この記事は、週刊金曜日1433号、2023年7月21日に掲載された記事を、許可を得て転載しています。

山内若菜さん

山内若菜(やまうち わかな)1977年、神奈川県藤沢市生まれ。福島県へ通って取材した被曝の牧場の大作を「原爆の図 丸木美術館」など各地で展示しつつ、原発事故を忘れない命の授業を中学校などで開催。2021年東山魁夷記念日経日本画大賞入選。

【東京電力・福島第一原発事故を伝える「おれたちの伝承館」の天上画作者】

福島県南相馬市で7月12日、「おれたちの伝承館」が開館した。アーティストの感性で東京電力・福島第一原発事故の伝承を試みる「もやい展」プロジェクトと、南相馬市小高区の双葉屋旅館を中心に集まった人びとが協働する「伝承アートミュージアム」だ。「おれ」は、現地では性別を問わない一人称。老若男女のまことの言葉が発露するきっかけの場をめざすという。その天井画「命煌(きら)めき」を描く山内若菜さんに話を聞いた。

———「命煌めき」は巨大な天井画です。どのように制作し、どんな思いを込めましたか。
 私自身の思想や考え方がしっかりしていないと描けないサイズだと思い、まず「おれたちの伝承館」(以下、おれ伝)がある南相馬市小高区について取材や勉強をして、それから構図を構成しようと考えました。一番下は群青の海、その上に黄金(こがね)の大地(菜の花畑)が広がり、そこに赤い人間を描こうと決めました。人間は天女でも表現者でもあります。また、人間と自然そして社会との関係性に意識を向けよう、三者をつないでいるのは闘いだ、と思いました。
 それからクラフト紙を貼り合わせ、7×5メートルにするのに2日がかり。それを2分割して、やっと描き始めました。闇と光は混在する、世界は闇だけではない、ということを意識しています。

「おれたちの伝承館」

「おれたちの伝承館」→所在地:福島県南相馬市小高区南町2丁目23 入場料無料、寄附歓迎。
開館時間:11時〜17時半。
11/23〜11/26が、今年の定期開館としては最終開館日となります。最終日11/26(=年内最後の開館日)に、「おれたちの伝承館」にて午後2時から、天井画の作者・山内若菜さんのギャラリトークをおこないます(予約不要、参加費無料、投げ銭大歓迎)。
11/27以降は来年2月末頃までメンテナンスのため休館、その後の開館日についてはHPでご確認ください。https://suzyj1966.wixsite.com/moyai
*運営への支援を募集中! 詳細はHP内の「Donation」へ。

「天井画加筆中」

「天井画加筆中」→おれ伝の1階床に「命煌めき」を広げて加筆する山内さん。

◆「この馬や牛は私自身だ」◆
———馬が印象的ですが、馬を題材にした理由はなんですか。
 小高では白馬が神様の馬として大事にされます。相馬地方では、野馬追(のまおい)という神事が1000年を超えて伝わります。一方、私は2013年から通う飯舘村で、被曝の影響で傷だらけの馬を多く見ています。だから、傷ついて死んだけれど蘇って空高く飛ぶ神様のような白馬を画面中心に大きく描き、胡粉(ごふん:日本画の画材)で透明感を出しました。その背に跨がる騎手は、私が絵を描いた絵本『ウマとオラのマキバ』(湘南夏風舎)の主人公美和でもあります。実在の美和さんは飯舘村で100年近くつづく牧場で生まれ育ち、女には無理と言われながら馬喰(ばくろう)になった人です。
 絵全体が動的に見えるように苦労しました。原発事故の犠牲となった多くの動物が躍動的に踊る絵にしたくて。そうすると、全体として見たとき、黄色い不死鳥にも見え、また一人の黄色い人間像にも見えてきました。
———原発事故後、福島に通われて犠牲になった動物たちを描いてこられましたね。
 原発事故後の福島の牧場では、被曝した家畜は殺処分され、放射性物質で傷ついた動物が、その命に価値はないと社会的に宣告されていて、「この馬や牛は私自身だ」と、当時いわば「社畜」だった私は共鳴しました。それから福島を描き始めたんです。
 もともと、私は奨学金で何百万円もの借金を背負ったいわゆる奨学金貧乏でした。就職氷河期に卒業し、入社試験を100社受けても職に就けず、派遣社員として働くと物扱い。数年後にやっと正社員になりましたが、残業代なしで深夜早朝まで働くのが当然で、命の価値を軽く見積もられてきたんです。でも、それも自分のせいだ、仕方ないと思っていました。「自己責任」の呪縛ですね。
 福島で、家畜の殺処分を拒む牧場主が「無駄な命なんてない」というのを聞き、テーマが産声をあげた気がしました。一緒に苦しみたい、ここから希望を見出したい、と描いています。

