日本で生きる性暴力サバイバーや支援者にこそ読んでもらいたい苦難と回復の物語

 インドで起きている苛酷な性暴力の数々については、報道で知っていた。だがインドに隣接するネパールの少女たちが騙されてインドに拉致され、強制売春させられていることに、私はまったく無知だった。
 性暴力のトラウマのなかでも、もっとも重い後遺症が残る父親からの性虐待。そのサバイバーを取材した友人によれば、被害者が教育を受けているかいないかで、その後の人生の明暗が分かれるという。この本は、日本とネパールという国の違いはあるが、冒頭から、その友人の言葉を想起させる。そして貧困ゆえに拉致され、違法な強制売春の犠牲になる少女たちの苦難は、はからずも日本の状況までをも照射する。
コロナ禍を経て、より可視化できるようになった日本の貧困と階層問題。コロナ禍では女性の自殺率が上昇。母子家庭の貧困はさらに苛酷となった。ネパールやインドの問題の根幹は、日本の女性差別と家父長制の問題とも通底していると感じた。
ネパールの少女たちの強制売春の背景には、女性の純潔を良しとし、女性の主体性を剥奪しているヒンドゥー教の「三従の教え」がある。父親と夫に従い嫡男を産むのが女性に課せられた「美徳」であり、21世紀になった現在でもまだ、地域コミュニティや家族内にそんな「美徳」が継承されている。
日本でも明治以降、国策として家父長制が強化され、「性のダブルスタンダード」が進んだし、農村部の少女たちが口減らしのために親によって売られてきた歴史がある。さらに日本は、主に朝鮮人の少女らを騙して、「慰安婦」にした。日本がかつてしていたのと似た手口が、いま、この瞬間もネパールやインドでは横行している。

 強制売春の歴史には、インドが元はイギリスの植民地であり、その頃につくられた歓楽街がイギリスから独立した後も残ったという背景がある。そして、独立したインド政府が成立させた「売春禁止法」が、その歓楽街を違法な人身売買、強制売春、麻薬、マフィア、賄賂で動く汚職警察などのありとあらゆる悪の巣窟にした要因だという。もっとも劣悪な売春宿だと、監禁された少女たちは30分128円といった信じがたい値で売られている。その壮絶さに、思わず息を飲む。
 それでも性暴力サバイバーの私がフラッシュバックせずに本書を完読できたのは、冒頭とラストに希望のエピソードがあるからだ。ネパールではトラウマケアの体制が盤石ではなく、売春宿から救出した少女たちに対応できる精神科医やカウンセラーがほとんどいない。だが精神科医が匙を投げた少女に、同じトラウマに苦しんできた女性たちが辛抱強く寄り添い、回復の支えになっている。彼女らが保護されているシェルター「慈しみの家」では、グループでの語り、農作業での収穫の喜び、牛に癒やされる牧畜作業、ダンスなども愉しむ。そして職業訓練を受け、心身の傷を癒やし、自立を目指していく。同時にシェルターでともに暮らす仲間たちが、より深いトラウマに苦しむ少女をあたたかく見守っている。そのような空間と時間のなかで、会話すら困難だった少女がいつしか回復していく。それは同じサバイバーによるシスターフッドだ。
私には、過去、そして現在もたくさんの女性たちから愛情が注がれている。そんな自らの経験を重ね合わせ、ネパールの女性たちの愛の魂に触れた想いがした。

 だがNPO代表としてネパールの少女たちの支援をする筆者・長谷川まり子さんは、救出はしたものの救われなかった女性たちの人生を、深い内省の想いで描いていく。ネパールにおけるトラウマケアのなさは致命的で、特に元々の家庭環境が厳しく帰る居場所のない女性たちの生き難さや、そんな女性が産んだ少女に引継がれた「不幸の連鎖」をサポートしきれてはいない。
シェルターに保護され、同じ境遇の仲間と出会い、シェルターから出たのちも、仲間やシェルターのスタッフとの交流を続け、情報交換や相談ができるつながりを保ち続けている女性たちは、その後にトラブルが起きても、仲間やスタッフからのサポートを受けて乗り越えていける。しかし仲間たちとの交流よりも、男性との恋愛や結婚によりどころを求める女性たちは、再び困難な状況に陥っていく…。
 私もかつてシングルマザーの当事者団体や、それ以外でも似たような女性たちに少なからず出会ってきた。日本もまた精神科クリニックだけはたくさんあるが、トラウマケアがきちんとできる専門職は少ない。日本でも仲間たちとのつながりを大切にしてきた女性たちは、なんとか困難を乗り越えていく。だが仲間の手を離して消え去ってしまう女性やシングルマザーも少なくない・・・。
 
