「俺様」との闘い
ノンフィクション作家・髙橋秀実の傍らにいて、しみじみ感じるには、もの書きは根が「俺様」だということである。
そんな彼は、原稿をまず妻の私に読ませる。会社の同僚時代に始まり、結婚してからもかれこれ40年近く、そのルーティンは続いている。「できたから」「印刷したから」などと当たり前げに私に渡す。やむなく原稿をチェックし、編集者として、内容についても指摘をすると、それこそ百倍返しの反論を繰り広げるのだ。私が無知、読み方がおかしい、間違っているとまくし立てる。私はぶちキレた。「だったら、好きにすれば! そのまま入稿すればいいじゃん。もう、タダ仕事は懲りごり」、とどめに「離婚する!」と言い放った。慌てた彼は「い、いや、それは……」と翻って口ごもり、頭を垂れた。
要するに、書いたものを誰かに読んでもらいたいのだ。安心するらしい。私や編集者などの御墨付きが欲しいのである。だったら、お願いしなさい。親しき中にも礼儀あり。今では「お忙しいところ、すみません。原稿書いたので、読んでいただけますか」とちゃんと頼むようになった。
入稿すると、担当編集者が読み、そして校正(校閲)者が読む。誤字脱字はもちろん、表記統一、事実関係の確認など、裏付け調査が行なわれる。ゲラ(校正刷り)に入った赤字を見て、私もいまだに驚く。エッ、そうなの!? それらの指摘や疑問点などを確認、書き直し、原稿は仕上げられていく。
「文章は私が書いたものではなく、彼らとの共同作品なのだ」
このたび、髙橋秀実が上梓した『ことばの番人』は、彼のもの書きとしての反省の弁ともいえる。日頃、直接お会いすることのない校正者の方々を取材。その仕事の深遠さと緻密さに感心させられる。
「校正」は「ことば」を単純に「正す」ことではない。校正者は決して糾弾したりしない。こうではないでしょうか?とやさしく提案してくれる。書き手と読み手が「正しさ」を相談するのである。俺様の書き手に対するアプローチなのか。いうなれば「ことば」のセラピストだ。おかげで書き手はプライドを傷つけられることなく、「ことば」を吟味することができる。髙橋も今回の取材で思い知ったことだろう。書き手は謙虚でなくてはならない。
「この本で不当に不利益を被ったり、傷ついたりする人があってはならないということです」
女性の校正者の言葉が胸を打つ。
SNSなどで、誰もが書く時代。書いたら、読み返して校正、その上で発信していただけたらと思います。
◆書誌データ
書名 :ことばの番人
著者 :髙橋秀実
頁数 :224頁
刊行日:2024/9/26
出版社:集英社インターナショナル
定価 :1980円(税込)