを彼女に知ってほしかったし、私の反応が彼女の慰めになればと願ったのです。

セクハラ被害を訴えた後、私は長期の訴訟手続きに入りました。朱軍に対する私の民事訴訟は、実は4年前に報告した事件の続きでしたーー私は2014年に朱軍からセクハラを受けた翌日に、大学の先生に連れられて警察署に出向きました。しかし、当初は捜査に乗り出したものの、公安当局は私が通報した数日後に武漢に行き、私の両親を見つけて「事件のことは誰にも言わない」と約束させました。その年、まだ21歳だった私は、すぐにこの事件を正式に報告するのをあきらめてしまいました。

私にとって、2014年に起きたセクハラ事件の最大の打撃は、公安関係者から受けた説得であり、「朱軍は有名人だから、私に起きたことを話すと、彼のファンである視聴者を失望させ、CCTVに恥をかかせることになる」と言われたことでした。私は何者でもないのだから、私の気持ちや経験は重要ではない、というのが説得の言外の意味でした。セクハラを受けるということは、被害者の人格を傷つけること、自由に暴力を振るえる弱者だと相手から見なされていることを意味します。報告を躊躇させることは、二度目に人格を傷つけることであり、それは、私には自分に起こったことについて真実を語る権利がないということなのです。私は沈黙を強いられ、話す権利も記憶する権利も私のものではありませんでした。

2018年に名乗り出た被害者たちと、その血みどろの苦しみは、私に勇気とやる気を与えてくれました。私が朱軍を訴えたのは、相手側からの謝罪や賠償が目的ではありませんでした。謝罪などどうでもよかった。私はただ、自分が誰と比べても平等であるはずだということ、自分の体に起こったことについて発言する資格があるということ、そして、自分の記憶を守る資格があるということを証明したいだけなのです。私の記憶は私の人生の存在の確認なのですから。

2018年の提訴から2023年の最終判決まで、私の朱軍に対する訴訟は5年近くに及び、私は敗訴しました。訴訟期間を通じて、裁判所から再び、私は取るに足りない存在だし、勝つことはできない、と言われました。当時、公安が本人確認のために撮影したワンピースはどこにもなく、楽屋外の廊下の監視カメラの映像も出てこず、裁判所は公開審理を拒否し、朱軍は3回の法廷セッションで一度も姿を見せませんでした。朱軍が出廷しなかったとき、裁判所から裁かれたのは原告であり被害者である私でした。朱軍の弁護士は「妄想だ」と私を侮辱し、裁判官は私の弁護士を叱責しました。3回の法廷と20時間以上の裁判を経て最後に、何の調査もしない裁判官が、私が証拠不十分で敗訴したと告げるのを聞きました。

裁判が始まり、昼から夜まで6時間以上法廷に座り続けるたびに、こんな裁判は馬鹿げている、私の体に起こった事実を裁く資格は裁判所にはない、という思いがどんどん強くなっていきました。私は法廷を出て、法廷の外に行きたかった。なぜなら、そこには全国から集まった私の支援者たちが、何度も何度も命がけで、警察の嫌がらせを避けながら、昼も夜も私を待ってくれていたからです! 私はそこに属し、彼らに属していました。彼らの中でこそ、私が受けた傷は貴重な真実であり、私たちは何年も一緒に闘ってきて、その闘いそのものが私たちが持つ唯一のものだったのです。女性たちの抵抗と問いかけを、悔しさや傷とともに歴史に残すために。

水の滴りが川になるように、私は司法手続きでは敗訴しましたが、報酬は法廷の外で起こりました: 私は性的暴行の被害者として、#MeToo運動の数え切れないほどの支持者と友達になり、彼らを支援することができました。これこそが#Me Too運動の特別で貴重な点です。#MeToo運動は感情的なつながりによって推進される運動であり、女性の感情的なつながりは壊せないので、運動が止まることはないのです。

当初は、このつながりは被害者同士の間で作られていました。リソースが不足していたため、中国の#MeToo運動の被害者はしばしばヘルパーの仕事を引き受けなければなりませんでした。被害者が助けを求めようと思っても、誰を信用していいのかわからず、それ以上にスティグマや二次被害を経験することを恐れ、他の被害者が唯一信用できる相手だったのです。このように、被害者はソーシャルメディアのプラットフォーム上でつながり、法律やメディアのリソースを共有し、互いに支え合っています。

私の裁判の最初の法廷セッションでは、私が接触した十数人の被害者全員が集まり、女性、男性、同性愛者の被害者が登場するビデオを収録しました。このビデオは、私の案件をサポートするためだけのものではなく、すべてのセクハラ事件は孤立しておらず、被害者がセクハラを経験するのは運が悪いからではなく社会の構造的な不平等が原因であるということを世間に示すためのものでした。不平等を変えるべきであり、政府、司法制度、そしてすべての傍観者に責任があるのです。#MeToo運動で名乗り出た被害者たちには尊厳があり、彼らは個々の案件で勝利を望んでいるだけでなく、社会の進歩と引き換えにトラウマをさらけ出そうとしているのです。

何百人もの支援者が看板を掲げて裁判所の外で待っていた第一審から、検閲と脅迫のために100人以下の支援者しか来られなかったその後の2つの裁判まで、法廷の外の冷たさは、中国の女性の権利運動が遭遇している弾圧と苦難を反映していました。しかし、一度も会ったことのない一人の女性のために、高まるリスクを冒して人々が全国から集まってくれたことは、中国で何年もの間起きていなかった奇跡でした。

