
暗闇の中に葬られようとしている性売買女性たちに光を当てた渾身の著作
2023年6月23日、これまでの性犯罪規定が見直され、不同意性交等罪が公布された。明治時代から110年間続いた強姦罪が見直されたのは2017年のことで、記憶に新しい。今回の不同意性交等罪は、2017年に改正された強制性交等罪と準強制性交等罪の不備をさらに補う内容になっている。
このような最中、占領期のジェンダー&セクシュアリティ研究を加速度的に飛躍させる画期的な本が2023年6月29日、岩波書店から出版された。歴史学者である平井和子さんの新刊『占領下の女性たち 日本と満州の性暴力・性売買・「親密な交際」』である。
本書は、平井さんの前書『日本占領とジェンダー 米軍・売買春と日本女性たち』(2014年有志舎・2014年度山川菊栄賞受賞)から9年を経た研究成果が凝縮されている。敗戦から被占領の流れのなかで圧倒的なジェンダー非対称の構造的な暴力下で、これまで過小評価されてきた「女・子ども」の生存戦略に注目することによって、暗闇の中に葬られようとしている性売買女性たちに光を当てることができた研究書である。
目次を簡単にご紹介すると、序章「女性たちの体験からとらえる敗戦・被占領」、第一章「国家による『性接待』」、第二章「守るべき女性、差し出される女性」、第三章「集団自決とジェンダー」、第四章「『働く女』が支える街」、第五章「少年の目に映る『ハニーさん』」、第六章「被占領と復員兵」、終章「危機に際して女性を差し出す国に生きて」という構成で、これらの章は網の目のように連関しあった内容になっている。
本書で特に注目した点として次の3点を挙げたい。
1点目は、第一章と第二章に当たる、敗戦後の日本国内と満洲とで同時進行的に「性の防波堤」が形成されたことである。敗戦後の日本国内と満洲とでそれぞれ「性の防波堤」が形成されたことは、さまざまな先行研究で明らかにされている。しかしながら、この2つの地域の「性の防波堤」が同時進行的に形成されたことに注目すると、占領地の女性や開拓団の女性は、占領する側/される側の男性からの二重に支配に加え「守るべき女性/差し出されるべき女性」に分断支配されていたことがあらためて認識できる。
2点目は、満洲でソ連軍に連行されそうになった女性たちの身代わりとして、自ら「性の防波堤」になった性売買女性の存在を、本書で可視化したことが挙げられる。
3点目は、満洲や占領期日本における「生き延びるために発揮される子どもの判断と実践」(本書p.7)が本書によって、歴史の中に位置づけられたことである。
2点目と3点目は、1点目の女性が二重に支配されかつ女性同士が分断支配されている状況を打破する可能性に繋がるため、これから詳しく見ていきたい。
女の視点―性売買女性の尊厳回復
本書では開拓団の満洲からの撤退時期に、「性の防波堤」としてソ連軍の犠牲になった性売買女性が複数いたことを明らかにしている。さらに膨大な資料のなかから平井さんは、自らソ連兵の相手となった性売買女性二人の語りを見つけだしたことは、画期的である。
平井さんは、自ら犠牲になった二人の(性売買女性)当事者の語りについて、「性売買女性たちのなかにも、家父長制がつくった女性の二分化(母親/娼婦)が内面化され、いざという時には自らが『性の防波堤』になるべき女性であるという認識が存在したのだろう(p.316)」と述べている。もちろん、性売買女性たちの中に女性の二分化を内面化した女性もいただろうが、たとえば本書で紹介されている「小さい子どもの母親(p.316)」に代わってソ連軍の犠牲になった性売買女性の場合、平井さんが別の文脈で述べている、「夫不在のなか独りで子どもの命を守らねばならない緊張した日々を生きていた(p.154)」子どもをもつ母親の心情を、性売買女性は察したからこそ、子どもを持つ母親に代わって、自ら「性の防波堤」になったということも考えられる。いずれにせよ平井さんが指摘しているように、「性の防波堤」になった性売買女性たちは、レイプの身代わりになったということに変わりはない。平井さんがこのような性売買女性に光を当てたからこそ、今まで闇の中に放置されてきた彼女たちの尊厳は、ようやく日の目を見ることができたといえよう。
子どもの視点―闇に光があたる可能性
ここでは、敗戦後満洲の開拓団の子どもたちと、朝霞のキャンプ・ドレイクの「金ちゃん」という少年の視点に注目する。
満洲でソ連軍の性暴力が展開される状況で、ソ連軍や「匪賊」が近づいたら大人たちに合図を送っていた開拓団の子どもたちは、ソ連軍を揶揄する替え歌をつくっていた。わたしは、岩波書店のホームページに掲載されている替え歌「ロモーズの歌」の音源https://www.iwanami.co.jp/book/b626361.html
を聴いたところ、アップテンポで陽気な印象を持った。と同時に、当時の子どもたちの心境が、ソ連軍や「匪賊」の襲来で戦々恐々としている大人とはまた異なっていることが、手に取るように伝わってきた。
次に平井さんが偶然、「金ちゃんの紙芝居」を視聴したことがきっかけで「金ちゃん」こと田中利夫さんとの交流を育んだ結果、田中さんの実家の「貸席」に下宿していたさまざまな「ハニーさん」たちの生存戦略が本書に記されている。そのなかに、「喉仏が目立ち(p.229)」、「ひげ面(p.232)」の「ハニーさん」のことが詳しく語られていることは注目に値する。さらに田中さんの語りは、「マスコット・ボーイ(p.234)」や、「ハウスボーイ(p.235)」の話にまで及び、今まで不可視化されてきた「ハニーさん」や「男娼」の存在が浮かび上がっている。
これらの子どもたちに共通している点は、大人とは異なり日本の家父長制の歯車に巻き込まれていない、柔軟な視点を有していることにある。
この当時子どもだった田中さんや開拓団の子どもたちは、日本の高度成長期(1955年〜1970年)には日本経済を担う重要な「男性稼ぎ主モデル」世代に該当する。「男性稼ぎ主モデル」と日本の家父長制は、相即不離の関係にあることを念頭に置くと、ここで注目すべき点は、「男性稼ぎ主モデル」世代の田中さんたちが、近年になって、子ども時代の豊かな経験を積極的に語り初めていることだ。
こうした豊かな語りを引き出すことができたのは、聞き手である平井さんの手腕であることを、今一度強調しておきたい。
本書は、性売買女性の尊厳回復に寄与することに繋がった貴重な労作である。2023年7月13日の不同意性交等罪施行日に、本書をいち早くWANのサイトでみなさんにご紹介できることを嬉しく思う。
茶園敏美(京都大学人文科学研究所)
◆書誌データ
書名 :占領下の女性たち――日本と満洲の性暴力・性売買・「親密な交際」
著者 :平井和子
頁数 :342ページ
判型 :四六判
刊行日:2023/6/29
出版社:岩波書店
定価 :3000円+税
ISBN-9784000616010
慰安婦
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