「設置作業」

「設置作業」→2階吹きぬけの手すりを養生するブルーシートの上に絵を広げて仮置きし、天上から吊った木枠にクリップで仮止めする。

「最終加筆」

「最終加筆」→タッカーを打ちこんで木枠に絵を貼る作業中にも最終加筆に余念がない山内さん。

◆頭だけでは描けない 現場で描く重要性◆

———「まず手を動かし、描きながら身体感覚で福島とどうつながれるか」と18年の「神奈川大学評論」91号でお書きになっています。今回、絵が現地に運ばれてからも手を入れていらっしゃいましたね。
 一度できあがったのですが、3ヶ月かけて描いた2枚を現地で貼りあわせてドローンで撮った全体写真を見た途端、これではダメだと気づきました。天井画が「おれ伝の心臓」と言われていたのに、頭で考えただけの絵だったから。予定を繰りあげて現地で合宿しつつ加筆したんです。
 地元の人たちが手足を使って美術館をつくる現場で描くうち、緑色が加わりました。笛を吹く少女も指が緑になって、自然と一体化して。表現者とはそういうもの、時空を揺るがすことのできる存在だと思います。菜の花の冠も頭にのって精霊のようになりました。開館準備の資材を運ぶ人の姿、食べる姿、ここのあり様、登校時に近くを歩く高校生の姿も加えました。生きるという小さな、でも大切な営みを、もとの絵に重ねて黒い線で細かく描き共存させています。次世代にも見てほしいという思いも込めました。
 先日、美和さんが来てくれまして、絵を見て、その横でゴロンと手を広げて横になっていました。馬のたてがみをいただいたので、絵にも使っているんですよ。
 福島の現場は私にとって大切な場所。今回も身体感覚でつながる、言い換えれば絵に線がおのずと引かれる瞬間のためには、やはり現場取材だと体感しました。
———現地で絵が発展していくということは、「絵は生命体であり有機体だ」と山内さんが話していらした言葉のままですね。
 現場の人が放つ力があって、現場の人たちと一緒に創っていく感覚でした。きっかけは、その人の闘いや抗う力です。頭だけじゃ描けない、その場で一緒に労働して一緒に描かないとダメなんだとわかりました。現場主義は私の創作の原点だと教えられました。
———絵はまもなく設置されます。どういうところを見て感じてほしいですか。
絵の中にはいろいろなことを盛り込んでいます。豊かに発想する自分の余地がないと、絵を見た人の心に吸着してくれないと思って、ファンタジーに仕上げています。一度死んで蘇った白馬の前に咲いている3本の薔薇は、傷つきながらも生を肯定していななく馬からの祝福の象徴というのが私のストーリーです。ただ、矛盾するようですが、たくさんの人に来て見て感じて解釈してもらい、自分だけのストーリーを作ってほしいと思っています。
 もっと言えば、この絵を見て思想を変えてほしい、行動パターンも変えてほしいと願ってもいます。大きい絵とはそういうもので、問題点も解決策も表現してあり、人々の連帯や協働を促したり培ったりする力が潜んでいると考えています。

大きい絵とは、問題点も解決策も表現し、人々の連帯や協働を促し培う力がある


「設置完了」

「設置完了」→6月27日午後3時27分、「命煌めき」は天井へ吊りあげられ固定された。

◆権力者は絵を怖れている◆

———東山魁夷記念日経日本画大賞に入選するなど活動の場が広がっています。今後の展望は?
 最近は私の創作活動を伝えるテレビ番組の提案もいただくようになりました。ただ、テレビの取材に協力しても、直前に放映中止になることが続いています。私は憲法9条を積極的に守る発言をしたり、市民運動をしたりしていますし、創作活動以外のことで判断されたと思っています。そこで、活動やメッセージをわかりやすく端的に伝える工夫を始めています。自主制作を絵本にしたり、小品シリーズを常設展示するギャラリーを開いたり。自分で自由に発信する時代ですよね。
 困難もありますが、声なき声があり、私が描きたいと思うものなら、今後も大きい絵に挑戦したいです。大きい絵はインパクトがあり、時空を超えて人の心に訴え、現在・過去・未来そして死んだ命さえもが共存して混在するので、解決策を見つけうる力を持っています。だから権力者は絵を怖れていると思うんです。
 共闘の希望も感じています。今日は平日なのに、天井画設置のために20人もの方が自腹で集まってくれました。虐げられた人の声は小さくても、人間と自然と社会との関係性を変えようとしている人が集まり語るなら、大きいことを成し遂げられるんですね。まさに今、これだけのものを後世に遺しつつあります。

◆「山内若菜作品 常設展示」◆
片瀬山Cafe & Gallery Espoir(エスポワール)
(所在地:神奈川県藤沢市片瀬山3−34−4)
営業時間:火〜木曜 13時から16時。 電話:090−8776−7501

*全ての写真は山秋真撮影です。