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「別世界の住人」の目から世界をみる 鷹番みさご

2013.01.11 Fri

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 「別世界の住人」との日常の関わりやそのときどきの関係性のあり方を驚きをもって見つめなおすことで、世界を違った風にみることができるのではないかという内藤さんの問いかけを受けて考えてみると、小さい子どもに向けてかかれた児童書には、「別世界の住人」である子どもを主人公に日常/非日常を描いた本がいっぱい。

いわずとしれたミヒャエル・エンデの「モモ」は、大人がつくっている現代社会の時間に対する価値観や行動様式を浮かびあがらせたファンタジーだ。

子どもが主人公として描かれた本からは、現実の社会で当たり前とされているものの見方を根本的に問い直したり、まったく異なるものの見方を示したものがたくさんある。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.特に私が子どもの頃にお気に入りだったのは、松谷みよ子の「ちいさいモモちゃん」シリーズと、「長くつ下のピッピ」シリーズ。

「ちいさいモモちゃん」は、モモちゃんやママたち家族のお話。妹のアカネちゃんがうまれたり、ママとパパが離婚したり、家族のなかにさまざまな出来事が子どもの目から描写されている。

モモちゃんやアカネちゃんからみた世界は、いわゆる大人からみた「現実」の毎日で起こりうることだけでなく、飼い猫のプーやママの編んだくつしたがモモちゃんやアカネちゃんの大切な友達であり、仲間として欠かせない。モモちゃんやアカネちゃんにとっては、プーもくつしたも、ただのペットや洋服のようなモノなんかではなく、大人からみたペットや洋服とは全然異なる存在だ。大人の世界と子どもの世界が渾然一体としつつ展開していくこの物語を読んでいると、自分が小さかったときに世界はこんなふうに見えていたのかととても不思議で新鮮な気持ちになる。

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『ちいさいモモちゃん』に所収されている「ママになんかわかんない」は子ども心にとても共感して、このお話を知ってからしばらくはしょっちゅう「ママになんかわかんない、ママになんかわかんない」とつぶやいていたことを覚えている。

一方、「長くつ下のピッピ」は、船乗りの父をもつ9歳の女の子ピッピとその周りの人びとのお話で、モモちゃんシリーズよりもファンタジー性が強い。

「ごたごた荘」に一人で暮らしているピッピが、大人顔負けの創造力や行動力でセッターグレン兄妹をはじめとした周りの人びとをわくわく、はらはらさせたり、ふつうの子どもと同じようにお父さんのことを思ったりというのが、なんともやみつきになるお話だった。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. ただ、「別世界の住人」は子どもだけではない。マンガの中にも、「別世界の住人」の登場によって世界の違った見え方を描いているものがけっこうあることに気づく。

中村光『聖☆おにいさん』は、世紀末を無事越えた世界の二大聖人イエスとブッダの東京・立川を舞台とした下界でのバカンスを描いているし、ヤマザキマリの『テルマエ・ロマエ』は古代ローマの風呂設計技師ルシウスが、風呂でアクシデントにあうたびに現代日本にワープしてしまう話だ。ことに『テルマエ・ロマエ』では、現代日本の入浴文化を理解しようとするルシウスの姿勢はときに滑稽なのだけど、とても真摯。 まれびととしてのイエスやブッダ、古代ローマ人ルシウスが現代日本と出会い、解釈していく様子は、面白いうえになるほどと思わせられ、しかもしばしばおもわず噴き出してしまうことも多い。

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毎日仕事や家事など、やらなければいけないことに追われていると、日々の出来事に対する感受性も鈍ってしまう。でも、そもそも自分が「同じ世界の住人」だとみなしている周りの人たちだって、実は自分と同じ言語、枠組みで生きている人自体本当は少ないのではないだろうか?自分が「ふつう」に生きている世界を、「別世界の住人」の目から見つめなおす作業をときには意識的に取り入れることによって、世界の捉え方が自分のひとりよがりのものではなく、より重層的で色彩ゆたかなものになる気がする。

次回「「ありふれた景色」のワンダーランド」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから








カテゴリー:リレー・エッセイ

タグ: / 絵本 / 文学