
彼女の願い
その日、五ノ井里奈さんはホワイトハウスにいた。2024年3月4日、「勇気ある国際的な女性賞」授賞式の場。柔道着姿の彼女は、バイデン大統領夫人のジルさんともに記念撮影に応じていた。数ヶ月前には、米タイム誌から「次世代の100人」に選ばれ、ニューヨークの記念式典に参加するため渡米している。それが人生初の海外渡航だったという。
陸上自衛隊の訓練中に起こった性暴力を告発したのは2年前のことだ。当時の彼女に、アメリカの風景が見えていたはずはない。それどころか絶望の淵に立っていた。
自衛隊のハラスメント窓口に被害を訴えるも事態は動かなかった。テレビ各社に情報提供するも相手にされなかった。結果、彼女はYouTubeに顔出し・実名で出演することになった。体を張って被害を伝えようとした。逆に、そうまでしないと世間の注目を集められなかった。
オンライン上の告発を受けて、彼女のもとをたずねたライターの岩下明日香さんが、ウェブメディアに記事を書いた。反響をよび、本書誕生のきっかけになった。そこに至るまで大手メディアはほとんど介在していない。当初は、会見にもほとんど人が集まらなかったという。記者らが動きだしたのは、被害が可視化され、自衛隊・防衛省が動き始めてからだった。世界で絶賛された彼女の「勇気」だが、日本では、訴えすらなかなか認知されなかった。
実は、本書刊行にあたって担当編集としてもっとも悩んだのはタイトルだった。当初「#Me Too」と関連したタイトルを私は推した。しかし彼女は、周囲にやすやすと「連帯」を呼び掛けられない、と言った。ひとそれぞれの事情や背景があるとも。自分と同じ行動を促すには、その道は過酷すぎるという思いを感じ取った。結果、決まったタイトルは、「(あなたも)声をあげて」という呼びかけとともに、「(彼女が)声をあげてから」という意味を込めるものとなった。
彼女の声によって、社会は変わったのだろうか。自衛隊や防衛省に限らず、世の中の性暴力やハラスメントの根絶に向けて、大きな前進となったのは間違いない。しかし、それがまだ「はじまりの一歩」であることは、あえて説明するまでもないだろう。
書籍刊行から半年後の2023年12月、彼女に性暴力を働いた元隊員3人の有罪判決が確定した。彼女の闘いは終わった。そのバトンは社会が、しっかりと受け止めなくてはならない。
声をあげなくてもよい社会が訪れること。それが彼女の願いである。
書名 :声をあげて
著者 :五ノ井里奈 構成 岩下明日香
頁数 :240頁
刊行日:2023/5/15
出版社:小学館
定価 :1650円(税込)
慰安婦
貧困・福祉
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