エッセイシリーズIV-第6回はエマホイ・ツェゲ=マリアム・ゴブルー(Emahoy Tsegué-Maryam Guèbrou )をお送りします。1923年エチオピアのアディスアベバに生まれ、今年2023年3月に、99歳でイスラエルのエルサレムで亡くなりました。
アディスアベバで名を馳せた上流階級の家に生まれ、父親はエチオピア北部のゴンダール市の市長を務めました。ゴンダールは長い時代、エチオピア帝国の首都だった歴史的な土地柄です。
エマホイが生まれた時、父親はすでに78歳、母親も皇帝に繋がる家系の出身で社交界で知られた存在でした。6歳で、全寮制の学校に通うため姉妹でスイスに移りました。初めてのエチオピア人の生徒でした。アフリカ大陸からスイスまで、電車や船を乗り換えて壮大な長旅をしました。8歳にして初めて西洋音楽に触れ、ピアノとバイオリンを習い始めます。ただエマホイは、ヨーロッパの生活をきっかけとして、絶えず心に疎外感を感じており、「寂しさは、私の成長とともに一緒に成長しました。音楽こそが心の友、私の慰めだったのです」。この言葉を兄弟が出版した父親に関する著作の中で発言しています。
11歳で本国に戻りました。上流階級の子女らしく、おしゃれを楽しみ、のびのび暮らしました。女性と男性は平等だと当り前に思っていたと、後年のインタビューで笑いを交えて語っています。当時のエチオピアは、クラシック音楽を学んだ人も、ましてや気持ちを分かち合える女友達にも出会う機会がなかったとも語っています。
1936年、ムッソリー率いるイタリア軍の二度目のエチオピア侵攻が始まると、今までの平和な暮らしは激変し、家族3人が殺され、自身もイタリアにある島の捕虜収容所へ追放されました。侵攻により全てが変わり果てました。家族を殺された悲劇の体験は、エマホイに強烈な思いを残しました。
5年間の侵攻が終わりイタリア軍が去り、エマホイも無事本国へ戻りました。皇帝セラシエ1世も、1974年までその地位に戻りました。その後はカイロへ国費留学を果たし、バイオリンとピアノの勉強に励み、毎日バイオリンを4時間、ピアノを5時間練習しました。ショパン、モーツアルト、ベートーヴェン、バッハ、そしてとりわけシュトラウスを好みました。
しかしながらカイロの酷暑になじめず体調を壊してしまい、とうとうエチオピアに戻ります。カイロでのバイオリン指導者はユダヤ系ポーランド人で、エチオピアの皇帝音楽隊の仕事を得て一緒にエチオピアに戻りました。
エチオピアでは、皇帝の命で外務省の初の女性書記官として働きました。馬や荷車が交通手段だった時代に、自動車を駆使して仕事に励みました。どんな時も音楽は彼女とともにあり、これだけが慰めと感じていました。
その後、再びエチオピア政府の給費留学生として、ロンドンの王立音楽院で2年間勉強をする機会に恵まれるはずでしたが、希望に満ち満ちていた彼女に何らかの外的な要因が起こり、この留学は果たされぬまま終わったのです。後年メディアがどんなに理由を探っても、けっして多くは語りませんでした。
道を閉ざされたショックで全く食事ものどを通らず、家族が心配のあまり病院へ連れて行きました。昏々と眠り、目覚めた時には12時間が経過していました。そして心に沈殿していた想いがすべて洗い流されていました。
これを機に山間部のエチオピア正教会の修道院へ入る決意をします。まだ19歳でした。家族は大反対でしたが、決意は固く、これっきり向こう10年間は神にすべてを捧げ、裸足で歩く生活を送ります。21歳で修道女になりました。アフリカ諸国は今もって貧富の差は激しく、皇帝に近い高貴な出身者は贅を尽くした生活が約束されていたはずなのに、何と劇的な人生でしょう。
その後10年が経ち、大司教が亡くなり、健康も害していたことから山を下り、アディスアベバで母親と住み始めます。徐々にインスピレーションが沸くようになり、妹に促され作曲をやピアノに戻り、御前演奏もしました。
その後、母親が亡くなり、エチオピア内乱をきっかけに、1984年エルサレムにあるエチオピア正教会に移り住み、神への奉仕を続けました。
最初のレコーディングは皇帝セラシエのサポートの下、1967年、すでに40代でした。引き続き70年代にもレコーディングのチャンスが巡りました。その後、彼女が広く世に出たのは、パリに拠点を置く音楽レーベルが『Ethiopiques 』を発表したことがきっかけで、これはエチオピア音楽の集大成で、1998年から20年間で30巻、エマホイは21巻(2006年)に収録されました。
知名度が上がったことで、長くエマホイが望んでいた、貧困層の子供を助けたいという気持ちが少しずつ叶っていきます。エマホイ音楽財団が設立され、サイト内の楽譜の売り上げや物品販売は、音楽を志す子供や一般の貧困層の子供の経済的サポートをしています。Netflixのドキュメンタリー映画にも作品が起用されました。アメリカへの2度の演奏旅行も果たしました。エルサレムの修道院では、自室のアップライトピアノを弾き、作曲をする静かな生活を送りました。
作品の数々は、エチオピア土着の音楽~ペンタトニック旋法が使用され、当時のエチオピアは異文化が入りにくく純粋な民族音楽が温存されたこと、加えて山の上の宗教的生活で培ったエチオピア宗教音楽への学び、そこに元来好んでいたクラシック音楽の要素が、長い時代に内的熟成を重ね、ついに発出を始める日がやってきたのだろうと感じました。
この度の作品演奏は「Presentiment」。タイトル下に(1941)(9/12/1949)と明記があり、10代後半〜20代の作品と考えると、若いながら深い精神性に悲しみを湛えた音楽性に感じます。何より下記にエマホイ自演のミックスリストを置きましたので、ぜひお聞きください。なお作品内、小節26は楽譜表記の拍数と自演の拍数が違って聞こえますため、エマホイの演奏に依拠しました。
出典
Special thanks to my beloved friend in Hungary, Peter Munkacsi, who found Emahoy with her death article in the Guardian in March 2023.
エマホイ・ホームページ、楽譜購入はサイト右上、shop–music sheetsから 。
Emahoy Tsegue Music Publisher | Emahoy Music Publisher | Music Sheets | Community of Fans
エマホイ自作自演 動画集 (105) Emahoy Tsege Mariam Music - YouTube
BBCRadio インタビュー in 2017. The Honky Tonk Nun - BBC Sounds
The Guardian, Emahoy Tsegué-Maryam Guèbrou: the Ethiopian nun who was one of history’s most distinctive pianists | Music | The Guardian
Emahoy Tsegué-Maryam Guèbrou: The barefoot nun who became Ethiopia's 'piano queen' -BBC News
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