
ガブリエル・シャネルが革命したもの
シャネルがファッションを通して成し遂げたことは、何よりも女性を自由にすることでした。
一九世紀的な女性の服装は、コルセットで病気になるほど体を締め付け、クリノリンと呼ばれる鳥かごのようなスカート、贅沢な絹地をたっぷりとつかい、羽やレースや宝石で飾り立てたドレス。それは召使の手を借りなければ着られない服でした。
ぜいたくな生地も、宝石も、召使の存在も、財力の――自分のではなく夫の財力の誇示にはなっても、女性の行動を著しく制限するものでした。
20世紀になってようやくコルセットやクリノリンスカートも下火になりましたが、それを徹底したのがシャネルでした。
下着にしか使われなかったジャージーをドレスに使い、その服にはちゃんと手の入るポケットを付け、スカート丈と髪はバッサリと切る。そして両手が自由になるショルダーバッグや、頭の入る帽子も考案しました。
「活動的な女には楽な服が必要なのよ。袖をまくれるようじゃなきゃダメ」
シャネルは、偶然や思い付きではなく、それまでの女性の在り方への批判と、新しい女性の生き方への明確な確信をもってモードに革命を起こしたことが、この本を読むとよく分かります。
本書は、シャネルが63歳の時、第2次世界大戦後パリを離れてスイスで事実上の亡命生活を送っていた時に語り下ろした自伝です。親友だった作家ポール・モランがこれをまとめました。
なぜシャネルはこうした革命を実行することができたのでしょうか。それはその出自にあります。幼くして母を亡くし、父に孤児院に置きざりにされたという過去を、シャネルは生前一度も語ることはありませんでしたが、彼女は全力を挙げてその境遇から立ち上がり、使えるものは全部使って、運命を切り開いていきます。
本書の中で、彼女は自分を評して「正確で、有能で、楽天的で、激しくて、レアリストで、戦闘的で、からかい好きで、疑い深い女」と言っています。
人が「レアリスト」になるのは、社会のはしっこ、ないしそのその外側に落ちたことがある、つまり、社会を外側から見たことがあるからではないでしょうか。シャネルの愛なき少女時代、誰にも理解されず孤独のうちに過ごした孤児院の経験こそが、後年「皆殺しの天使」と呼ばれた変革者シャネルを作ったのではないでしょうか。
1920年代、おおくのクチュリエがこぞって服に「若き司祭の夢」などという大げさな名前を付けるのが流行ったとき、シャネルは、
「嫌なのがクチュリエ的芸術。クチュールはテクニックであり職業であり、商売だということ」
と言いはなち、自分の服には名前ではなく1、2、3とただの番号を付けたのです。何たる反抗心、そして自信。レアリストの面目躍如です。
8年の亡命生活の後、シャネルはパリにもどり、70歳の時に復活をかけてコレクションを発表します。
「復帰後初のコレクションにメディアは冷たかった。だが1年のうちにアメリカから、そしてフランス国内からも評価の声が上がりだし、やがてその声は次第に大きく、確固としたものになってゆく。シャネルは不死鳥のようなカムバックを果たしたのである。七十歳を過ぎて、たった一人で。」(「訳者あとがき」より)
本書の翻訳者、山田登世子さんは2016年に亡くなりましたが、『シャネル――その言葉と仕事の秘密』(ちくま文庫)という名著を残しました。こちらもおすすめです。
著訳者紹介
●ポール・モラン(1888-1976)
フランスの作家。20代の若さで外交官となり、世界各地を旅して小説から評論まで、コスモポリットな作品を残した。20年代のパリでシャネルと知り合い、大戦後スイスで再会、聞き書きスタイルのシャネル伝を残す。
●やまだ・とよこ
フランス文学者。愛知淑徳大学名誉教授。主な著書に『モードの帝国』『ブランドの世紀』など。2016年没
◆書誌データ
書名 :シャネル:人生を語る
著者 :ポール・モラン
訳者 :山田登世子
頁数 :256頁
刊行日:2024/6/7
出版社:中央公論新社
定価 :1980円(税込)
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