
イラスト:田中聡美
「虎翼」が終わります。ロスになりそう。こんなエッセイを朝日新聞に書きました。版元に許可を得て転載します。
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「人間」から「おんな」へ
「とらつば」と言えば、「虎に翼」の略語。今年上半期のNHK朝ドラのタイトルだ。日本初の女性弁護士、三淵嘉子さん(1914-1984)をモデルにしたこのドラマは、近年の朝ドラ史上でも高い20%近い威視聴率(世帯)をたたき出した。TVドラマをめったに見ないこのわたしにしてからが、毎朝早起きしてこのドラマを見ている。脚本家は吉田恵里香さん、36歳。なのに、戦前、戦中、戦後の女性の置かれた状況や、法曹界の歴史、事件史などに詳しい。よく調べて書いているし、伏線のきかせ方もうまい。ときどき画面に登場する当時のドキュメンタリー映像も、臨場感を高める効果がある。
「とらつば」人気に便乗して、出版社も三淵さんが執筆者代表をした『女性法律家』(有斐閣、2024年/初版1983年)を復刻出版した。その中に「はて?」と思うような三淵さんの発言がある。
「私が弁護士を志した動機、そしてこれから弁護士として生きて行く目標がか弱き女性のためかといわれると『ハイ』とはいえなかった」。その心は「私には女性のためにという目標がなかったばかりか、女性であるという自覚より人間であるという自覚のもとに生きて来たと思う」という文章を読んで、胸を衝かれた。
この世代の女性たちにとっては、女ではなく「人間」になることが、まず第一の目標だった。女性に参政権もなかった時代のことだ。
戦後四半世紀たって1970年に日本でウーマン・リブが誕生したとき、その運動を牽引した田中美津さんは、女が人間として生きられないところで、女としてしか生きられない自分をひきうけて、女をおしだしてゆくことを選んだ。美津さんは「私が私を生きていないのに、妻や母を生きられるか」とも問うた。妻・母・主婦・娘...はオトコ社会が女に与えた指定席。それをすべて返上しようというのが、ウーマンリブだった。それ以来、あかはだかの「おんな」という言葉がリブの自称になった。
そうか、「おんな」であることを引き受けるためには、まず「人間」にならなければならなかったのか...と三淵さんの世代の合い言葉、「人間として」ということばを噛みしめる。フェミニズムは「男と同じようになりたい思想」ではない。「男とちがっていても差別されないことを求める思想」だ。
高校生相手に講演したら、女子生徒からこんな感想が返ってきて絶句した。
「今日の上野先生の講義を聞いて、私がこれから出ていく社会はまっくらだということがわかりました」
若い女性にこんなことばを言わせるほど、日本の女性の現状はまだまだひどい。だが「とらつば」を見ると、戦前の結婚した女が「無能力者」だった時代から、どれほどの変化があったのかがよくわかる。その変化は勝手に起きたのではない。三淵さんのような女性たちひとりひとりが、変えてきたのだ。
「朝日新聞」2024年9月24日付け北陸版「北陸六味」から許可を得て転載。
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