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「好奇心の強い女」そして「都合の悪い女」へ―新島八重の生き方に、どんな視線が注がれる?(2) 荒木菜穂
2012.11.16 Fri
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.前回に適当な箇条書きにまとめたように、新島八重さんとは、いわゆる当時の「日本の女性」とははずれた、筋の通った性格、個性的で波乱万丈な人生を送られた方のようです。
ちなみにNHK大河ドラマ「八重の桜」公式サイトでは、「八重の桜」のポイントとして、「ならぬことはならぬ」(故郷・会津の教え)、「幕末のジャンヌダルク」(仲間の死、故郷の喪失)、「ハンサムウーマン」(不義に生きない女の生き方)、「日本のナイチンゲールへ」(幸せでなくてはならぬ)、という4つを挙げています。
まず、まあ「フェミ的」に関係ありそうなのは、「ハンサムウーマン」(「封建的風潮の残る中、男女の平等を望む八重の生きざま」についての襄の言葉だったそうです)のところでしょう。ちなみに、折しも、こないだたまたま見たTBSの「ヒルナンデス」で、今年のファッションのトレンドは「ハンサムウーマン」だそうで、女性らしさも生かしながらマスキュリンにかっこいい感じ、というのがその意味だそうですが、女と男のイイトコドリをしたファッションは、なんとなく、今の時代の「自立した女」像を端的に示しているような気がします。
その昔、『ハンサムな彼女』という、芸能界で生き抜く少女を主人公にしたコミックがありましたが、(あからさまに口にはしなくても)男女平等を望み、社会に出て活躍する女性、が「もてはやされる」とは何を意味するのか、考えてしまうことがあります。『ハンサムな彼女』の時代(1980年代後期から1990年代初期)は、まだ、フェミニズムがブームになるような、「男/女らしさ」が「あたりまえ」の物ではないことそのものを問う基盤があったような気がします。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.しかし、とりわけ近年は、あからさまに、「女であることを捨てない」で、さらに男同様に活躍する女性が求められている空気を感じます。もっとも、この流れもずっと水面下では続いていて、ぶっちゃけ実際の社会はそうだし(「女の武器も利用ししたたかに生き抜く」みたいな言い方で評価されたりする)、海外の女性の動向なんかを紹介した90年代の日本の女性雑誌などでは、こういった矛盾が「フェミニズムの先にあるもの」として指摘されたりしていました。
男とともに戦い、賢く生きる「ハンサムウーマン」としての八重が、武士の娘として、女の役割を自覚し、戦争時でさえ「飯を炊くこと、弾丸を作ること、負傷者の看護をする」(安藤 2012 13)「女性役割」をきっちりこなし、その上で、女性の地位向上を求めた側面、「ここ」が強調される可能性も否定できない懸念があります。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.それは、少し前にブームになった『女性の品格』、最近売れているらしい『ニッポン女子力』のように、「女性役割」を免除される男性の責任を問うことなく(『女性の品格』は半ば諦めのようだったし、一応『女子力』でも言及はされてますが)、「女性役割」を賛美し、そこから降りることを女たちに許さない、歪な「女性の自立」と同様の受け入れられ方のよう思えます(とはいえ、選択肢として「女性性」が評価されるのは私はアリだと思ってますけど)。
また、NHKのポイントでも挙げられているように、会津藩としての誇りを持ち、主君や身分制を絶対視し、また、戦争を肯定する側面が、「保守的な魅力」としてクローズアップされるのであれば、それはあまりフェミニズム的には望ましくないです。
夫、襄との関係でも、襄の望む「西洋の女性の生き方」の普及のために確信犯的に行った、という文脈が強調され、夫をないがしろにする「悪妻」イメージが、「夫のため」という美談の免罪符で許されてしまうのであれば、それは、男女の対等な関係性の実現を願う夫妻の思い、捻じれた形で扱っていることになりそうですが、まあ、これは穿った見方かも。フェミやってると、なんやかんやフェミ懸念が生まれてくるのが「私の悪い癖です」。
とはいえ、女性の地位向上を求めるために日本の社会を批判、という八重の生き方は、襄との生活、「日本のナイチンゲール」赤十字社時代通じ、おそらく避けては通れない部分だと思いますし、この批判の部分が大河や世論でどう誠実に評価されるかが見ものかなと思います。
また、今回目にした八重について語られる本の中では、会津戦争では、八重以外にも女性たちが活躍してたこと、さらには、赤十字社での八重の活躍とともに、「看護婦の地位改善を目指したもう一人の会津藩出身の女性」(安藤 2012 189)として、日本赤十字社篤志看護婦人会結成に大きく貢献し、また津田梅子らとともに渡米留学経験を持つ大山捨松が紹介されていました。
一人の女性の生き方、社会への働きかけを語ることは、同時代、または時代を超えてつながる、他の多くの女性にも目が向けられる可能性を生みます。より広い視点で語るということは、場合によっては、「女役割のまま男役割もこなす」都合のいい女像として解釈・再生産されるかもしれないけれど、その語りの中で、ジェンダー構造を温存したままそのイメージを語っていくことを許さない力が働くかもしれない、そして「様々な女性への視点」が持たれる流れになればいいなと思います。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.あと、私がいま、漠然と思う、新島八重という女性は、「好奇心の強い女」。キリスト教への関心も、そもそも文化としての好奇心のほうが強かったという解説がなされたり、また、砲術や西洋文化全般の知識、議会傍聴など日本の女性のあり方を変えていきたいための様々な行動も、好奇心あってのことではないでしょうか。
そもそも、女らしさ、とは「好奇心を持ってはいけない規範」とされてきたように思えます。好奇心とは、情報を把握し、コントロールする力への欲求。『私は好奇心の強い女』(1967)という私が大好きな映画もありますが、運命に従順に生きるのではなく、自分で世界を知り、考えたい。疑問を持つことはそもそもフェミニズムの原点ともいえそうですが、そういったパワーへの欲求は、「社会にとって都合のいい自立した女性」に甘んじることとは正反対の、「女性の解放」を目指す原動力になると思います。
もし、新島八重さんの生き方が、見せかけの「都合のいい女」の自立ではなく、ジェンダー社会にとって「都合の悪い女」として語られていくならば、すごく刺激的なことになるかも。という希望。(第4週目・第20回)
(参考)
笠井尚,2012[2011],「会津烈婦八重略伝」早川廣中 本井康博 共著『増補改訂 新島八重と夫、襄―会津・京都・同志社―』思文閣出版.
早川廣中 本井康博,2012[2011],「対談 山本八重子から新島八重へ」『増補改訂 新島八重と夫、襄―会津・京都・同志社―』思文閣出版.
安藤優一郎,2012,『新島八重の維新』青春出版社
坂東眞理子,2006,『女性の品格』PHP研究所
能町光香,2012,『ニッポン女子力―「気がきく」「たてる」最強のDNA』小学館
次回はにちかさんの「ハンサム妊婦!?…とは程遠い我が現実」、11月30日から掲載予定です。お楽しみに!
次回「ハンサム妊婦!?・・・とは程遠い我が現実」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから
カテゴリー:リレー・エッセイ