ジェンダーに抗するために、歴史的思考を養う
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本書は、西洋ジェンダー史の入門書である。ドイツ史、ジェンダー史を専門とする著者が、主に法学部の学生を対象におこなってきた講義がベースとなっている。
伝統的な歴史学では、知的エリート男性が、公文書を史料として、国家を基盤とした公的領域を対象とするものとされてきた。20世紀に入り、このような伝統的歴史学は批判されるようになり、女性や子どもなどが形づくってきた歴史が研究されるようになった。この「新しい歴史学」の一つが、ジェンダー史である。
ジェンダー史では、歴史家は、性別を含む自身のポジショナリティを意識しつつ、文書だけではなく統計や絵画などに依拠し、ジェンダーの視点から歴史を考える。そのなかでも、西洋ジェンダー史は、西洋で普遍的・不変的だと考えられ、その後世界に伝播したジェンダー観が、西洋近代化の過程で歴史的に構築されたことを明らかにする。本書はそうした取組みを、家族史、女性史、女らしさ・男らしさ、身体史、男性史、軍事史、グローバル・ヒストリーなどのイシューごとに描写している。
ここでは、身体史を紹介する第4章(男女の身体はどう捉えられてきたか-身体史)を窓口として、西洋ジェンダー史の営みを覗いてみたい[注]。
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身体史とは、「身体をめぐる人びとの意識や価値観など、身体観の変化や身体をめぐる社会の変化」をテーマとする歴史学である。
西洋では、近世に至るまで、男と女の身体は本質的に同じであると考えられてきた。例えば、フランス啓蒙思想を代表する書物であると言われる『百科全書』を編纂したディドロは、「対談の続き」という小論において、精液は、男性のみが分泌するものではなく、生殖に関わる体液として男女ともに分泌するものであるとの考えを前提としていた。このような男女の身体観は、身体史では「ワンセックス・モデル」と呼ばれている。
しかし、18世紀以降、男と女の身体は絶対的に異なると考える「ツーセックス・モデル」が台頭するようになった。例えば、解剖学書の図版では、それまでは一つしか描かれなかった人間の骨格図が、18世紀半ば以降、男女別に描かれるようになった。そこでは、男性の頭蓋骨は女性のそれより大きく描かれ、男性の知性の根拠とされた。また、女性の骨盤は男性のそれより大きく描かれ、「産む性」としての女性を象徴するものとされた。このような身体観は、公的な社会領域を男性のものとし、私的な家庭領域に女性を追いやるジェンダー秩序の科学的基礎づけとして機能した。
「ツーセックス・モデル」の浸透を担ったのは、医学者(男性)である。19世紀以降の西洋社会では、医学者の発言が大きな影響力を持つようになり、「医者=男性(的なるもの)=権威ある者=主体」と、「患者=女性(的なるもの)=権威に従う者=客体」という構造が成立していった。
このように、身体史は、自然に決定されると思われる身体のあり方が、実は近代化の過程で作為的に形づくられていったことを明らかにするのである。
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このように、ジェンダー史は、普遍的・不変的であると考えられてきたジェンダーの歴史的構築性を明らかにする。ここから私たちは何を学べるのか。
著者は、「異性愛主義に基づく男女の二元化されたジェンダー規範を、『創られた伝統』と捉え、批判的思考を重ねることで、誰もが『自分らしい生き方』へと近づくことができればと思います」と述べている。すなわち、ジェンダー規範を歴史的に批判する視点は、私たちがジェンダー規範から自由になり、より自分らしく生きるヒントになるのだ。
私は今、男性弁護士として市井の人びとに接している。弁護士は「国民の社会生活上の医師」と言われることがあるが、男性弁護士と依頼者の関係は、ともすれば前述した近代的な医師と患者のような関係になりがちである。そのような関係は決して普遍的ではないことを肝に銘じ、ジェンダーに対する批判的な視座を持ち続けたい。
[注]以前、私は、東京弁護士会の会報である「LIBRA」の2023年6月号に、「お薦めの一冊」として本書を挙げ、女性史研究を起点とした書評を書いたことがある(https://www.toben.or.jp/message/libra/libra-2023-6.html)。女性史研究に関心のある読者はそちらも参照されたい。
■書誌データ
書 名:はじめての西洋ジェンダー史 家族史からグローバル・ヒストリーまで
著 者:弓削尚子
頁 数:304頁
刊行日:2021年11月30日
出版社:山川出版社
定 価:2,530円 (税込み)
2023.08.28 Mon
カテゴリー:わたしのイチオシ