五月の連休、どこかへ行きたいなあと思って、あれこれ調べて考えて五月晴れの5日、娘と孫といっしょに雲一つない斑鳩を歩いた。

 京都からJR奈良線みやこ路快速で奈良駅で乗り換え、大和路線の法隆寺駅まで1時間。大和路線は大阪環状線とつながっていて、このあたりは大阪の通勤圏になっているんだ。はるか昔は鄙びた駅だったけど、駅周辺の町並みもずいぶん変わっていた。法隆寺までは駅から歩いて25分。

 のどかな田園風景が広がる斑鳩。聖徳太子ゆかりの里をめぐる。法隆寺センターで四寺(法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺)周遊券を求める。

 松林の法隆寺参道を通り抜け、南大門を潜って階段を登ると中門に金剛力士立像(仁王像)が二体、左右から睨んでいる。「西院伽藍」はエンタシスの柱が支える廻廊に囲まれた広い敷地に、わが国最古の五重塔(ストゥーバ)と、金堂、大講堂がある。この一角は国宝指定建造物になっている。

 法隆寺(斑鳩寺)は飛鳥時代の姿を今に伝える世界最古の木造建築として知られ、推古天皇と聖徳太子が推古15年(607年)、寺と本尊(薬師如来)を造られたのが寺の始まりとされる。1993年、1400年に及ぶ伝統が高く評価され、日本初のユネスコ世界文化遺産に登録された。


         法隆寺

          法隆寺中門


 金堂には聖徳太子のために造られたアルカイックスマイルの金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)と、太子の父・用明天皇のために金銅薬師如来座像(飛鳥時代)と、母・皇后のために金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)が安置されている。

 五重塔の内陣には「釈迦入滅」など仏教説話が細かく彫られた塑像群が並び、それを東西南北の四面から覗き見ることができる。

 大講堂は延長三年(925年)、落雷により、鐘楼とともに焼失したが、正暦元年(990年)に再建され、その時、本尊の薬師三尊像、四天王像も造られたという。 廻廊の窓のようになっている菱形の「連子」格子の向こうに見える庭の新緑が、とってもすがすがしい。

 「西院伽藍」を出て鏡池をめぐり、大宝蔵院と百済観音堂へ向かう。大宝蔵院の夢違観音像(白鳳時代)と玉虫厨子(飛鳥時代)、百済観音堂のスラリとした八頭身の百済観音像が見事だ。

      法隆寺五重塔と金堂

         法隆寺講堂


 さらに歩いて「東院伽藍」の夢殿へ。聖徳太子の宮殿跡に奈良時代に建立されたという日本最古の優美な八角円堂だ。厨子に安置された太子の等身像とされる国宝の秘仏・救世観音菩薩立像(飛鳥時代)が、春と秋の特別公開で開扉されていて幸運にも間近に眺めることができた。

 法隆寺は、ほんとに広いなあ。ここだけでも堪能するくらい見応えがある。さて、あと三つの寺院を回ってみよう。お天気がよすぎて少々暑い。水筒を片手に娘と孫とテクテクと山の辺の道を歩いてゆく。田んぼ道を歩いているのは私たちだけだった。

          夢殿

          中宮寺


 尼寺の中宮寺へ。聖徳太子の母・穴穂部間人皇后のために建てた御所跡を寺にしたと伝えられ、ヤマブキの花に囲まれた本堂の本尊・菩薩半跏思惟像の、右足を組み、右手の指を頬に触れようとする半跏思惟の姿を遠くから拝観する。

 ちょうどお昼近くなったので中宮寺から歩いて10分の竈と囲炉裏の店「玄米庵」でお食事をいただく。玄米や発酵味噌、天然塩など調味料を厳選したお昼の小鉢コースに、なぜか和食にこだわりのある孫娘は「おいしい、おいしい」とパクパクと、よく食べる。

 さらに歩いて15分の法輪寺へ。聖徳太子の子・山背大兄王が太子の病気回復を願って創建したと伝えられるお寺。講堂では薬師如来座像など、ぐるっと回って背後からも拝観でき、仏像の光背はこうなっているんだと、よくわかる。

 斑鳩三塔の一つとされた国宝三重塔は昭和19年(1944年)、落雷で焼失。戦後、再建のため三代の住職が全国を勧進行脚したというが、叶わず、地元の人たちや作家・幸田文などの支援を得て、宮大工・西岡楢光親子の手により、昭和50年(1975年)、同じ場所に同じ姿で復活したという。

