女の本屋

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新田啓子『アメリカ文学のカルトグラフィ』

2012.06.14 Thu

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.「文学」はたいてい「私」や「個人」という枕詞をたずさえています。「文学」の自律性を訴えたい人も、その狭さや限界を指摘したい人も、ポジティヴ、ネガティヴさまざまな意味を込め、揃ってそんな「文学」の特性(ルビ:プロパティ)を語ります。しかし、文学とはそんなに閉ざされたものなのか?閉ざされたいなら、なぜ作家はおのれのたけを物語に綴り、自我の最も奇矯なこだわりを世間に晒そうとするのでしょう。

そう、文学とは公器なのです。自閉できる「私」では足りず、他者を求め、何かを伝え、わかって欲しいと思うからこそ、文学というものは成立します。また、そうした激しい欲求に基づけばこそ、文学は政治的にならざるを得ない。

近現代のアメリカ文学とそれを研究する学問体系の両方もまた、その欲求に突き動かされてきました。本書のテーマはその欲求の軌跡です。「カルトグラフィ」とは地図作製法を意味しますが、アメリカ文学は、制度およびそこにおける個人の足場を、いかに地図さながらに作図してきたのでしょうか。多様な作品を紹介しながら探ります。(著者)








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