そして近年、インドやネパールでも携帯電話やSNSの普及で、ネットリテラシーに慣れていない少女たちが被害者となっている。彼女たちは貧困層ではなく、教育の機会にも恵まれてはいるが、偽装恋愛など、より巧妙で時間を掛けた手口で騙され、強制売春されられてしまう。背景には、いまだ婚前恋愛を許さない価値観があり、教育は受けていても、恋愛に免疫がない少女たちが騙されてしまう。
「支配」と「暴力」というセクシュアリティの在り方に、男女ともにがんじがらめにする家父長制そのものは、「構造的な性暴力」であり、それは主に加害者となる男性たちからも豊かなセクシュアリティや、真の愛を剝奪しているのではないだろうか。

さらにコロナ禍後の経済破綻により、人身売買の対象は低年齢化。父親からの性的虐待の末に売られた事例もあるという。さらに人身売買の被害者だった女性が生き延びるため、自らも売春宿のマネージャーになり、「加害者」になっていく現実も描かれる。
また実父に売られたにも関わらず、両親を思慕し、彼らのために必死で働いた少女のエピソードにはもっとも胸が痛んだ。著者はアメリカの発達心理学者メアリー・エインズワースの、「当たり前の愛情を受けた人間は上手に親離れができます。でも、愛情が満たされず大人になるといつまでも親離れができない。体は大人になっても、心が大人になりきれないからです」という言葉を紹介する。私の母、そしてかつての私がそうだった。だが、私は20歳から慈雨のように降り注いだシスターフッドにより、空洞だったところが満たされたのだ。
 著者はカウンセリングや職業訓練が充実しているインドのレスキュー・ファンデーション(以下、RF)という支援団体を紹介しながら、著者が支援してきたネパールの少女たちへの精神的ケアが足りなかったと内省する。RFはコロナ禍でのロックダウンで人的交流ができず、外部トレーナーを呼べなくなったとき、むしろそれを逆手にとり、サバイバーの熟練者のなかから、ピアカウンセラー、職業訓練トレーナー、マネージャーを輩出するプロジェクトを新設。その画期的なプロジェクトは、サバイバーの生きる力を信頼し、潜在していた能力を引き出す場を創造した。サバイバーたちは、ただ支援されていたときよりも、エンパワメントされて自信を得てゆく。

20年程前、私は友人の依頼で彼女が勤務していた女性更生施設のボランティアをしたことがある。月に1度のお茶会で、グループワークのファシリテーターをするという試みだった。言語化するのが得意ではない女性が多かったので、折り紙に、そのときの望みや気持ちを書いてもらい、模造紙に貼った。そしてきれいな広告などを貼り、コラージュもどきに仕上げた。そんなやり方で1年がたったとき、「知的に軽い障害があるから、あまり話さないのかな?」と思われていた60代の女性が、堰を切ったように自分の想いを話してくれた。本書のエピソードを読んだとき、すっかり忘れていた記憶が蘇った。
 その更生施設に入所していた女性の多くは、性産業で働くなかで「発狂」し、雇い主から路上に放り出され警察に保護され、その施設に辿り着いたという。ほぼ全員が何らかの精神疾患と診断され、山のような向精神薬を処方されていた。しかし、彼女らに必要だったのは、RFがコロナ禍の苦境のなかで生み出したようなエンパワーメントされるプロジェクトだったのではないだろうか?
 日本では2024年4月1日から、「困難な問題を抱える女性支援法」が施行されたが、支援現場の整備には課題が多いと聞いている。インド、ネパールという地理、環境、宗教的な差異はたくさんあるが、本書に描かれた女性たちの苦難と回復の物語は、日本で生きる性暴力サバイバーや、その支援者にこそ読んでもらいたい。 
  「魂の殺人」と言われる性暴力を受け続けても、同じ地球で、いま確かに生きているサバイバーの存在は、逆境や困難な生を生きている人々に、勇気と希望を与えてくれるだろうから…。

◆書誌データ
書名 :少女人身売買と性被害:「強制売春させられるネパールとインドの少女たち」 その痛みと回復の試み 
著者 :長谷川まり子
頁数 :240頁
刊行日:2024/6/7
出版社:泉町書房
定価 :1980円(税込)

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少女人身売買と性被害: 「強制売春させられるネパールとインドの少女たち」その痛みと回復の試み

著者:長谷川まり子

泉町書房( 2024/06/07 )