第七回 フェミニズム塾 アドバンスコース受講レポート

鴨谷香
 2023年度WANフェミニズム塾アドバンスコースの全13回のうち7回目が終了しました。ああ、何と遂に後半に入ってしまったのです。今回は2日間に分けて「具体的な目次の作成とその中身について説明する」という課題に挑んだ10月のゼミ生達。それぞれが5分で「目次を読んだだけでその論文の概要と結論が分かるように書く!」を目指して論文の題名と目次を発表し、その後に上野先生からコメントを頂きました。
 上野先生のゼミ生へのコメントを必死で書いた私のメモはこんな感じ。「〇〇の考察は最低なタイトル!」そうか、確かに考察っつったって、何も言えてないしな。「まず目的・リサーチクエスチョンを書き、なぜならば、こういう背景があるからだ、と説明する」そうか、背景から説明して目的を書きがちだけれども、目的から書くのだな。「再構築でも、更新でも、書き換えでも、上書きでも」そうか、色々な表現があるのだ、いったいどの表現がふさわしいかを考えよう。なんか文字にすると当たり前のようだけど、私にはその一つ一つのやり取りで、着実にみんなの目次が変化して、研究の内容が深まったことがよく分かりました。
 ゼミ生達のどんなテーマにも、どんな言葉にも向けられる愛あるご指摘に、情報生産者になる過程ってこういう風に物事を捉えて生産するのだ、と実感しました。上野先生は様々な人間の疑問や滞りや意気込み、喜び、好奇心や怒りや問いに対応してこられたんだな。こういうやり取りがあるから、学生には力がついて消費者ではなく生産者になるんだ。なんだかその丁寧な過程に涙が出そうでした。そしていかにも自分も発表したみたいに書いたけど、私は目次を立てられませんでした。だから、涙を流しながら見てただけ。泣いててもしょうがなくて、あと6回しかないんだな。なんか、がんばる、って気軽に書けない気がしてきましたが、きっと乗り越えられる課題なのだと捉えて、やるしかない。もう一度「情報生産者になる」の本をひらいて付箋のところを確認して、上野先生とゼミ仲間に感謝つつ、書け、私よ。


鳩たけこ
10月のゼミは、「目次」の発表。
「目次」の章と節、それぞれのタイトルを読んだだけで、そこに何が書かれるのか内容がパッと目の前に浮かんでくるのが理想。
そんなお手本のような目次発表があった一方で、タイトルがダサい!とうえの先生にグサっ言われた目次も。
ダ、ダサいって、、、。  でも、いいんです! 目次は何度でも書き直すもの。最後まで何回も手を入れていくもの。「この章はいらない、なぜならそんなことはもう常識だから」と上野先生にバッサリ一章丸ごと不要といわれたのは私。一方で「あなたにとっては自明なことは、読者にとって自明ではない」とコメントされるゼミ生も。

今日のゼミのはじまりにうえの先生は「レスポンスカードに、うえの宛てのコメントを忘れている人がいます、書いてね!」とおっしゃった。うえの先生宛にコメントを書かないゼミ生が多かったので、そのことを指摘なさったのだ。
つまり、うえの先生のコメントは的確だったか、反論があるならレスポンスカードに記入せよ、というのだ。
 ビビるがな、そんなん。うえの先生宛にダメ出しを書け、と言われてもねえ。

でも、うえの先生宛てのゼミ生コメントには味わい深いものがあった。オンライン発表中は時間に限りがあるから、飲み込んでしまった言葉なのだろう。自分自身に向き合った、光る言葉がそこにはあった。レスポンスカードは瞬発力を鍛えるためのトレーニングだと思って書いていたけど、より深くゼミ仲間のことを知り、自分を知るためのツールにもなるようだ。たかがレスポンスカード。されど、レスポンスカード。じわじわといろんなことが見えてきて、身についてきているのなら、うれしいな。


西川由紀
「納得されましたか?」と言われてびっくりする。

この言葉は、私が質問した後、うえの先生からの説明の終わりに放たれた。

「理解しましたか?」は、今まで私が先生と呼んできた方たちから言われてきた。きっとこれからも耳にするだろう。
「理解しましたか?」という問いかけは、私の理解力が試される。正解までのプロセスが決まっていて、あなたはそのプロセスを飲み込めたか、というものだ。

一方で、「納得しましたか」。
この言葉においては私の理解力が試されるのではなくて、相手の説明が私を「なるほど」と言わせるに十分であるか、という事が尋ねられている。
「私の説明はあなたの質問に対して十分になされましたか、かつ、あなたが理解できたうえで、その内容を吟味してなるほどと思えるに足りる説明ですか」という問いかけだと思う。
私の人生史において「納得しましたか?」という問いかけを先生という立場の方からされたことはめったにない、らしい。それでびっくりする。
今まさに、うえの先生から尋ねられている。
なんと応答すれば良いか、迷走する。
「納得しました」うわずった声で答える。

今日のゼミは目次発表だ。自分の論文を構築していくその道筋を文字にあぶり出したものを発表する。1人1人が発表する姿をスクリーンを通して見つめる。みんな、何でもないような顔をして発表している。それが、私をさらに緊張させる。

「私は札付きですから」
そうもおっしゃった。ご本人曰く「札」=「レッテル」らしい。
レッテル、ではないだろう。みんなから愛されるお札だろう。
たとえレッテルでもいいや。逃げも隠れもしないうえの先生。
これだけの人から慕われるのにも大いに納得します。
私も75年近く生きたらうえの先生みたいになれるのだろうか。

うえの先生のお知り合いで編集者の方が参加された。先生の人脈の広さにもびっくりするし、誰かと誰かを結びつけることの垣根の低さにも驚く。編集者の方が男性だと思っていた私のジェンダーバイアスの根深さにも、自分で驚きを隠せない。40年近い時間をかけて構築された先入観は、同じくらいの時間をかけて改築しよう。それに、以前より少しだけ知識がある分、かかる時間は少なくなる、と信じる。

やっぱり、75歳の時、うえの先生みたいになれるかなあ。


第八回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10950
第六回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10842
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方法論ゼミレポート  https://wan.or.jp/article/show/10802
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第三回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10714
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第一回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10703