2012.09.17 Mon
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.もう、何度読んだか分からない。いや、何も、読んだ回数が多い方が良い本だ、と言いたいのでもない。
5回までは数えていたが、それ以降はよく覚えていない。 それくらい、何度も手にとった。
1988年が初版なので、出版されてからもう24年も経っている。
フェミ本としては、古典に入ってしまうのだろうか。 でも、私には決して古くはない。
それどころか、経験を積み重ねていくなかで「小倉さんが言いたかったのは、こういうことだったのか!!」というような、自分を取り巻くことがらの分析が「セックス神話…」に述べられている論理によってものの見事に完結してしまう…ことを読むたびに経験している。だから、本書は私にとっていつも新しい。
本書は、大阪府立婦人会館で開かれた「性の研究会」という講演会がベースになっているらしい。
ところが「お決まりの」教養講座なんぞぶっ飛びそうな、且つ、これ以上ないほど解り易くありながら実に的を射たフェミの入門講座となっているのは、上野千鶴子氏をして「学者にしておくには惜しい」と言わしめた大阪人特有の(というか、それ以上の)笑いのツボと語りの間、ボケと突っ込みを知り尽くした著者の話芸の為せる技なのだろう。
(おそらく)お金も取らず、およそアカデミックな世界とは無縁の女性たちに、なんとレベルの高い話をしていたのだろう…と驚嘆すると同時に、そこに参加できなかったことを本当に悔しく思う(リアルタイムで、ナマ小倉の話芸を堪能したかった)。
この話術の巧みさは、「松田聖子論」や「アイドル時代の神話」、「男よりテレビ、女よりテレビ」などのジェンダー分析論にも、鮮やかに生かされている。
たかがアイドル論…などと侮ることなかれ。そこでは実に鋭い洞察がなされ、示唆の多い、納得の論文なのである。これらの論文も、何度読んでも楽しいし、学ぶところが多い。
本書がターゲットにしているのは、世の中に蔓延し、べっとりとこびりついて離れない、そして誰もが疑いもしない「男と女の決まりごと」、その根底にある「生物学的決定論」である。
「常識」なんぞとさも高尚であるかのように言われ、それを疑うことが恥ででもあるようなもの…しかし、そこにあるのが男本位で自己チューな「ぼくちゃんの理屈」に過ぎず、どれほど罪深く、根拠のない男尊女卑の残骸であるかを外国の文献なども引いて丁寧に検証していく。
どれもこれも、目からウロコがボロボロと面白いように落ちていく…あるいは、得体のしれない違和感だったものの正体が容赦なく暴かれていく。
そして、違和感を覚えた自分のセンスの鋭さ・正しさに力が湧いてくるのである。
が、同時に、どれだけ自分がことの本質を考えもせず鵜呑みにしてきたのか…それがどれだけ男社会に加担することだったのか…が白日の下に曝されていく。
「すべての差別は自己差別なのです」という小倉氏の言葉は、重い。
ジェンダーとは記号であり、言語に他ならない。生れ落ちてジェンダーを刻印され、自分が位置する社会から間断なくセクシュアリティを強制され続けてきた私たちにとって、真に向き合い、戦っていかなければならないのは、実は「個人の中にある構造的な思考、内面的な体制の呪縛」なのである。
調和や協調と迎合するのではなく、対立と緊張を恐れず、自分をがんじがらめにしている男社会の規範という鎖を一つ一つ解いていくことが、本書を読んでからの私の課題となった。
そしてそれは紛れもなく、「男にあてがわれた女」としてではなく「あるがままの自分」として生き直していくことに他ならない、と私は確信している(jitamari)。
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