 最後に法起寺まで徒歩10分、溜め池や田んぼの道をゆく。このあたりは秋にはコスモスが咲き乱れているとか。

 法起寺は、わが国最古の三重塔が現存することで知られる。石檀の上に立つ高さ二十四メートルの塔婆は慶雲三年(706年)に建立、鎌倉時代、江戸初期、昭和にも修復が施されたという。田園風景の中にひっそりと建つ法起寺は、のどかな斑鳩の里にふさわしい古寺だ。私たちの他に若い女性が一人、静かにお堂を眺めていた。

      法輪寺三重塔

         法起寺三重塔


 法起寺前から循環バスでJR法隆寺駅近くまで乗る。連休の間、斑鳩巡回バスは無料だ。JR大和路線から奈良駅へ戻って近鉄奈良駅まで行き、「ならまち」のあたりをぶらぶらと歩く。ここはさすがに人波が多く、外国人観光客もちらほら見える。お土産に平宗奈良店で「柿の葉すし」を買う。ちょっと小腹がすいたので、おやつに吉野葛「佐久良」で「くずきり」をいただく。ああ、おいしい。

 帰りは近鉄京都線と京都地下鉄が乗り入れる竹田経由・国際会館行き近鉄京都線で地下鉄烏丸御池まで乗る。この日、京都駅回りで帰らなくてよかった。その夕刻、京都駅で電車の網棚に不審物が見つかったとかで全員下車、京都駅構内は大変な混雑だったとか。何事もなかったそうで、よかったけれど。18時、無事に家に着いた。朝早くから丸一日のお出かけで2万歩を達成。ああ、疲れたぁ。

 奈良は、どこを歩いても古いお寺や木造建築物が多く、歴史を感じさせてくれる。平城京と平安京は趣きが違い、京都に比べて奈良は広いし、歴史も古い。以前、新緑の吉野の奥まで出かけたことがある。今度また行ってみようかな。そのために、しっかり足を鍛えておかなくちゃ。

 はるか昔の大学時代、阪大の犬養孝先生の「万葉の旅」に何度か参加したことがある。待兼山の大講堂で朗々と万葉集を唄い上げる先生の声に聞き惚れて、奈良の斑鳩から飛鳥、山の辺の道、山陰の出雲の旅まで、みんなといっしょに歩いた。道中、犬養先生の万葉集の講義を聴く。「藤村旅行」では島崎藤村の『夜明け前』の舞台でもある中山道の「馬籠宿」を歩いたこともあった。

 京都と奈良を往復の車中、読みかけの本を広げる。佐久間文子編『キャラメル工場から 佐多稲子傑作短篇集』(ちくま文庫、2024年3月10日)を読む。帯には「生誕120年、戦争、労働、地下活動、女ともだち、昭和を駆け抜けた作家、珠玉の作品集」とある。短篇が全十六篇、うち戦前の作品四篇を選んでいる。

 佐多稲子の著作は本棚に何冊か並んでいるけど、とにかく文章の歯切れがいい。短篇がまた、いいのだ。1928年、中野重治に執筆を勧められて書いたという『キャラメル工場から』や、中野重治が拷問を受けていることを知りつつ、同伴者の原泉が演じる女工が「チャカ、チャッ、チャカ、チャッ」とチャールストンを踊りながら舞台へ出てゆかなければならないのだった」と書く『プロレタリア女優』など、何度読んでも味わい深い。帰ったらまたゆっくりと読もう。

 婦人民主クラブ京都へ佐多さんをお迎えして東山会館にお泊まりになった時、一言、私に心に残る言葉をいただいたことを今も忘れない。それはまたの機会に。

 もう一人、NHKラジオFM「朗読の世界」で毎夜聴く、山田太一著『異人たちとの夏』の文章がすばらしい。篠田三郎の朗読も聞き惚れるばかり。本を読むのも、聴く文章も、どちらもすばらしい時間だ。

 連休が終わった。家の片づけと衣替えとパソコンの仕事の合間を縫って、奈良へのお出かけと、喫茶店での読書と、NHK「ラジオ深夜便」を聴くひとときが、なんとも楽しい。

 昔々の長い、長い歴史と、ありふれた今の日常は、どこかで、きっとつながっている。日常の一人ひとりの暮らしの中で歴史は紡がれてゆく。途切れることのない、そんな日々を大切にして、また明日に向かって、ぼちぼちと生きてゆこう。