最初の法廷セッションでは、私の支援者たちは「答えは歴史に聞け」という看板を掲げていました。私や中国のフェミニストたちは、この裁判では被害者が試されているのではなく、裁判所と司法プロセスが試されているのだと考えています。司法制度が女性を守り、正義を守る準備ができているかどうか、この評決が歴史に記録される答えとなるでしょう。

支援者の失望と反対者の祝福の中、私は敗訴しました。一審の第2回法廷では、私が法廷を出てもいないうちに、裁判所はすでに私の敗訴の公式ニュースをソーシャルネットワークで公開しようと躍起になっていました。これは間違いなく私に対する公開の辱めであり、抵抗する者は罰せられるのだからあえて発言しても無駄だと他の被害者たちに思い知らせるための辱めでした。

2018年に#MeToo運動が起きてから5年が経ちましたが、司法制度の変化を求めるフェミニストや被害者の要求は、制度上、本当に答えが出されていません。このもどかしい結果は、訴訟を経て得た答えです。警察署から裁判所まで、私と弁護団はあらゆる司法的救済手段を使い尽くし、可能な限りの努力をしました。訴訟そのものが司法制度への挑戦であり、最後までやり抜くことで初めて最終的な答えを得たと言えるからです。暗黒の時代、私たちのモチベーションは答えを記録することでした。最大の痛みに耐えてこそ、この時代のフェミニストたちが最善を尽くしたことを証明できますが、現在の司法制度はいまだに被害者に救いの手を差し伸べようとはしません。

2018年、中国の司法制度は、被害者がセクハラを訴因として民事訴訟を起こすことができるように変更されました。当時、私たちはこれを#MeToo運動の成果だと捉えました。しかし、次々と被害者が法廷に足を運んで、裁判官がセクハラ事件の複雑さへの理解を欠き、裁判所が真相究明を担おうとしないことを知ったとき、法の整備を進めることは必ずしも社会の進歩を意味せず、被害者が自分の身体体験を語って記憶を語り継ぐ権利を政府の手に取り戻させる結果になったのだと気づきました。それ以降、裁判所だけが女性の体験の真偽を判断する資格を有するものとなり、#MeToo運動は構造的不公正を指摘する声を上げる社会運動から、被害者が司法制度に入り込んで二次被害を体験し、裁判官の承認を求めなければならない運動となったのです。#MeToo運動が被害者に声そのものが持つ力を発見させたとすれば、司法制度は被害者が持つ最も重要な武器を奪おうとしたのです。

#MeToo運動が中国の女性の外部環境に真の変化をもたらすことができなかったことは、悔しい真実であるように思われます。しかし、真実そのものには力があり、挫折した訴訟は中国の若い女性たちに、女性を尊重しない司法制度には女性を裁く力がないことを実感させました。女性がまだ信頼されていない時代に、女性が自分の言葉の正当性を信じ、自分の人生経験や思い出が他人によって規定されるべきではないと信じることは、女性自身に力を与えます。

#MeToo運動は中国の若い女性に自分たちの状況を認識させ、それが中国の若い女性を動員し、より戦闘的で怒りに満ちた形でフェミニズム運動に参加させました。だからこそ、検閲や失望があってもフェミニズム運動は消滅しませんでした。中国の若い女性たちがなぜこれほどまでにフェミニズム運動に熱中するのかといえば、それは不正が存在する証拠であり、この不正が引き起こす怒りが、女性たちに問いかけ続ける権利と動機を与えているのです。

多くの人にとって、訴訟の敗北は完全な失敗のように思えるでしょう。しかし私にとっては、失敗した訴訟でさえも、中国のフェミニストたちとの共同作業の結果なのです。5年間の訴訟を通して、数え切れないほどのフェミニストたちが、心理的な安らぎとオフラインでのリスクサポートという、かけがえのない助けを与えてくれました。この訴訟に負けたことは、私がフェミニスト・コミュニティの中で闘って勝ち取った最高の結果でした。なぜなら、その間に、あきらめたい、あきらめらめても不思議はなかったという瞬間が数え切れないほどあり、歴史に残る問いと答えのために闘い続けることができたのは、女性同士の信頼とサポートがあったからです。これこそが、私たちが得ることのできた最高の結果でしょう。

2014年の告訴から2018年の提訴を経て、この訴訟が終わるころには、私は21歳から30歳になっていましたし、裁判の後も裁判官から「自分の人生を生きなさい」とアドバイスされました。しかし、それには自分が平等で尊厳ある人間だという確認が必要であり、その確認が、私が自分の人生を生きていくための前提だったのです。このようなすべての経緯を経て、最後に裁判官の判決の瞬間を迎えたとき、私はようやく、自分の身体が完全に自分のものであること、自分の言葉や記憶が誰にも書き換えられてはならないことを証明したのだと自分に言い聞かせることができ、法廷で裁判官に「あなたには私の身体や記憶を判断する権限は本来ありません」と静かに伝えました。

裁判に負ける過程なんて意味がないと思っている人も多いことでしょう。しかし、私はこう言いたいと思います。それが私の人生の中で最も重要で貴重な瞬間であり、勝ち取るために全力を尽くした瞬間であったことを私は知っている、と。

弦子(周暁璇)

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日本語訳:DeepL & 俵 晶子
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English version: https://wan.or.jp/article/show/10650