私たちの暮らす地域に 過酷な弾圧のなか 帝国主義や戦争に抵抗した作家や芸術家たちがいた

 かつて吉祥寺とその周辺には、作家、芸術家ほかプロレタリア文化運動の担い手たちが数多く住んでいました。『抵抗の文学と吉祥寺文化村』ではこれらの人びとにアプローチします。彼ら彼女らはどのような経緯で集まってきたのか。どのような思いを、作品、あるいは活動に表していったのか。どのような交流があったのか。そして度重なる弾圧に対してどのように抵抗したのか。
 「吉祥寺文化村」という呼称は、従来から存在したものではありません。次のような経緯があって市民グループ「むさしの科学と戦争研究会」が名付けました。
 2017年に当会の一人が高知へ赴いたとき、高知出身のプロレタリア詩人・槙村浩が吉祥寺にゆかりのあることを知りました。24歳の槇村が1936年のある日、吉祥寺のプロレタリア作家・貴司山治宅を突然訪れ、そこにしばらく滞在して数々の作品を書き、その作品を官憲の目から守るため貴司が庭に埋めて戦後まで補完したということがあったというのです。このことを地域で共に活動する仲間に尋ねたところ、その中に貴司山治のご親族がおり、実は非常に身近なところにプロレタリア作家がいたことを私たちは知り、とても驚きました。
 この、槇村浩、貴司山治との出会いをきっかけに、私たちは、吉祥寺に日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)などで活躍した江口渙、大宅壮一、細田民樹、佐々木孝丸ら(江口は貴司を含めた彼らを「吉祥寺仲間」と呼んだ)が住んでいたことを知ることになります。さらに、三鷹の牟礼、杉並、下石神井にプロレタリア文化運動の担い手たち、その人びとと交流のあった武者小路実篤や彫刻家の高田博厚らが暮らしていたこともわかっていきました。
 以上から吉祥寺文化村とは地域的には東は高円寺、北は下石神井、西は三鷹、南は牟礼まで、時期としては1945年までとしました。
 ここ数年のうちに今の私たちが生きる社会も次第に息苦しくなっています。そのような中で、こうした人びとの抵抗の軌跡を知ることは、これまで以上に意味を持ってくるのではないでしょうか。

 上記ほか、小林多喜二、柳瀬正夢、若杉鳥子、槇本楠郎、松岡朝子、中原中也、高村光太郎、高橋元吉、長尾宏也、松田利勝、大宮昇、大野金二、真垣武勝、江森盛弥、高橋勝之、牧野弘之、林房雄、立野信之、戸坂潤、葉山嘉樹、三木清、金子洋文、今野賢三、小牧近江、黒島傳治、中野重治、前田河廣一郎、細田源吉、蔵原惟人、丸山鐡雄 全38名のプロフィール掲載。


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