ゴーシュ晶子 プロフィール ボストンで不動産エージェントを自営。日本からおいでになる方が到着してからなるべく早く本来の目的に取り組めるように「ジャンプ・スタート・ボストン」と称して家の紹介だけでなく、生活立ち上げのサポートも提供している。 高校時代には交換留学生としてノース・ダコタ州に行く。大学在学中に結婚した相手はインド出身。その後何度もインドに行くうちに、目にする素晴らしい手仕事に魅了されて東京・高輪にインドのインテリア雑貨店、「スタジオ・バーラット」を開く。ボストンに移住したために8年後には閉店したが、これからは更にインドとのかかわりを深めたいと思っている。

今回は乗り物の話です。なぜ乗り物かには、理由がある。実は8月終わりから、車で4日をかけて、ミネアポリスを通ってノース・ダコタに行って再び帰ってくる、という旅(約5000キロ)をやったばかりで、そこから車へと連想が飛んだのだった。ちなみに言えば、車の長旅に出る前に「ヨガ・スートラ」というヨガの本を読んでいて本当に良かった! と思ったのである。というのも、狭い車の中、夫と2人で過ごす時間の長いこと。いちいちハリネズミのようになって話を聞いていたらそれこそなにをかいわんや!
ちょっと待ってネ、その話はいずれ。
私が住むボストンの近郊では、牛乳を買いたいと思っても、歩いて行けるところがほとんどない。ボストンにおいでになる方々に家を紹介する不動産業を仕事にする私だが、日本の方々の要望には「駅の近くに住みたい」があるが、「電車はないところの方が多いので、あるとしたらバスの駅ですね」と答える。米国は車の国。4輪車普及率で言えば、ユタ州では96.1% の人が4輪車を持ち、ここマサチューセッツの隣の州、ニューハンプシャー州では95.2% 、そしてマサチューセッツでは87.9% という数値だ。(Forbes ’23.9.12)
しかし、車が普及する前、米国で最初に電車が走ったのは、ここマサチューセッツで、1826年のことだ。電車といっても、荷物をレールには載せるが、引っ張るのは「馬」というものだった。それが蒸気機関を備えた電車になり、130年の間、つまり1956年までは、産業革命の需要もあり、電車が交通・運搬手段の主役だった。
◆1873年、ボストンの近郊ベッドフォードにボストンから電車がやってきた
将来、電車が開通することを知っていたかどうかは定かではないが、1850年代はじめに、ミネラル・ウオーターを求めてウイリアム・ヘイデンはニューヨークからベッドフォード(Bedford)の街にやってきた。
それよりずっと前、1600年代ごろから、アメリカ・インディアンは、ベッドフォードにあるファウン湖(Fawn Lake)の水に薬効があるので、治療に使っていたという。後にその地が白人に売られ、1856年には、彼、ウイリアム・ヘイデンが購入。なんでも、その水を飲んで育った乳牛は大変健康で、そのミルクの質も大変良かったという。

電車でボストンから遊びに来た人々が楽しんでいる風景
当時はもっと小さかったファウン湖だったが、商才のあるヘイデンは100人ものイタリア人労働者を連れてきて湖の周りの土地を掘らせて湖を拡大した。そして、1873年にはボストンからケンブリッジを経由して引かれてきた鉄道がベッドフォードの中心まで来たので、町と交渉して湖のすぐ横まで延長させることに成功。3.2Km ほどの線路を敷いたのだ。
湖畔にはホテルも建てたので、ボストニアンにとっては、電車で行ける優雅なスパ/避暑地として大変人気になったという。そして、ヘイデンは、1892年、同じく湖畔にニューヨーク製薬会社(New York Pharmaceutical Co. )を作り、ファウン湖 の良い水を使って350種にも及ぶ薬を作って、それを鉄道網に載せて各地に販売した。

