
イラスト・田中聡美
「函館宣言」をご存じだろうか? そりゃ、知らんやろ。
7月14日、北海道・函館で開催された日本消化器外科学会第78回総会の特別企画「不可視化されたジェンダーバイアスを明らかにする~消化器外科領域の男女共同参画の真の実現に向けて~」の会場で理事長、前理事長、男女共同参画担当理事、学術集会会長の4名が署名した、できたてほやほやの宣言である。なぜわたしが知っているかと言えば、招待講演に呼ばれ、その場に立ち合ったからである。
前夜の夕食会では、ここにこぎつけるまでの10年以上にわたる涙と悔しさの道のりを、仕掛け人の3人の女性医師からたっぷり聞いた。その立役者、河野恵美子さんは、昨年度のパブリックリソースセンター主催女性リーダー支援基金「一粒の麦」の受賞者のひとり。署名した学会の男女参画担当理事は女性初の東大医学部外科准教授、野村幸世さん。東大医学部外科にはまだ女性の教授はいない。
外科医は医師のなかでも激務である。そのせいか、志望者が年々減少するという危機のもとにある。そのなかでも女性外科医の比率は徐々に増えて7.1%に達し、「外科は男の仕事」という通念をくつがえしつつある。なのに、女性外科医の離職率は高く、管理職には女性医師がきわめて少ない。
なぜか? それを解き明かすために、河野さんたちは研究チームを組んで、「外科手術経験の男女格差」を実証する大規模な調査に乗り出した。NCD(全国臨床データ)における過去5年間の登録外科手術1,147,068件を全数調査し、それを執刀医の経験年数と性別とを変数にして分析した。これをジェンダー統計という。
Surgical Experience Disparity Between Male and Female Surgeons in Japan | Gastrointestinal Surgery | JAMA Surgery | JAMA Network
その結果得られたエビデンスは、誰にも否定できないものになった。虫垂炎などの低難度手術でも男女格差はあり、幽門側胃切除術のような中難度手術で男女格差が開き、膵頭十二指腸切除術などの高難度手術では男性が圧倒的に優位となった。文字通り「不可視化されたジェンダーバイアス」が可視化されたのだ。手術の配当は上司が決める。男向け配置・女向け配置をとりしきる男性管理職が「ジェンダーバイアス」を持っていることが明らかにされた。
「女性医師はバッターボックスにも立たせてもらえない」とチームのひとり、京大外科の医局に所属する大越香江さんは表現した。手技を磨く機会がなく、実績が積めなければ昇進はおぼつかない。女性医師は構造的な差別のもとに置かれているのだ。外科医だけでなく他の専門でも、また他の職種でも、同じことが起きていることだろう。
「函館宣言」は2032年までに中難度、高難度の手術を男女均等にすることを目標とし、その過程で実態調査を学会の責任で行うことを約している。理解のある男性理事長のもととはいえ、ここまでこぎつける組織内の根回しや苦労はなみたいではなかったことだろう。その彼女たちの悲願が叶ったのがこの「函館宣言」である。
会場で彼女たちは涙にくれた。その感動の一瞬にわたしも立ち合ったのだ。
「朝日新聞」7月20日付け北陸版「北陸六味」をもとに改訂。
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