オパールの炎 (単行本)

著者:桐野 夏生

中央公論新社( 2024/06/07 )

愛読する作家、桐野夏生さんが、1970年初頭に「中ピ連」(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)と呼ばれた活動の主導者、榎美沙子をモデルとした小説を書かれたと知って、ぜひその著作を書評したいと申し出た者である。今、ペンネーム(?)榎を使ったが、本評で使われる名称等は小説の本文に倣いたい。とはいえ小説での名前とペンネーム榎が混同し、時には切り離せていないことをお許し願いたい。

まずアメリカの状況を話しておこう。
渡米後の1969~70年大学院生としてYWCAのチャンバーメイドのパートをしていた時、私はどの女性の部屋にも日々の使用がわかる丸いかわいい薬入れが化粧台に放置されているのに気がつき、なんだろうと思ったがすぐにわかった。ピル(口径避妊薬)だった。30代の初め、夫と子どもは作らないと決め、ピルは知っていたが、某避妊具を内着していた。すでにアメリカでは、女性にとって避妊ピルの服用は当たり前であった。アメリカ女性の汎用性を知っても、我が国でのピル非承認問題は知らず、フェミニズムに参入しながら特に関心も持っていなかったのは事実である。

日本での非承認の理由を、当時女性自身が妊娠の可能性/不可能性を操作することが男性社会の文化のなかでノーとされたのではないか、と私は思っている。コンドームなら男性主導である。日本で避妊ピルが未解禁で、話題にも上らない男女差別的状況下、塙玲衣子はその効用を説き、薬学者としてピルの解禁と妊娠中絶に反対を唱えてきた人なのである。
女性の体の主人公は女性であるという主張は、ウーマンズリブ、後のフェミニズムに流れる大主題であり、私自身のフェミニズムへの参加も女性たちが ‘60年代後半自らの手で書いた本『からだ 私たち自身』(翻訳 松香堂1988)に大きく寄っている。当時我が国でもリプロダクティブヘルス/ライツ運動は、ウーマンリブの「ぐるーぷ・闘う女」の中心的存在であった田中美津(本年8月7日死去。惜別!)の「産む・産まないは女の権利」を唱えたことに始まっていたと考えられるだろうが、主張はピルの解禁にまで及んでいなかった。

1972年にすでに「ピ解同」(「中ピ連」のこと)を作り、ピルの解禁を大声で叫んだ塙自身の着眼はこの時点でまさしく慧眼であった。女性のスポーツへの参入はそのずっと前から始まっている。考えてみるまでもなく、競技会や練習が生理中に当ったスポーツウーマンはどうしてきたのであろう。その人がモデルの小説であれば興味を持たざるをえないのであった。私が帰国しフェミニストカウンセリングを始めた1980年には塙の活動は収束しており、その破片を伝聞するのみであったが。

塙はピル解禁を主張するのみならずピンクヘルメットで、訴えられた女性を裏切っている相手(男性)の職場に押しかけ、謝罪とか賠償金を求める運動も同時に展開しており、その後に政治に参入するために政党を作り、それは不成功に終わったという榎の現実の流れは、ほぼ小説の書かれている流れと同じように進んだと思われる。一部作者の創作を含めて、その後の突然の行方不明も死も私にとってさして重要ではない。政党創設時、塙自身が立候補しなかったとか、誰が資金を出したか等が証言者によって語られているものの、なにより私が知りたいのは、塙自身の女性解放運動の動機である。人々の行動/活動に常に確かな動機があるとは言わないし、むしろ動機がはっきりしない場合が多いとまで言うとしても(殺人事件では、動機が刑量に関係するせいか、必ず書かれる。無理に気持ちを名付けたように)、塙玲衣子の動機は知りたいのである。塙はこう言っている「中ピ連は、当時から非難囂々でしたが、その時の主張は今や社会の常識になりつつあります。その点、当時のタブーを破ったことは功績だと思っております。行動が過激だったなんて、少しも思いませんわ」「「女性解放運動は、私のライフワークです。ですから知的訓練を行なって、同志を育成してきました」(ウイキペディア)。同じような言説もまた本書、「塙玲衣子の残した『日記ノート』」にも。しかり、活動が過激とか穏便とかを評しても無意味でなかろうか。仲間を殺しあったグループさえあった。「暴力的行為」を決して容認する者ではないが、ジェンダー力学の堅固な非対称性を少しでも変えていくのは、現在でもはなはだ困難である。

語り部として証言する周辺の人たちは、通俗的な語り、たとえば、目立ちたがり屋、勉強はよくできたが京大まで行って結局主婦になりたいと言った、美人であった、とか死亡説まで飛び出す話である。多くの証言者がまずよく知らないのですと始め、その口調はたまに方言が混じる程度で、ほぼ同じ調子である。また、作者が現実に面談したはずの元夫でさえ政党創立の資金を工面したと言いつつ、内容は自分自身や家族の話が多い。他の証言者も似たようなものである。

少々小説から離れよう。私自身は学縁、血縁、地縁を重要視する者ではないが、実はモデルになった、榎美佐子は、私の6年下の高校の後輩である。文中、城南高校(実在する進学高)出となっているが、実際は城東高校という。この高校は社研といわれるリベラル学生の部活動の激しいところがあって、私も入学後すぐに入部して、反自衛隊展などをやってきた。部活のチーフが何か反対するべきものがあって(今は失念)、私の高2の時校門の壁に〇〇反対と大きな落書きを入れて、自死した事件があった。その後活動は停滞したはずである。6歳後輩の榎が、どれほどその歴史の影響下にあったかどうかは不明である。

証言は主人公の内面や彼女を突き動かした運動の動機、はたまた突然の行方不明?死亡?の現実にまで至っているのだろうか。帯の推薦にある「謎多き女をめぐる証言から、世の”理不尽“を抉り出す」作者の意図を読み解けないのである。

あえて本書の物足りなさを挙げさせてもらおう。
一つは、作者が主人公を、ウーマンリブ、フェミニズムの運動/文化の文脈において捕えようとしていないことがある。私があえて状況のごく一端を書いたのもそれが理由である。私の想像では塙は、「自己完結的」な人で、仲間はいても彼女らと、また他のグループと繋がりを持とうとしてこなかったのではないだろうか。著述の手掛かりが少なかったのもあるだろう。私がこの書評を挙げているWAN(ウイメンズアクションネットワーク)にはミニコミ図書館がある。探せば何かの資料があったかもしれないのだが。この意味で作家が「育成した同志」から話を拾えなかったのは残念である。彼女の実像が見えてこないのだ。

 ただし桐野夏生さんが今に至って榎美沙子を取り上げてくださったことには謝意を表したい。私の勝手な期待だとしても、榎美沙子とは誰だったのか、彼女は何をしたかったのか、それはなしとげられたのか、実像や核心にもう少し迫って欲しかった、フィクションだとしても。
書評が必ずしも素晴らしい条件をみたしている著作である必要はないとしても、本書にはかなり批判的な視点が含められている。しかしたくさんの女性に読んでいただきたいのである。消えつつある(私をも含めた)オールドフェミニストである榎美沙子に、本書をもとにして、私たちの手でもう少し迫りたいというのはどうだろうか。既述の故田中美津の追悼文に上野千鶴子は書いている「、、、あなたの棺はまだ覆われていない。あなたはまだ『過去の人』になってはいけないのだ。なぜならあなたの肉声を、わたしたちはまだまだ必要としているからだ」(朝日新聞朝刊8/12/’24)。