当時はやったハンノキを主成分とした鎮痛鎮静薬



◆しかし、自動車の世の中がやってきた
1913年、フォードが大衆向けの車を開発してからというもの、人々の交通手段は一気に電車から自動車に移った。かつてあったホテルはその後、跡形もなくなりファウン湖の横を走っていた電車は1977年には終了。かつては華やかなリゾートだったヘイデンの土地は、1978に家族によってベッドフォードの街に寄付された。そして再び、ファウン湖のあたりは緑に包まれていき、1992年からは、線路も取り除かれて、静かな遊歩道になった。自動車の普及で、同じような歴史をたどった町がニューイングランドにはそこ、ここにある。

現在の遊歩道

赤の矢印を右に上がった先の②がファウン湖
◆ヘイデンの建物の一部を手に入れるチャンスを掴む
私は、仕事柄、常に「家探し」をしているが、「家探し」は結婚相手、あるいは「恋人探し」に似ていると思う。「相性」がある。一度これだ、と決めるとほかの相手や建物の影が薄れていく。私自身はボストンに来てから家族の需要に合わせて3度家を換えているが、昔住んでいた家の横を通っても、懐かしくはあるが、再びそこに住もうとは思わない。別れた夫、あるいは妻や恋人との場合もそんな感じではないだろうか。
ある日、売り物件を探しているときに小さな湖畔を望む建物が目に飛び込んできた。なんとその週末にオープン・ハウスがあるというので、早速行ってみた。

夫は以前からウィークエンドハウスが欲しいと言っていたが、私は全く乗り気ではなかった。というのも、家というものは手がかかる。遠くにまで行って、いつもやっている「おさんどん」はしたくない。
さて、ウィークエンドハウスの定義は、というと、緑が多い、静か、水辺にある(海や湖)などが当てはまるのではないか、そうだとしたらこの物件はそれに当てはまり、しかも家から「近い」。
道の名前はスィートウォーターアベニュー(Sweetwater Ave.).。なんとも魅力的な響きだった。
きっと「相性」があったので、その建物の一部、湖が見渡せる部分が私たちの手に入った。忘れ物をしても家にすぐに取りに行ける距離、湖と言っても、軽くぐるっと歩いて回れるサイズ。コンドミニアムの一部だから芝生の世話も雪かきもしなくてよい気軽さだ。

これこそ、先に述べたウイリアム・ヘイデンが設立した薬品会社の製造工場だったのだが、1988年には、コンドミニアム・アパートメントとして改装されて販売された。

当時のコンドミニアムのモデル
それも35年前なので、アップデートが必要だった。現在進行形で改装中の今、天井を開けてみると、なんと1856年の屋根裏のままで、基礎も石を積み上げて作ってあるその時代のままであった。
かつてヘイデンが見たであろう同じ光景を見ることができたが、その時とは建築基準も違い、思った以上に手をかける必要が出てきている。
あらあら、と思いながらも、彼が短い間に、しかも今のように便利なものがそろっていない時代に成し遂げたいろいろなことを考えると、小さいことだ。
改装が終わり、湖を見ながら、昔の様子を想像しながらお茶ができる日を待ち望んでいる。
追記:日本の会社がボストンの地下鉄車両を製作していた。
さて、マサチューセッツでは自家用車所有率が87.9% と、他州に比べると低め。それは、ボストン中心地には「地下鉄」が走っていること、そして、学生の街である、ということもあると思う
。

米国で最初の地下鉄はボストンで1897年に開通した。「地下鉄」とは言っても、地下を走るのは街の中心部だけで、その区域外では「路面電車」になる。
1983年、日本の会社、近畿車両が120台もの車両を納めた。ニューイングランドの冬に合わせて、雪に強く、その上、軽く、しかも100年近く前からのシステムと順応する車両の製作が求められたという。私も、「Kinki Sharyo」と車内に小さく貼られたマークを見て嬉しく思ったことを覚えている。
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