うつを生きる 精神科医と患者の対話 (文春新書 1463)

著者:内田 舞

文藝春秋( 2024/07/19 )

本書は、ハーバード大医学部の准教授、内田舞さんと、ゲーム理論を扱う著名な経済学 者であり、かつてアベノミクスを主導し、今回は患者さんである浜田宏一さんとの対談で ある。
内田さんは、ゆっくり丁寧に浜田さんの患者履歴にそって話を聴きつつ、行ったり来た りのプロセスに道筋をつけ、「超エリート」二人の話し合いとは思えないほどのわかりや すい読み物となっている。もっとも彼のゲーム理論についてはわからなかったが(説明が 短いこともあって?)、男女差別的労働環境や社会政策の更新に使える、と浜田さんがお っしゃることは、ぜひそのように、今後も働いていただきたいと願うものです。ちなみに 、日本における医療界の男女差別に我慢がならず、渡米された内田さんのこと、その差別 については、浜田さんに切り込んでいる箇所もあって、いいぞー、舞さん、と応援したく なるのである。
内田さんの姿勢は、患者さんと同じところに立って、文字通り「患者さんに沿う」とい う、現実にはそう簡単でもないスタンスを取っていて、カウンセリングを仕事 にしてきた私にはそれがよくわかるのだ。当事者に「沿う」ということは、専門性を振り かざすのではなく、しかし患者さんに媚びず、相手が不快かもしれなくても伝えるべきこ とはキチンと伝え、同じ目線上に居るということだが、こんな言葉より、「治療者側」に 人間的な成熟が必要だとは私の勝手な考えである。それでいけば、内田舞さんは本当に成 熟した「大人」なのである。
とはいうものの、私は本書にも出ているエリクソンの発達過程を指標にしているわけで はない。1950年代に作られたあの指標には女性が入っていない。エリクソン氏も考えても いなかったであろう。あれは男性のみしか視界にない指標である。話を戻して、母親の内 田千代子さんも本書の終わりにちょっと顔をお出しになっているが、「あまりかまってや れなかったのに英語をどこであんなに話せるようになったのかしら」と私に。舞さんの成 熟には相当な知性の働きもあったに違いない。私に、もしかかりたい精神科医が必要とな れば、一にも二にも内田舞さんである。私は内田さんのファンであるから、彼女に偏りす ぎていたらお許しを!
一方浜田さんも、正直にご自分の病歴を話されており、卑俗な言葉を使えば、「偉い人 」でもうつにはなるのだ、である。原因を単純に「気の弱さ」に求めるとか最近は特にパ ワハラ、カスハラ等でうつになり、その後自死にいたるという話をよく聞くようになった 、つまり社会的状況に帰する言説が幅をきかせているように思われる。そしてこれは現実 でもある。とくに昨今は、最近落ち込んでいるのよー、から大うつ病、要入院まで幅広い 国民的な「疾病」となっている。
そこで、本書に注文があります。本書はアメリカでの療養が主となっているので、例え ば「内的(自己)評価」とうつの関係、自己評価と他者評価(我が国ではあまりにも後者 が重要視される)、希死念慮の危うさ、DSMの日本における「聖書的」評価(?)、病状 の秘守義務、うつの心理的要因と脳の働き、薬の効果とカウンセリングの必要性等、ラン ダムに挙げてみたが、一般的にコラムとして一ページ程度を割き浜田さんに関係なく別途 の説明があるといいのではないか、と思いました。可能ならば、うつが現在のように広範 囲に広がっている社会的状況の意味への目線。スーザン・ソンタッグの『隠喩としての病 』(疾病は社会的に構築される)のような分析である。

隠喩としての病い,エイズとその隠喩 新版

著者:スーザン ソンタグ

みすず書房( 1992/11/01 )

内容が高度レベルの(難解という意味ではなく)話になっているので、私が若い頃にし たアメリカでの体験を蛇足させていただきたい。
本書によく出てくるMIT(マサチューセッツ工科大学)は、元夫が高校を飛び級して16 歳でMITの数学科に入り、のち当該大学は自分個人の人間的成長を助けてくれないという 理由で退学(停学?)し、ぶらぶらしているときに私たちは出会った。そのご彼は同学別 科で修士をとった。その関係で私はよくMITに出入りしたものである。玄関を入ったら妙 な名付けようもないものが、ホールの端から端につり渡されていたり、立像があったり。 図書館に寝泊まりしている学生もいたようである。彼に聞いたら、「ま、クレイジーな者 もいるからね」とあっさり。そーか、「狂人」と天才は紙一重なんだーと、感心したもの であった。
 別の話。ドロシア・ディックスは、19世紀に活躍したソーシャルワーカーである。あ るとき地域を放浪している「気のふれた者」を、彼女は病者だと定義し、国に提訴して州 ごとに精神病院の建立に努力をした。この時以来「気のふれた者」は病者として初めて近 代医学に包摂されることになったのである。19世紀半ばの頃。その一つ著名なボストン州 立精神病院は、私の院生時代の2年間の実習先であった。非常に大きく広大な敷地に患者 数も莫大なこの病院には、社会的入院者(退院できる状態だが、引き取り手がなく、仕方 なく入院を続ける)が無為のままたくさん存在していたのである。一方で、1970 年代後半には、すでに地域医療が唱えられ、中間施設(病院と社会の間にある施設)やグ ループホームも作られていた。この両方にボランティアで住み込みしていた私は、イギリ スのレイン医師の試行のごとく患者さんと一緒に暮らしていた体験があるのだ。グループ ホームでは、状態の悪くなった患者さんが、一晩中私の名前を連呼して廊下を徘徊すると いうこともあった。
 かなり古い話であり、現状が同じであるとは思わない。一 時期のエピソードにすぎないことをご了解いただきたい。