
日本の青春時代の恋愛はなぜ行き違い結ばれないのか
古今東西の文学は「出世と恋愛」を大きなテーマとして描いてきました。いわゆる青春小説や恋愛小説がそれに当たります。著者は近代日本の小説はワンパターンだと主張します。青春小説は地方から上京してきた青年が都会の女性に魅了されるが、何もできない「告白できない男たち」の物語であり、恋愛小説は片思いから一歩前進しても、二人の仲は何らかの理由でこじれ、彼女は若くして死ぬ(作者の手で殺される)運命にあるというのです。日本の小説家は大人の女性を描く力がないのではと疑問を呈します。そして古い文学作品が、今日の日本の精神風土とも意外に地続きだと理解するには、大人になってからの方が良いのでは、とも――。本書はこうした狙いで執筆が開始されました。
まず夏目漱石『三四郎』、森鴎外『青年』から始まります。著者は主人公である『三四郎』の小川三四郎と同じサロンのヒロイン美禰子との関係は「恋愛未満」で終わり、『青年』の主人公小泉純一は有楽座で誘いをかけてきた坂井夫人に翻弄されるが結局「恋愛未遂」で終わると結論付けます。 そして明治後期の「青年」の時代背景を説明します。明治後期の「青年」は流行語だったそうです。「青年」は「壮士」(自由民権運動の若者像。口角泡を飛ばして語る武闘派とでも呼べそうなタイプ)への対抗馬として浮上してきた世代像ということです。「壮士」が動なら、「青年」は静です。「青年」は内省的な思考を好む世代であり、天下国家よりは個人の内面へ、政治よりは文学へと関心が移っていきます。小川三四郎や小泉純一はこの種の「青年」です。なおかつ当時話題になった藤村操の存在があります。彼の死から、若者たちは「立身出世主義」に対抗して出世コースからドロップアウトすることに積極的な意義を発見します。「人生いかに生くべきか」と、ぐだぐだ悩むのです。そして恋愛教のカリスマ北村透谷の影響も大きいのです。透谷の「西欧的な恋愛」にハマります。こうした時代背景と若者たちの思考に踏み込んでの論考も本書の魅力の一つです。本作品では明治・大正期の名作が12作品紹介されます。
締めの第4章で、20年遅れの『三四郎』(!)が現れます。宮本百合子『伸子』です。また野上弥栄子『真知子』も登場します。二人とも恋愛小説の定石通り恋愛に破綻し手痛いダメージを被ります。ただし彼女たちは、ぐずぐずした態度の「告白できない男たち」と決定的に違っています。きっぱり別れを選ぶのです。二人は結婚に、もともとさしたる価値を見出していなかったのでしょう。失恋しても、離婚しても「今に見ていろ、あたしだって」と生きていくのです。では当初の疑問、「日本の作家は大人の女性を描く力がないのでは」への答えはどうなのでしょう。歴代の殺されたヒロインは草場の陰で合唱しているのではと著者は読者に語りかけます。その言葉は「消えてくれた方がありがたい自己チューな男と、悲恋好きな読者のおかげで、作品はベストセラーになったり、ロングセラーになったりしたんだからね。ありがたく思いなさいよ!」
◆書誌データ
書名 :『出世と恋愛――近代文学で読む男と女』
著者 :斎藤美奈子
頁数 :256頁
刊行日: 2023/6/22
出版社:講談社
定価 :1,056円(税込)
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