
羽仁もと子の伝記を依頼されたとき、私はそれほど強い関心はなかった。明治6(1873)年八戸に生まれ、明治女学校でまなび、草創期の女性新聞記者となる。雑誌「婦人之友」を創刊、自由学園を創立し、今もこの二つはある。その程度の知識しかなかった。
羽仁もと子は7つ年下の夫・吉一を協力者として添い遂げ、恋の波乱もない。教育者に面白い人は少なく、伝記を書くにはなかなか難しい。
しかし、調べはじめるととんでもなかった。考えが飛躍する。突飛なことを思いつくと猪突猛進。目標は「キリスト教精神にもとづく清潔で対等な家庭を作る。そのためにも主婦は絶えず自己研鑽をつみ、合理的な家庭運営をしなければならない」というもの。「家計簿」「主婦日記」をすすめ、子供には洋服を着せる、外気の中で寝かせる、洋食の作り方、整理整頓の方法を提案する。
同時に「隣人を愛せよ」の精神で「セーターを三枚持っていたら、一枚は替えで持っていてもいいが、三枚目は持っていない人にあげなさい」という。着るものの平等、食べるものの平等を大胆に説いた。大正時代に、使いやすい道具や家具の通信販売をしたり、南沢(東京都東久留米市)に学園町を分譲、消費組合(今でいう生協)や共同炊事、友愛セール(チャリティーバザー)にも取り組んだ。
「自由・平等・博愛」の精神から、社会主義革命にも関心を持ち、自らを「プロレタリアート」と呼んだが、革命の現実を聞き及んで失望、反ファシズム、反コミュニズムの絶対平和主義を訴える。
しかし満州事変勃発以後、「国が戦うというならそれに従う」と、戦争協力に転じる。それは雑誌と学園を守るためでもあった。もと子の戦争協力は、「出征家族を助ける」「物資欠乏下でどうやって生き延びるか」という家庭の合理化が主である。彼女は軍部内の軍縮派、皇族、三木清、長谷川如是閑などリベラリストとのつながりを最大限生かして戦争を乗り切った。
連載媒体であり、出版元である「婦人之友社」は創業者の戦争協力についても自由に書かせてくれた。一方、関東大震災後の救援活動、昭和初期の東北飢饉の農村セツルメント活動、戦時中の北京生活学校、戦後の引揚女性と子供たちの援護活動は、私はこれを羽仁もと子の四大事業と名付けているが、彼女でなくては実現できなかった。洋服を提唱したもと子は生涯和服で暮らした。そうした矛盾も含めて極めてユニークな女性だった。以上はエッセンスなので、ぜひ、羽仁もと子の全体像に触れてほしい。
◆書誌データ
書名 :じょっぱりの人-羽仁もと子とその時代-
著者 :森まゆみ
頁数 :432頁
刊行日:2024/4/23
出版社:婦人之友社
定価 :3300 円(税込)
慰安婦
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