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4.14 延々と不器用に あかたけ

2012.08.17 Fri

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現実においては永遠でないからこそ、求め、描かれる「永遠の日常が続く家族」。それは、変化せず、安心で、安全で、幸せな幻影だろう。鷹番さんのエッセイでは、変化という現実と永遠という理想との間で、ぐらぐらバランスを崩したり保ったりする家族像が紹介された。「家族」というくくりも、結局は人間関係から生まれ、時には壊れるもののような気がする。鷹番さんのエッセイを受けて、いくつかの本を思い出したと同時に、不器 用にしか人間関係を築いていけない我が身を振り返り、妙な気分になった。

日常が永遠に続く世界では、その中の人間関係に変化はほとんど起きない。つまり登場 人物は変わらない。たとえ感情の波が一時の波紋を広げても、気付けばその波紋は消えていて、もとの人間関係が何事もなかったかのように再び展開される。たとえば、前々回に 紹介された『サザエさん』。特にテレビ版では家族構成はおろか、登場人物の交友関係、親戚関係は一切崩れない。カツオは中島くんと(「絶交だ」と言ったとしても)絶交しないし、磯野家と伊佐坂家とのご近所トラブルもない。サザエさんとマスオさんが別れるな んてあり得ない。平和だ。安心する。

永遠に日常を送る人物たち。『サザエさん』に加え、『ドラえもん』も思い浮かぶ。のび太という子は、いつもママに怒られ、ジャイアンとスネ夫にいじめられ、しずかちゃん に恋をし、出来杉くんに劣等感を抱き、周囲からはバカにされ、ドラえもんに助けを求める。毎回得られる教訓とのび太の成長は、毎回話が変わる度にリセットされ、いつもののび太がいる。それで読者は安心する。のび太が「変わろう」とするプロセスに読者は心打たれるのであって、のび太が本当に「変わってしまう」という結果は望んでいない。のび太が変わってしまった時、ドラえもんの存在意義は・・・?あくまでも「永遠ののび太 像」が必要だ。弱虫で、要領が悪くて、勉強ができなくて、時に嫉妬深くて、卑怯で、でも感動屋で優しいのび太が。そして、のび太がもがく姿に読者は自己を重ね、ドラえもんに「こんなこといいな、できたらいいな」の願望を託す。

自分はのび太みたいでも、四次元ポケットを持ったドラえもんはいない。変化する現実の中で、「生きにくいなぁ」と感じながらも何とか人間関係を紡ぎ、繋がり、生きていく 方法を模索する。四次元ポケットを持っていなくても、のび太な自分を見守ってくれるような、ドラえもんみたいな誰かがほしいとわがままにも思う。その作業こそが延々と、永遠に続く。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.    生きづらさの中でいかに生きていくのか。卯月妙子の『人間仮免中』は、かつてキャバクラ嬢やAV女優として名を馳せた著者が、長年苦しんでいる統合失調症の自分と25歳年 上の恋人「ボビー」との付き合いを赤裸々に記したマンガである。著者は幻覚に悩まされ、大量の薬を服用する。これまでに自殺未遂を重ね、近親者の自殺も経験した。幻覚と現実の境目が薄れ、わけがわからなくなっていく。正直、「これは現実なのか?」と思わされる場面もあった。壮絶だ。しかし、フィクションではない。自分の存在が誰かを幸せ にもし、不幸にもする。その不安定な中で、自分を保つためにはやはり他人の力が必要なのだと改めて思わされる。

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他人の力が必要なのだ思っても、他人の力を必要とするには、時には他人との繋がり方に工夫が必要だ。三島由紀夫の『三島由紀夫レター教室』は、仕事・年齢・性格が全く異なった5人の男女の手紙のやり取りのみによって物語が進んでいく。登場人物たちは、 愛、欲、憎しみ、悲しみ、寂しさ、嫉妬、ヒステリー、喜びなどに酔いしれながら筆を走らせ、時にはののしり合ったりする。普段の自分の手紙の内容(とはいえ、最近は手紙を書くことも少なくなり、メールが多くなった・・・というより仕事以外のメールの返信が極端に遅くなった)を思い返しみると、「手紙ってこんなに情熱的なツールだったのか」と改めて気付かされる。読めば読むほどちょっとおかしな登場人物たちは、気取りながらも気取りきれず、冷静を装いながらも装いきれず、フィクションの世界の人物たちなのに、あまりにも人間臭い。不器用にしか人間関係を築けない人間の姿だ。

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不器用であっても、人間関係を築き、生きたいと思うのは、わたしの人生はわたしのもので、わたしの身体はわたしのもので、わたしの生命はわたしのものだということが根底にあるからだろう。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』は、その根底を揺るが す。この物語は、「介護人」キャシーの回想と気付きによって、残酷に運命づけられた「提供者」の生命が明かされていく。 施設「ヘールシャム」という閉鎖されたコミュニティのなかで、彼らは自分たちの複製元である「親」の存在を知りつつも、成長し、友達を作り、喧嘩したり、助け合ったり、嫉妬したり、恋をしたりした。けれども、彼らの生命は彼らのものではない。何のために生まれて、何のために生きて、何のために死んでいくのか。こう書くととても野暮な感じに見えてしまうが、この物語を読むと、心からそんなことを真面目に考えてしまう。

どのような形であれ、人間関係が希望にも絶望にもなったりする。願わくば、希望であり続けてほしいと思う。絶望的な人間関係が自分の人生のどこかで発生したとしても、誰かと繋がるのが恐ろしくなっても、別のどこかで希望が持てる人間関係を構築していたい。のび太とドラえもんのような。そして、また野暮な書き方になるけれども、自分も誰かの絶望になったり、希望になったりするのだということを忘れずにいたい。

次回「日常が永遠に続いても、関係は変わるかもしれない。」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから








カテゴリー:リレー・エッセイ

タグ: / 恋愛 / フェミニズム / 家族

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